洲埼 (給油艦)

洲埼
東京湾で公試中の洲埼(1918年9月20日)[1]
東京湾で公試中の洲埼(1918年9月20日)[1]
基本情報
建造所 横須賀海軍工廠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 給油船[3]
運送艦[4](給油艦[5])
建造費 当初予算 1,560,000円(兵器費は含まず)[6][注釈 1]
母港 横須賀[5]
艦歴
計画 大正5年(1916年)度(八四艦隊案[7]
発注 1917年1月13日製造訓令[2]
起工 1917年11月29日[8][注釈 2]
進水 1918年6月22日[9]
竣工 1918年9月26日[10]
除籍 1940年4月1日[11]
その後 1942年解体[11]
改名 洲埼[3]
洲埼丸(大阪商船が運用中のみ)[注釈 3]
要目
基準排水量 8,800トン[12]
常備排水量 9,767トン[9][注釈 4]
満載排水量 11,190.95トン[5]
軽荷排水量 3,646.914トン[5]
総トン数 4795.06総トン[5][13]
全長 416 ftin (126.80 m)[5]
垂線間長 400 ft 0 in (121.92 m)[9]
最大幅 50 ft 0 in (15.24 m)[9]
吃水 常備 23 ft 0 in (7.01 m)[9]
軽荷 9 ft 3+12 in (2.83 m)[14]
満載 25 ft 8+1516 in (7.85 m)[15]
ボイラー 艦本式缶(石炭・重油混焼) 6基[9]
主機 直立3気筒3段膨張レシプロ[16]
推進 2軸[9]
出力 計画 6,000馬力[9]
実際 6,560馬力[5]
速力 計画 14ノット[9]
実際 14.439ノット[5]
経済速力 9.5ノット[5]
燃料 石炭満載:800トン、庫外180トン[5]
重油:228トン[5]
航続距離 3,580カイリ / 10ノット[5]
乗員 1920年 139名[9]
搭載能力 重油:5,767トン[5]
兵装 12cm単装砲 2門[9]
8cm単装高角砲 2門[9](竣工後撤去[1])
搭載艇 内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[5]
その他 2トン・デリック4本[5]
信号符字:GQVA(竣工時)[17]
トンは全て英トン
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洲埼(すのさき)[3][I]は、日本海軍の給油船[3]/運送艦[4](給油艦[5])。同型艦はない。艦名は千葉県房総半島南西端にある岬の名(現在は洲崎と表記)、東京湾の入口に当たる[18]。艦名は後に洲埼型給油艦1番艦に引き継がれた[19]

概要

1915年(大正4年)度計画の「志自岐」に続いて1916年(大正5年)度の八四艦隊計画により横須賀工廠で建造された。「志自岐」より艦型を拡大して石油搭載量を7割増し、また艦隊随伴が可能なよう速力を14ノットに向上させている[20]1917年(大正6年)1月13日に製造の訓令が出され[2]、4月4日「洲埼」と命名[3]、11月29日起工[8]、翌1918年(大正7年)6月22日進水[9]、9月26日に竣工した[10]

本船は汽船「洲埼丸」として[21]大阪商船に運行を委任[22]、貸与され[20]、10月1日に本船を引き渡した[23]。当時はまだ第一次世界大戦が終結しておらず、対外上の配慮として他国領域での軍艦の行動が憂慮されたためである[注釈 5]。大戦の終結した翌1919年(大正8年)9月20日に特務船に復帰[24]、本船は9月27日に大阪商船から引き渡しを受けた[25]

1920年(大正9年)4月1日に特務艦艇類別標準が制定され[26]、本船は特務艦に編入され、運送艦となった[4]

本船(本艦)の任務は、竣工後の第1回目の輸送は土崎から横須賀への重油輸送だった[27]が、1,809トン搭載[28]で中止し横須賀ヘ帰港[29]、「志自岐」に続いてボルネオ島からの重油輸送の任に就いた[30]。以降1937年(昭和12年)まで一貫してアメリカボルネオからの石油輸送であった[20]。また1938年(昭和13年)には中国方面にで活動する艦隊への給油活動を行っている[20]1940年(昭和15年)4月1日に除籍、「廃艦第14号」と仮称された[11]。艦を改修し再就役することが検討されたが、予算の問題で断念され、1942年(昭和17年)に解体された[20]

特務艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長
  • 武富咸一 中佐:1918年6月19日 - 1918年8月3日
  • (兼)武富咸一 中佐:1918年8月3日 - 1918年9月26日
指揮官
  • 武富咸一 中佐:1918年8月3日 - 1918年9月26日
  • 太田千尋 中佐:1919年9月20日[31] -
特務艦長
  • 太田千尋 中佐:不詳 - 1920年11月15日[32]
  • 副島慶一 中佐:1920年11月15日[32] - 1921年7月20日[33]
  • 西野作太郎 中佐:1921年7月20日[33] -
  • (心得)西野作太郎 中佐:不詳 - 1921年11月15日[34]
  • (心得)伊地知清弘 中佐:1921年11月15日 - 1921年12月1日
  • 伊地知清弘 大佐:1921年12月1日 - 1922年4月1日
  • 田中勇 大佐:1922年4月1日 - 1923年3月5日
  • 森山明 大佐:1923年3月5日[35] - 1923年9月1日[36]
  • (心得)合田四郎 中佐:1923年9月1日[36] - 1923年11月10日[37]
  • (心得)梅田文鹿 中佐:1923年11月10日[37] - 1925年4月15日[38]
  • (兼)松井利三郎 中佐:1925年4月15日[38] - 1925年6月15日[39]
  • 松井利三郎 中佐:1925年6月15日[39] - 1925年12月1日[40]
  • 磯部三男吉 大佐:1925年12月1日[40] - 1926年4月1日[41]
  • 津留信人 大佐:1926年4月1日[41] - 1926年11月1日[42]
  • 森田弥五郎 大佐:1926年11月1日[42] - 1927年6月25日[43]
  • 間崎霞 大佐:1927年6月25日[43] - 1927年11月1日[44]
  • 安藤隆 中佐:1927年11月1日[44] - 1928年8月10日[45]
  • 井上勝純 中佐:1928年8月10日 - 1929年5月1日[46]
  • 曽我清市郎 中佐:1929年5月1日[46] - 1930年4月8日[47]
  • 石原戒造 中佐:1930年4月8日[47] - 1930年11月15日[48]
  • 太田泰治 中佐:1930年11月15日 - 1931年10月15日
  • (兼)本田源三 中佐:1931年10月15日[49] - 1931年11月2日[50]
  • 浅野千之介 中佐:1931年11月2日[50] - 1932年2月1日[51]
  • (兼)山内大蔵 大佐:1932年2月1日[51] - 1932年12月1日[52]
  • 山村実 中佐:1932年12月1日[52] - 1933年11月15日[53]
  • 国生行孝 中佐:1933年11月15日[53] - 1934年2月20日[54]
  • 阪本敏 中佐:1934年2月20日[54] - 1934年11月15日[55]
  • 松山光治 大佐:1934年11月15日 - 1935年10月7日
  • 松永貞市 大佐:1935年10月7日 - 1936年4月25日
  • 伊藤賢三 大佐:1936年4月25日 - 1936年9月10日
  • 上条深志 中佐:1936年9月10日 - 1936年11月2日
  • 中尾八郎 中佐:1936年11月2日 - 1937年2月20日
  • 松岡知行 大佐:1937年2月20日 - 1937年9月25日
  • 小畑長左衛門 大佐:1937年9月25日 - 1938年8月20日
  • 早川幹夫 中佐:1938年8月20日 - 1938年11月1日

脚注

注釈

  1. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.247によると、大正五年度海軍省所管予定経費説明書では1,500,000円となっている。
  2. ^ #横須賀海軍工廠史2p.452によると大正6年11月28日起工。
  3. ^ #T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像11-12の登記證書によると大正7年10月7日登記受付、大正8年9月25日登記簿抹消受付
  4. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p588によると5,000総トン、排水量9,768トンとも。
  5. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』では北米からの石油輸入の際のアメリカ政府の取り扱いが憂慮されたから、また『世界の艦船』では当時は第一次世界大戦中で、中立だった蘭印からの石油輸送に使用するため、とある。

出典

  1. ^ a b #日本海軍全艦艇史下巻p.857
  2. ^ a b c #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(1)画像2-3『官房機密第五二號 大正六年一月十三日 海軍大臣 横鎮司令長官宛 五千噸積給油船製造ノ件 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ五千噸積給油船壱隻別紙要領書、図面、製造方法書並豫算書ニ依リ其ノ府工廠ヲシテ製造セシムヘシ 但シ船体部製造方法書ハ追テ海軍省艦政局長ヲシテ送付セシム 右訓令ス (別紙豫算書壱葉図面等九通並目録書壱葉添)』
  3. ^ a b c d e #海軍制度沿革巻八p.397『大正六年四月四日(達五〇) 横須賀海軍工廠ニ於テ製造ノ五千噸積給油船ヲ洲埼 スノサキ ト命名ス』
  4. ^ a b c #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム』
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #特務艦要目画像5-18『特務艦要目表 (大正十三年十一月調) 海軍省軍務局』
  6. ^ #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(1)画像4、豫算書
  7. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1pp.246-247
  8. ^ a b #大正6年公文備考巻19/雑船(2)画像47『横廠第五四四號ノ四 大正六年十一月二十九日 横須賀海軍工廠長 田中盛秀 海軍大臣加藤友三郎殿 給油船起工ノ件 給油船洲埼本日午前九時四十五分キール据付ヲ了ス 右報告ス』
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  10. ^ a b #T7公文備考20/特務艦製造画像54『横廠第二二一六號ノ五 大正七年九月二十六日 横須賀海軍工廠長田中盛秀 横須賀鎮守府司令長官名和又八郎殿 洲埼竣工竝ニ引渡ノ件 運送船洲埼工事竣工本日午前十時同船指揮官ニ引渡ヲ了シ候 右報告ス』
  11. ^ a b c 作成=中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.31
  12. ^ #倫敦会議7巻/資料(1)分割3画像15
  13. ^ #T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像11-12、登記證書
  14. ^ #特務艦要目画像5-18、軽荷前部4'9"1/2(1.461m)、後部13'9"1/2(4.204m)
  15. ^ #特務艦要目画像5-18、満載前部25'7"1/8(7.801m)、後部25'10"3/4(7.893m)
  16. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
  17. ^ #大正7年達/6月画像2『達第百七號 運送船洲埼ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 大正七年六月二十四日 海軍大臣加藤友三郎 GQVA 洲埼』
  18. ^ #日本海軍艦船名考p.213
  19. ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.587-588
  20. ^ a b c d e #日本海軍特務艦船史p.14
  21. ^ #T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像13-16、大正7年登記嘱託書
  22. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像48-50、大正7年9月26日発布 官房第3333号
  23. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像58『大正七年十月一日午後一時?分横鎮局發 午後二時二十分海軍局着 發信者 横須賀鎮守府長官 受信者 大臣 (平文)電報譯 洲埼丸本日大阪商船株式會社代理人ヘ引渡ヲ了ス (了)』
  24. ^ #T8公文備考20/汽船洲崎丸登録抹消に関する件画像9-10、大正8年9月22日附『登記嘱託書 一 船舶ノ表示 汽船洲埼丸 總噸数 四千七百九拾五噸〇六 登簿噸数 弐千参百参拾五噸六四 船籍先 横濱市 一 登記ノ原因其日附 大正八年九月弐拾日海軍特務船籍ニ編入 一 登記ノ目的 登記簿抹消 (以下略)』
  25. ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像56『横鎮第一七六四號ノ二 大正八年九月二九日 横須賀鎮守府司令長官 名和又六郎 海軍大臣 加藤友三郎殿 貴船受領ノ件 一、汽船洲埼 壱隻 右本月二十七日大阪商船株式會社ヨリ受授ヲ了シ候條 右報告ス』
  26. ^ #海軍制度沿革巻八p.57、大正9年4月1日附達第39号
  27. ^ #T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像2、洲埼丸第一回行動豫定ノ件
  28. ^ #T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像4-7、洲埼丸第一回輸送状況報告
  29. ^ #T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像9、『十月廿四日午後〇時卅分 横須賀鎮守府参謀長宛 電報(暗号) 洲埼丸土埼ニ於ケル重油搭載ヲ中止シ横須賀ニ帰港ノ上ボルネオ行準備ヲナサシメラレタシ(以下略)』
  30. ^ #T7公文備考50/洲崎行動予定並輸送状況画像12、洲埼丸外航第一回輸送状況報告
  31. ^ 『官報』第2141号、大正8年9月22日。
  32. ^ a b 『官報』第2488号、大正9年11月16日。
  33. ^ a b 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  34. ^ 『官報』第2788号、大正10年11月16日。
  35. ^ 『官報』第3177号、大正12年3月6日。
  36. ^ a b 『官報』号外第15号、大正12年9月14日。
  37. ^ a b 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
  38. ^ a b 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  39. ^ a b 『官報』第3843号、大正14年6月16日。
  40. ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  41. ^ a b 『官報』第4080号、大正15年4月2日。
  42. ^ a b 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
  43. ^ a b 『官報』第147号、昭和2年6月27日。
  44. ^ a b 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
  45. ^ 『官報』第488号、昭和3年8月11日。
  46. ^ a b 『官報』第699号、昭和4年5月2日。
  47. ^ a b 『官報』第980号、昭和5年4月9日。
  48. ^ 『官報』第1166号、昭和5年11月17日。
  49. ^ 『官報』第1441号、昭和6年10月16日。
  50. ^ a b 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  51. ^ a b 『官報』第1525号、昭和7年2月2日。
  52. ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  53. ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  54. ^ a b 『官報』第2141号、昭和9年2月22日。
  55. ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所)
    • 『倫敦海軍会議一件 第七巻/資料(一)(艦船要目、艦船表、その他) 分割3』。Ref.B04122588300。 
    • 『大正5年 公文備考 巻24 艦船1/製造(雑船)(1)』。Ref.C08020761300。 
    • 『大正6年 公文備考 巻19 艦船1/雑船(2)』。Ref.C08020923500。 
    • 『大正7年 達 完』。Ref.C12070074100。 
    • 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。 
    • 『大正7年 公文備考 巻50 艦船31止/洲崎行動予定並輸送状況』。Ref.C08021153000。 
    • 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/汽船洲崎丸登録抹消に関する件』。Ref.C08021316500。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍工廠史(2)』 明治百年史叢書 第330巻、原書房、1983年7月(原著1935年)。ISBN 4-562-01379-6 

関連項目