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三徳村
みとくそん
三徳村
廃止日
1953年11月1日
廃止理由
新設合併
三朝村
、
三徳村
、
小鹿村
、
旭村
、
竹田村
→ 三朝町
現在の自治体
東伯郡
三朝町
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陰地方
)
都道府県
鳥取県
郡
東伯郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
1,621
人
(
国勢調査
、1950年)
隣接自治体
東郷町
、三朝村、小鹿村、
気高郡
小鷲河村
・
日置村
・
青谷町
三徳村役場
所在地
鳥取県東伯郡三徳村大字片柴1009番地
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テンプレートを表示
三徳村
(みとくそん
[
1
]
[
2
]
)は、
鳥取県
東伯郡
にあった
村
。現在の東伯郡
三朝町
の一部にあたる。
地理
三徳川
の上流、
三徳山
の北川に位置していた
[
2
]
。
河川:波関川
[
3
]
、小鹿川
[
4
]
歴史
1889年
(明治22年)10月1日、
町村制
の施行により、
河村郡
門前村、俵原村が合併して村制施行し、
三徳村
が発足
[
1
]
[
2
]
。旧村名を継承した門前村、俵原村の2大字を編成
[
2
]
。河村郡
鼎村
と
組合役場
を鼎村大字片柴村に設置
[
2
]
[
5
]
。
1896年
(明治29年)4月1日、郡の統合により
東伯郡
に所属
[
2
]
。
1912年
(大正元年)水害により鼎村とともに大きな被害を受けた
[
2
]
。
1914年
(大正3年)
9月11日、組合役場全焼により役場位置を大字片柴村1009番地に変更
[
6
]
。
11月1日、大字門前村・俵原村を門前・俵原に改称
[
7
]
。
1917年
(大正6年)12月1日、東伯郡鼎村と合併し
三徳村
が存続
[
1
]
[
2
]
。継承した余戸・片柴・坂本の3大字を加えて5大字を編成
[
2
]
。
昭和農業恐慌
に対応するため
農村更生運動
に取り組み、1929年(昭和4年)県内の酪農先進地域として乳牛19頭を導入した
[
2
]
。
1953年
(昭和28年)11月1日、東伯郡三朝村、小鹿村、旭村、竹田村と合併し、町制施行し
三朝町
を新設して廃止
[
1
]
[
2
]
。合併後、三朝町大字門前・俵原・余戸・片柴・坂本となる
[
2
]
。
地名の由来
三徳山にちなむ
[
2
]
。
産業
農業
教育
1918年
(大正7年)大字片柴の鼎尋常高等小学校を三徳尋常高等小学校に改称
[
2
]
。1929年(昭和4年)校舎が倒壊・焼失し1930年(昭和5年)校舎再建
[
2
]
。
1947年
、三朝村・小鹿村との3か村組合立三朝中学校を開校
[
2
]
。(現
三朝町立三朝中学校
)
名所・旧跡
三佛寺
(
投入堂
、国宝)
[
8
]
脚注
^
a
b
c
d
『市町村名変遷辞典』754頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
l
m
n
o
p
『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』742頁。
^
「片柴〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』221-222頁。
^
「余戸〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』828頁。
^
鳥取県町村合併誌
112頁(鳥取県、1964年)
^
「村役場位置変更」『官報』1914年11月12日
(国立国会図書館デジタルコレクション)
^
「字名改称並区域変更」『官報』1914年10月9日
(国立国会図書館デジタルコレクション)
^
「門前〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』775頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
31 鳥取県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
鳥取県の廃止市町村一覧