1964年メキシコグランプリ (III Gran Premio de Mexico) は、1964年F1世界選手権の第10戦として、1964年10月25日にエルマノス・ロドリゲス・サーキットで開催された。
レース概要
それはおそらく、F1世界選手権の歴史の中で最も劇的なフィナーレと言えるであろう。ポイントは上位6名に 9-6-4-3-2-1 が与えられた。最終戦までに3名のドライバーにタイトル獲得の可能性が残された:グラハム・ヒル(BRM)39ポイント、ジョン・サーティース(フェラーリ)34ポイント、ジム・クラーク(ロータス-クライマックス)30ポイント。クラークがタイトルを獲得するためにはレースに勝利し、サーティースが3位以下、ヒルが4位以下にならなければならなかった。[1]サーティースがタイトルを獲得するためには優勝するか、2位でヒルが4位以下にならなければならなかった。
レースはクラークがポールポジションからスタートし、ブラバム-クライマックスのダン・ガーニーが後に続いた。(ガーニーはフランスで優勝、ベルギーで6位に入り、10ポイントで最終戦に臨んだ。)ヒルと、サーティースのチームメイトであるロレンツォ・バンディーニが3位を争い、そこから遅れてサーティースが5位を走り、彼にはタイトル獲得の望みが無いように思われた。バンディーニはスピンを喫し、順位を下げた。その後ヒルの車は排気管に異常を生じ、パワーを失った。タイトルはクラークの手中に入るかと思われた。順位がこのままであるならば、クラークは4勝を挙げてヒルと39ポイントで並ぶが、ヒルは2勝のためクラークがタイトルを獲得する。しかしながら64周目にクラークのエンジンは停止し、順位はガーニー-バンディーニ-サーティースの順となった。これでヒルがタイトルを獲得するかと思われた。レースはガーニーが優勝したが、フェラーリのマネージャーはサーティースにタイトルを獲得させるため、バンディーニに対してスローダウンしてサーティースを先に行かせるよう必死にサインを出した。バンディーニは律儀にこの指令に従い、サーティースは2位でフィニッシュ、ベスト6戦で39ポイントのヒルを1ポイント上回り、サーティースがタイトルを獲得した。
エントリーリスト
- 注釈
- ^ a b c d e ジム・クラークとマイク・スペンスは両方の車両をプラクティスセッションで使用した。最初のトレーニングセッションの後、ロータスは車両のナンバーを変更し、ジム・クラークは#1のロータス・33を決勝で使用した。マイク・スペンスは#2のロータス・25を使用した。
結果
予選
決勝
注
- 史上初めて3名のイギリス人ドライバーがタイトル獲得の可能性を持ってレースに臨んだ。以下は各ドライバーのタイトル獲得条件。
- グラハム・ヒル(39ポイント):
- 1位
- 3位かつサーティースが2位以下
- クラークが2位以下かつサーティースが3位以下
- ジョン・サーティース(34ポイント):
- ジム・クラーク(30ポイント)
- ジム・クラークはこの条件を達成する寸前まで行った。彼のエンジンがラストラップでブローしなければ、タイトルを獲得していた。
- もう一つの史上初、3コンストラクターがタイトルを争った。以下はタイトル獲得条件。
- フェラーリ(43ポイント):
- 1位
- 2位かつBRMの上位が3位以下
- 上位のロータス-クライマックスが2位以下かつ上位のBRMが3位以下
- BRM(42ポイント):
- ロータス-クライマックス(37ポイント):
- コンストラクターズタイトルも、クラークのエンジンがブローしなければロータス-クライマックスが獲得していた。
第10戦終了時点でのランキング
- ドライバーズランキング
|
- コンストラクターズランキング
|
- 注:トップ5のみ表示。ベスト6戦のみがカウントされる。ポイントは有効ポイント。括弧内は総獲得ポイント。
参照
- ^ ヒルはすでに7戦でポイントを獲得していたため、ベスト6戦分がカウントされる。ベスト6戦中オランダグランプリでの4位が最低のため、ポイントを増やすには4位以上に入賞する必要があった。クラーク、サーティースは共に5戦でポイントを獲得していた。
外部リンク