1966年ベルギーグランプリ
1966年ベルギーグランプリ (1966 Belgian Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第2戦として、1966年6月12日にスパ・フランコルシャンで開催された。 ベルギーグランプリの開催は26回目で、1周14.1kmのコースを28周する395kmのレースで行われた。 本レースはフェラーリ・312をドライブしたジョン・サーティースが優勝した。サーティースは1964年イタリアグランプリ以来4回目の優勝であった。42秒差でクーパー・T81をドライブしたヨッヘン・リントが2位となり、クーパーは3リッターのマセラティV12エンジンとのコンビネーションで初の表彰台を獲得した。サーティースのチームメイトのロレンツォ・バンディーニは246-66で3位となり、開幕戦モナコグランプリに続き表彰台を獲得し、ドライバーズポイントで開幕2戦の勝者ジャッキー・スチュワートとサーティースを上回り、トップに立った。 レース概要レースは前年の32周から28周に短縮された。激しい暴風雨のため、1周目で半分以上のドライバーがアクシデントによってリタイアし、2周目に入った時には7台しか残っていなかった。4人のドライバーが滝のような雨が降るビュルナンヴィルコーナーでクラッシュした。ヨアキム・ボニエのクーパー・T81はバランスを崩してクラッシュし、車の前半分が空中に舞った。ジャッキー・スチュワートのBRM・P261はマスタキンクの電柱に激突してクラッシュ、マシンは大破して裏返しとなり、農舎の地階に逆さまに突っ込み、しばらくマシンに閉じこめられた[1]。さらにマシンからガソリンが漏れ始めたが幸い火災は発生せず、スチュワートの近くでマシンを止めた後続のグラハム・ヒルとボブ・ボンドゥラントが自らのレースを捨てて救出にあたり、スチュワートは骨折程度で助かった[2]。ジャック・ブラバムのブラバム・BT19は135 mph (217 km/h)でマスタキンクを過ぎていったが、コントロールを取り戻してレースに復帰した。コース上はあまりにも多くの水があり、1周目にジム・クラークがドライブするロータス・33のクライマックスエンジンが浸水するほどであった。なお、1周目はグリーンフラッグで走っている。 本レースは映画「グラン・プリ」のために撮影された。この映画の8分間で、ライブ映像とモックアップされたレースシーンの組み合わせが使われた。ライブ映像には、ジョン・サーティース、ボニエ、ロレンツォ・バンディーニ、ギ・リジェ、クラーク、ダン・ガーニー(自身が立ち上げたイーグルでのF1初出走)が実際に登場する。サーティースはジャン=ピエール・サルティの役名で、バンディーニもニーノ・バルリーニの役名でそれぞれ出演している。映画上のベルギーGPの時点で重傷を負っているスコット・ストッダード役のジャッキー・スチュワートを出演させないように配慮した[注 1]。なお先述の通り、スチュワートは1周目のクラッシュで早々と姿を消している。架空の日本チーム「ヤムラ」のモデルとなった白いマクラーレンは予選でのマシントラブルのため、決勝に出走しなかった。なお、マクラーレンはインディ500用のフォードV8エンジンを改良するため、暫定的にセレニッシマのV8エンジンを使用した[3]。ピート・アロン役の俳優ジェームズ・ガーナーがヤムラに乗るシーンを撮影するため、ボンドゥラントのマシンが白く塗られることになった。フィル・ヒルはノーズにカメラが搭載された撮影用マシンでコースを1周した。彼は1周目のアクシデントから逃れて、その場面の映像を撮影することができた[4]。 スチュワートはレース後、レースの安全性の啓蒙活動を進めるようになり、それは7年後の1973年にF1ドライバーから引退した後も続いた。 フェラーリ・312を駆るサーティースが1周目の多重事故を回避して首位に立ち、暫定マシンの246-66を駆るチームメイトのバンディーニも一時トップに躍り出る[5]。ヨッヘン・リントは360度スピンを成功させつつ、サーティースを抜いてしばしトップを走行するが[2]、サーティースはレース終盤になってから猛然と追い上げ、首位の座を取り戻して優勝した[5]。しかし、サーティースは翌週に行われるル・マン24時間レースでペアを組むドライバーの起用を巡ってエウジェニオ・ドラゴーニ監督と衝突し、フェラーリを去ることになる[5][6]。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第2戦終了時点のランキング
注釈
脚注
参照文献
外部リンク
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