PERGURUAN TINGGI
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神中村
かんなかそん
神中村
廃止日
1917年11月1日
廃止理由
新設合併
神中村
、小鹿村 →
小鹿村
現在の自治体
東伯郡
三朝町
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陰地方
)
都道府県
鳥取県
郡
東伯郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
386
人
(『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』273頁、1912年)
隣接自治体
旭村
、小鹿村、
三徳村
、
気高郡
小鷲河村
、
八頭郡
西郷村
・
佐治村
岡山県
苫田郡
上齋原村
神中村役場
所在地
鳥取県東伯郡小鹿村大字高橋(組合村役場)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
神中村
(かんなかそん
[
1
]
[
2
]
)は、
鳥取県
東伯郡
にあった
村
。現在の東伯郡
三朝町
の一部にあたる。
地理
小鹿川
の上流、水源地域に位置していた
[
2
]
。
歴史
1889年
(明治22年)10月1日、
町村制
の施行により、
河村郡
神倉村、中津村が合併して村制施行し、
神中村
が発足
[
1
]
[
2
]
。旧村名を継承した神倉村、中津村の2大字を編成
[
2
]
。河村郡
小鹿村
と
組合村
を結成し、組合村役場を小鹿村大字高橋村に設置
[
2
]
。
1896年
(明治29年)4月1日、郡の統合により
東伯郡
に所属
[
2
]
。
1914年
(大正3年)11月1日、「神中村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「神中村大字○○」と改称
[
3
]
。
1917年
(大正6年)11月1日、東伯郡小鹿村と合併し
小鹿村
が存続
[
1
]
[
2
]
。合併後、小鹿村大字神倉・中津となる
[
2
]
。
地名の由来
合併旧村名の各一文字を組み合わせたもの
[
2
]
。
産業
農業、林業
[
4
]
産物:米
[
4
]
、薪炭
[
4
]
、苧
[
5
]
教育
1883年
(明治16年)中津村に東小鹿簡易小学校の分教場を設置
[
5
]
。
1885年
(明治18年)頃、神倉村に分校が所在
[
2
]
。1893年(明治26年)東小鹿簡易小学校、高橋簡易小学校を統合し小鹿小学校を設置し、中津分校は存続した
[
2
]
。
脚注
^
a
b
c
『市町村名変遷辞典』245頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』273頁。
^
「字名改称並区域変更」『官報』1914年10月9日
(国立国会図書館デジタルコレクション)
^
a
b
c
「神倉〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』273頁。
^
a
b
「中津〈三朝町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』556頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
31 鳥取県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
鳥取県の廃止市町村一覧