足摺 (軽質油運搬艦)

足摺
長崎沖で公試中の「足摺」(1943年1月)[1]
長崎沖で公試中の「足摺」(1943年1月)[1]
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[3](揮発油運搬艦(中)[4]
級名 足摺型[3]
建造費 予算 12,176,000円[5]
母港 横須賀[6]
艦歴
計画 昭和16年度[3](マル臨計画[7])
起工 1941年7月8日[2]
進水 1942年5月16日[2]
竣工 1943年1月30日[2]
最期 1944年6月5日沈没[6]
除籍 1944年7月10日[6]
要目(特記以外は計画)
基準排水量 7,951.40英トン[8]
公試排水量 8,400.00トン[8] または8,430トン[9]
満載排水量 8,609.30トン[8]
全長 133.00m[8]
水線長 130.00m[8]
垂線間長 126.00m[8]
最大幅 16.80m[8]
深さ 10.50m[8]
吃水 公試平均 6.00m[8]
満載平均 6.13m[8]
ボイラー 補助缶 ロ号艦本式缶2基[10]
主機 三菱横浜MAN式60型単動ディーゼル2基[3]
推進 2軸[10]
出力 6,000hp[8]
速力 16ノット[8]
燃料 重油 450.00トン[8]
航続距離 5,500カイリ / 14ノット[8]
乗員 計画乗員 192名[11]
兵装 40口径八九式12.7cm高角砲 2基4門[12]
25mm機銃 3連装2基[12][注釈 1][注釈 2]
搭載艇 計画:9m内火艇1隻、9m内火ランチ2隻、9mカッター2隻、6m通船1隻、13m特型運貨船1隻[13]
竣工時(塩屋):9m内火艇1隻、8m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船1隻[14]
その他 補給物件
計画:軽質油2,340トン(3,200kL)、航空機用潤滑油330トン(300kL)、真水150トン、25mm機銃弾薬500トン、航空機材10トン、野菜16トン(1000人、10日分)[15]
足摺完成時:軽質油2,350トン、航空機用潤滑油330トン、真水141トン、弾薬火工品(弾薬爆弾等)330トン、魚雷及付属品43トン(または爆弾83トン)、航空機材10トン、野菜16トン、計3,229トン[16]
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足摺(あしずり)は、日本海軍給油艦。軽質油運搬艦である足摺型給油艦1番艦。艦名は高知県にある足摺岬による[17]

艦歴

仮称艦名「第219号艦」[7]1941年(昭和16年)度マル臨計画2次計画により三菱重工業長崎造船所で建造され、1943年(昭和18年)1月30日に竣工[2]横須賀鎮守府籍となり、同日連合艦隊付属となる[6]

足摺の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、まず4月10日に佐伯を出港して横浜に向かっている[18]。6月15日には、特務艦洲崎」、陸軍タンカー「黒潮丸」(中外海運、10,518トン)、タンカー「あまつ丸」(石原汽船、10,567トン)とともに船団を構成して佐世保を出港して南方へ向かう[19]。時はヒ船団開設前夜、まず敷設艇平島」の護衛で高雄に向かい[19]、高雄では「あまつ丸」と別れ、また護衛艦が平島から駆逐艦「若竹」に代わり、Z船団を名乗って6月21日に高雄を出港[20]サンジャックを経由し、6月28日に昭南(シンガポール)に到着した[21]。9月22日には、サ12船団に加入して門司に向かう[22]。船団は9月25日にアメリカ潜水艦「ボーフィン」に攻撃されて特設運送船(給油・応急タンカー)「霧島丸」(国際汽船、8,267トン)が沈没[22]。「足摺」および中型タンカー「誠心丸」に対しても魚雷が発射されたが回避した[23]。11月10日にはサ17船団に加入して昭南との間を往復[24][25]1944年(昭和19年)に入り、1月6日に特務艦「塩屋」、特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに臨時M船団[26]を編成し、「第36号哨戒艇」の護衛を得て高雄を出港[27]マニラまではヒ29船団と同行し[27]、1月9日にマニラに到着後分離してタラカン島経由、1月15日にバリクパパンに到着した[27]。以後、バリクパパンとダバオサイパン島間の軽質油輸送などに従事。4月29日から5月1日にかけては、「第30号掃海艇」の護衛を得てタラカン島からバリクパパンへ航行[28][29]。6月1日時点ではヤップ島に在った[30][31][32]

6月5日、「足摺」は「高崎」とともに海防艦干珠」の護衛でスールー海を航行中、北緯06度32分 東経120度40分 / 北緯6.533度 東経120.667度 / 6.533; 120.667のクラシアン島近海でアメリカ潜水艦「パファー」に発見された[33]。「パファー」は魚雷を7本発射して全てが命中したと判断され[34]、「足摺」と「高崎」はこの攻撃により沈没した。7月10日除籍[6]

歴代艦長

艤装員長
  1. 栗林今朝吉 大佐:1942年7月10日[35] - 1943年1月30日[36]
特務艦長
  1. 栗林今朝吉 大佐:1943年1月30日[36] - 1943年10月10日[37]
  2. 佐々木喜代治 大佐:1943年10月10日[37] - 1944年6月15日[38]

同型艦

脚注

注釈

  1. ^ #福井pp.390-391では連装機銃2基になっている。#日本海軍全艦艇史p.864掲載の足摺の公試時の写真では3連装機銃を搭載、同p.865の塩屋の公試時の写真では機銃はまだ未搭載、#日本海軍艦艇図面集p.114、図83の「塩屋」一般艤装図は3連装2基。
  2. ^ 塩屋と同じ兵装であるなら、爆雷投下台4基(#日本海軍艦艇図面集p.114)、爆雷(#MS30 1905p.15)を搭載する。

出典

  1. ^ #日本海軍全艦艇史p.864。
  2. ^ a b c d e #日本海軍全艦艇史艦歴表p.31。
  3. ^ a b c d #日本海軍特務艦船史p.24。
  4. ^ #昭和造船史1pp.794-795。
  5. ^ #戦史叢書海軍軍戦備1p.805。
  6. ^ a b c d e #日本の軍艦13p.45
  7. ^ a b #戦史叢書海軍軍戦備1p.809。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」2頁。
  9. ^ #福井pp.390-391
  10. ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」24頁。
  11. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」27頁。
  12. ^ a b 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」5頁。
  13. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」30頁。
  14. ^ #日本海軍艦艇図面集p.114「83 給油艦 足摺型 塩屋 一般艤装図(舷外側面、上部平面)」(1943年11月9日付の完成図)。
  15. ^ 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」33、37頁。
  16. ^ #海軍造船技術概要pp.884-885
  17. ^ #片桐p.572
  18. ^ #佐伯防1804p.1
  19. ^ a b #佐鎮1806p.38
  20. ^ #高警1806p.21
  21. ^ #一護1806p.22
  22. ^ a b #駒宮p.92
  23. ^ #一護1809p.33
  24. ^ #PB36 1811pp.7-8
  25. ^ #一護1811p.40
  26. ^ #PB36 1901p.9
  27. ^ a b c #PB36 1901p.3
  28. ^ #MS30 1904pp.7-8
  29. ^ #MS30 1905p.11
  30. ^ #日本の軍艦13p.45
  31. ^ #海防艦戦記p.171
  32. ^ #木俣空母pp.598-599
  33. ^ #SS-268, USS PUFFERp.152
  34. ^ #SS-268, USS PUFFERpp.175-176
  35. ^ 昭和17年7月13日付 海軍辞令公報(部内限)第898号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086200 
  36. ^ a b 昭和18年2月1日付 海軍辞令公報(部内限)第1045号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089600 
  37. ^ a b 昭和18年10月13日付 海軍辞令公報(部内限)第1237号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  38. ^ 昭和19年6月17日付 海軍辞令公報 甲(部内限)第1515号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030404800『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 佐伯防備隊戦時日誌』。 
    • Ref.C08030345600『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 佐世保鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030510900『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 高雄警備府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030139700『自昭和十八年六月一日至昭和十八年六月三十日 (第一海上護衛隊)戦時日誌抜粋』。 
    • Ref.C08030139800『自昭和十八年九月一日至昭和十八年九月三十日 (第一海上護衛隊)戦時日誌』、21-46頁。 
    • Ref.C08030139900『自昭和十八年十一月一日至同十一月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』、27-52頁。 
    • Ref.C08030625000『自昭和十八年十一月一日至昭和十八年十一月三十日 第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』。 
    • Ref.C08030625100『自昭和十九年一月一日至昭和十九年一月三十一日 第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』。 
    • Ref.C08030617200『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 (第三十号掃海艇)戦時日誌』。 
    • Ref.C08030617300『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 (第三十号掃海艇)戦時日誌』。 
  • (Issuu) SS-268, USS PUFFER. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-268_puffer 
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年。 
  • 海防艦顕彰会(編)『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦13 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9 
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井静夫 編『-海軍造船技術概要別冊- 海軍艦艇公式図面集』今日の話題社、1987年12月。ISBN 4-87565-212-7 
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備(1) 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年11月。 
  • 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年。ISBN 4-87565-205-4 
  • 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
  • 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」

関連項目

座標: 北緯06度32分 東経120度40分 / 北緯6.533度 東経120.667度 / 6.533; 120.667