鼎村
鼎村(かなえそん)は、鳥取県東伯郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは河村郡に属した。 概要現在の三朝町余戸・片柴・坂本に相当する。 藩政時代には鳥取藩領の河村郡三朝庄(みささのしょう)に属する余戸村・片柴村・坂本村があった[1][2]。 村名は合併3ヶ村が鼎の3本の脚のように共存提携して行くという意を込めたものである。しかし鼎村発足直後の1889年(明治22年)10月26日に坂本村より「自治区域御変更願」が提出され、「片柴・余戸両村とは民情が大いに異なる」「当村は山がちで耕地が狭いため山林の原野のおかげで無難な生活を送れたが、町村制第6条・82条を実施すれば坂本村民は生活が困難となる」などの理由から単独村設置運動が展開された[1]。 沿革
行政戸長役場1914年(大正3年)9月11日に片柴で82戸を消失する大火災があり役場も類焼した。これに端を発して翌年頃から役場を坂本への移転運動が行われ、それに応酬して片柴では反対の請願書が提出されるなど活発な動きが起きた。役場位置問題は村議会で数名の議員辞職者が出るなど紛糾したが、小鹿・三朝両村長が仲裁に入り、消失した位置よりやや坂本よりに建設することや片柴・余戸両区で工事費180円を寄附を行うことで1917年(大正6年)5月13日に解決した[1][8]。 歴代組合村長
教育
脚注
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