1983年の阪急ブレーブスでは、1983年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
この年の阪急ブレーブスは、第2次上田利治監督体制の3年目(通算8年目)のシーズンである。
就任3年目を迎えて「もう一度優勝する」と意気込む上田監督は主力打者の加藤英司を放出して、広島から水谷実雄を獲得。また、ヤクルトへ移籍したボビー・マルカーノの穴埋めとしてバンプ・ウィルス、ウェイン・ケージに替わる大砲としてブーマー・ウェルズが入り、引退した島谷金二に代わって松永浩美が三塁の定位置を獲得するなど若返りを図ったものの開幕後は前年優勝の西武の独走を許し、苦しい立ち上がりとなった。5月以降は立ち直って日本ハムとのAクラス争いを演じたものの最後は西武に17ゲームの大差をつけられ、10月10日には敵地・西武球場で広岡達朗監督の胴上げを許したが何とか2位でシーズンを終えた。投手陣では山田久志・今井雄太郎・山沖之彦が1年通してローテーションを守り、抑えの佐藤義則がこの年も活躍したが防御率がやや高めで4.16のリーグ3位。打撃陣では広島から移籍の水谷が開幕から4番に入って打点王を獲得し、福本豊(盗塁王からは陥落)とバンプ、トリプルスリー(3割・30本塁打・30盗塁)達成の簑田浩二がグラウンドを走りまくるなど200盗塁はリーグ1位で、157本塁打はリーグ2位だったが期待のブーマーが17本塁打に終わった。
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1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。)1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併)2005年から「オリックス・バファローズ」
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