リッカー硬式野球部(リッカーこうしきやきゅうぶ)は、東京都に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1984年1月に解散した。運営母体は、ミシンメーカーのリッカー。
概要
1956年、東京都立川市を本拠地に、リッカーミシンが『リッカーミシン硬式野球部』として立ち上げた[1]。結成初年度ながら、同年の都市対抗野球に初出場を果たす。
1974年、母体の社名変更に伴い、チーム名を『リッカー硬式野球部』に改称した[2]。
1980年、日本選手権に初出場を果たした。
1984年1月、母体であるリッカーの業績回復に専念するため休部届が提出され[3]、その後廃部となった。
設立・沿革
大会の出場歴・最高成績
主な出身プロ野球選手
元プロ野球選手の競技者登録
かつて在籍していた選手・指導者
- 生原昭宏(アイク生原) - 選手として在籍。引退後、亜細亜大学硬式野球部監督を務めたのち、日米野球交流に尽力。没後の2002年に特別表彰にて野球殿堂入り。
- 川本幸生(内野手) - 選手として在籍。引退後、広島商業高野球部監督を務めた。
- 菊地敏幸(捕手、内野手、監督)- 現役引退後は監督。その後は阪神スカウトとして活動。
- 中村和久(監督)- チーム解散時の監督。以降は巨人スカウトとなった。
脚注
- ^ “黒獅子旗をめざすもの”. 毎日新聞: p. 5. (1956年7月23日)
- ^ “都市対抗野球 都予選 15チームの横顔<上>”. 毎日新聞: p. 16. (1974年6月7日)
- ^ “リッカーが休部”. 毎日新聞: p. 17. (1984年2月1日)
関連項目