1967年ベルギーグランプリ
1967年ベルギーグランプリ (1967 Belgian Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第4戦として、1967年6月18日にスパ・フランコルシャンで開催された。 レースは28周で行われ、イーグルのダン・ガーニーが予選2番手から優勝し、BRMのジャッキー・スチュワートが2位、フェラーリのクリス・エイモンが3位となった。 ガーニーのイーグルでの勝利はインディ500を除くと、アメリカで制作されたF1マシンによる唯一の優勝で、アメリカ国籍のコンストラクターによる初めての優勝である[2][注 1]。そして、アメリカ人によるアメリカ車によるF1初勝利でもあり[3][注 2]、チームオーナー兼ドライバーとして優勝した唯一のアメリカ人でもある[4][注 3]。 レース概要![]() ポールポジションからスタートしたジム・クラークは11周の間首位をキープし、クラークを追うジャッキー・スチュワートとダン・ガーニーに20秒の差を付けていた。しかし、クラークはプラグの交換によりピットインを強いられ、交換に2分を要した。これでスチュワートが首位に立ち、ガーニーが燃圧の問題でピットインを強いられ20秒をロスしたため盤石なリードを築いた。しかし、スチュワートもギアシフトに不調を抱え、ガーニーはファステストラップを記録してスチュワートに迫り、残り8周でスチュワートを抜いてトップに立ち、美しいマグネシウムとチタニウムのイーグルが初勝利を挙げた。軽量で先進的なエアロダイナミクスを持つT1Gと、400bhp弱のウェスレイクV12エンジンによって高速化し、平均時速は1959年ドイツGPでトニー・ブルックスが記録した230.686 km/h (143.342 mph)を8年ぶりに上回る234.946 km/h (145.989 mph)の新記録を樹立し[5]、バックストレートでは315 km/h (196 mph)を出した。 フェラーリのマイク・パークスは、1周目のブランシモンでスチュワートのBRMからこぼれた潤滑油によってコントロールを失いコースアウトし、マシンは横向きのままコースを滑り、パークスは外へ投げ出された[6]。パークスは両足を複雑骨折し、医師は彼の足を切断することも検討した。1週間昏睡状態となったものの一命は取り止めたが、パークスのF1ドライバー生命は絶たれてしまった[7][8]。この事故に大きなショックを受けたチームメイトで親友のルドビコ・スカルフィオッティは戦意を喪失してドライバー引退を考え、本レースをもってフェラーリを去った[8][注 4]。一方、この事故を後方で見た同じチームメイトのクリス・エイモンは、最後までペドロ・ロドリゲスのクーパーを相手に激しいバトルを続け、3位表彰台を獲得した[9]。1ヶ月前のモナコGPでロレンツォ・バンディーニが事故死したのに続き、相次いでドライバーが離脱したフェラーリは、この年抜擢された若いエイモンのみとなってしまった[3]。 ホンダのジョン・サーティースは予選から燃料関係のトラブルが続出し、燃料バッグの破損によりガソリンが漏れ、徹夜で燃料バッグを交換する羽目となった。決勝では1周目でピストンが吹き抜けてしまい、早々とリタイアした。ホンダが1966年から1968年に使用した3リッターV12エンジンで、エンジン本体のメカニカルトラブルが発生したのは本レースと1968年イタリアグランプリの2回のみである[10][11]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第4戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
参照文献
外部リンク
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