1992年のオリックス・ブルーウェーブでは、1992年のオリックス・ブルーウェーブにおける動向をまとめる。
この年のオリックス・ブルーウェーブは、土井正三監督の2年目のシーズンである。キャッチフレーズは「AMUSE・APEAL・ABILIT 〜涛け稲妻 振れ先駆けの旗を〜」。
2年目を迎えた土井オリックスだが、4月を5勝13敗と大きく負け越し最下位に転落すると、5月中旬にも8連敗を喫し、借金は17まで膨らんだ。即戦力の期待がかかったドラフト1位新人の田口壮はイップスにかかり二軍落ちを経験するなど低迷、前年新人王の長谷川滋利も6勝止まりで勝ち数が半減するなど若手が伸び悩んだチームは前半を最下位で折り返す。9月以降日本ハム・ダイエー・ロッテをごぼう抜きにしてようやく3位に浮上しなんとかAクラスは確保したが、借金返済はついに果たせずチームは4年ぶりに負け越した。かつてのチームの売りであった強力打線は来日1年目のケルビン・トーベが8月以降の打率.365で打率リーグ2位に食い込み、退団したブーマー・ウェルズの背番号44を受け継いだ高橋智が29本塁打を放ち台頭するなどチーム打率はリーグ2位も、チーム本塁打数は88本と前年からさらに落ち込み、リーグ最下位となってしまった。
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75 土井正三
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1936年から1946年までは「阪急軍」(1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。)1947年から1988年までは「阪急ブレーブス」1989年から1990年までは「オリックス・ブレーブス」1991年から2004年までは「オリックス・ブルーウェーブ」(2004年オフに大阪近鉄バファローズと球団合併)2005年から「オリックス・バファローズ」
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