覇州

覇州(はしゅう)は、中国にかつて存在した五代十国時代から民国初年にかけて、現在の河北省廊坊市南部に設置された。

概要

幽州永清県の地にあたる。後に益津関が置かれた[1]

959年顕徳6年)、後周により益津関が覇州とされた。浜州棣州の丁夫が徴発されて、覇州の州城が築城された[2]。覇州は河北道に属し、文安大城の2県を管轄した[3]

北宋のとき、覇州は河北東路に属し、文安・大城の2県を管轄した[1]

のとき、覇州は中都路に属し、益津・文安・大城・信安の4県を管轄した[4]

のとき、覇州は大都路に属し、益津・文安・大城・保定の4県を管轄した[5]

のとき、覇州は順天府に属し、文安・大城・保定の3県を管轄した[6]

のとき、覇州は順天府に属し、属県を持たない散州となった[7]

1913年中華民国により覇州は廃止され、覇県と改められた。

脚注

  1. ^ a b 宋史』地理志二
  2. ^ 旧五代史』周書世宗紀
  3. ^ 『旧五代史』郡県志
  4. ^ 金史』地理志上
  5. ^ 元史』地理志一
  6. ^ 明史』地理志一
  7. ^ 清史稿』地理志一