沖縄バス
沖縄バス株式会社(おきなわバス)は、沖縄県那覇市泉崎に本社を置き、路線バス、観光バス事業、旅行業、不動産賃貸事業を営む企業。琉球バス交通、那覇バス、東陽バスと並ぶ沖縄本島の民間乗合バス会社4社のうちの1社である。通称は沖バス(おきバス)。新塗装の観光車両には「RESORT CRUISING Okinawa BUS LINES」や「Okinawa BUS LINES」と書かれている。 概要沖縄県においては琉球バス交通に次ぎ、第二の規模を持つ会社である。沖縄本島のほぼ全域を運行範囲とし、東村[※ 1]を除く沖縄本島の全市町村に路線を持つ。那覇と名護を結ぶ路線や北部支線において前述の琉球バス交通との共同運行路線を多く持っている。 沖縄本島には民間の乗合バス会社が同社を含め4社あるが、その中では前歴も含め、唯一法的整理(倒産)の経歴がない事業者である[※ 2]。 沿革戦前には沖縄本島に幾つかのバス会社が存在しており、那覇〜名護、那覇〜首里間などにて営業を行っていたが、沖縄戦により関連施設、機器は全て破壊され、会社も事実上すべて消滅した。 戦後のバス事業は、1947年に島尻郡佐敷村(現南城市佐敷)馬天に開設された公営バス管理所によるバス事業が始まりである。これが沖縄バスの前身であり、同年8月18日に運行開始した[1]。路線は知念を起点とする名護西線、名護東線、瀬嵩線、与勝線、島尻線と、名護を起点とする辺土名線、本部半島線の7系統であった。また、使用するバスは米国政府から借り受けた軍用トラックに幌をかけ、板の座席を取り付けただけのものであった[※ 3]。1949年8月ごろに営業所を佐敷村馬天から那覇市安里に移され、唯一の県民の足として重要な役割を果たし続けてきたが、1950年3月末頃に廃止され、1950年4月1日に設立された民営バス会社である沖縄バスに引き継がれた。なお、同社が設立されたのちの1950年から翌年にかけて、沖縄本島内に相次いでバス会社が設立された。最盛期には14社が存在し乱立したが、合併・統合が進み、1974年までに4社体制となった。沖縄バスと東陽バスは創業以来、他バス事業者との合併を一度も行っていない[※ 4]。 1990年以降は利用者の急激な減少により、同社を含む他同業者との統合計画が持ち上がったが、全て白紙となっている。2002年にバス統合準備室を設置して進めた統合計画の内容は、比較的経営状態の良い観光部門は各々の会社によって引き続き営業を続け、乗合部門のみを統合した新会社を設立するというものであった[2]。経営悪化に苦しんでいた琉球バス、那覇交通、東陽バスの3社は同意したが、沖縄バスは4社の中で最も経営状態が良く、また残る観光部門のために支払われる資金の少なさに、「残りの観光部門の会社も倒産する」と反対した[3]。4社の合意によってのみ統合するという決まりを立てていたため、統合は白紙となり統合準備室も閉鎖された。この1ヶ月後に那覇交通が民事再生法を適用し、1年後には第一交通産業グループに営業譲渡されている。 年表
営業路線、及び所轄営業所
廃止路線、及び所轄営業所
バスターミナル・営業所などバスターミナル・営業所・駐車場・修理工場
定期券・回数券販売所
閉鎖されたバスターミナル・駐車場、及び設置営業所
定期観光バス・バスツアー那覇バスターミナル付近にある沖縄バス観光部を起終点とし、沖縄本島内の観光地を巡る観光バスである。乗合バス扱いでコースが固定されている定期観光バスと、完全予約制の募集型企画旅行扱いでコースが一定期間ごとに変更される企画旅行コース(ツアーバス)が運行されている。 定期観光バスは以下の2コース、各1便が運行される。Aコースは沖縄本島南部のおきなわワールドや沖縄戦跡国定公園などを回り、Bコースは本島中・北部の海洋博公園(美ら海水族館)やナゴパイナップルパークなどを回る。空席があれば予約なしで乗車できるが、予約客が優先される。
かつては本島最北部の辺戸岬を回るコースも設定されていたが現在では取りやめている。 ツアーバスについては公式サイトを参照(定期観光バスも記載されている)。 車両自社関連会社の沖縄ふそう自動車が三菱ふそうの販売代理店であるため、車両は全て三菱ふそう製(製造時期により三菱自動車工業もしくは三菱ふそうトラック・バス)に統一されている[※ 5]。これは自社発注車だけでなく、譲受車においても適用されている[※ 6]。なお、以前は本島の乗合バス会社の中で三菱ふそう製のバスを導入していたのは沖縄バスのみだったが、2000年代に入り琉球バス交通と那覇バスも導入、2024年にグループ子会社になった東陽バスも導入したため、4社全てが三菱ふそう車を保有している。沖縄バス設立当初はGMCトラックのバスといすゞボンネットバスを保有していたほか、沖縄ふそう自動車が三菱ふそうの販売代理店となる前の1960年代にはいすゞ車を導入していた[24]。 読谷村コミュニティバス「鳳バス」専用車3台と、南城市コミュニティバス「Nバス」専用車8台は日野自動車製の車両であり、うち鳳バスの3台とNバスの7台がポンチョ、Nバスの1台がレインボーである。 一般路線車一般路線車として大型車のエアロスターおよび中型車のエアロミディを保有する。1990年代までの自社発注車両は出入口が前扉のみの仕様であるが、譲受車には前中扉や前後扉配置の車両もある。中(後)扉部分はステップを板などで埋める、あるいは中(後)扉を撤去して側面窓を設置した上で座席を増設して使用している[25]。塗装は白地に青色濃淡のストライプで、1984年以来、譲受車はこのデザインとなっている[26]。 2004年からは沖縄本島初の新車ワンステップバスを投入したが、車椅子の乗車に対応するため前中扉仕様での導入となっている。これ以降毎年ワンステップバスを導入しているほか、2013年からは県の一括交付金による大型・中型ノンステップバスも導入されるようになった。ちなみに、中型ノンステップバスの導入は、沖縄本島初である[※ 7][27]。同社が新車で投入したワンステップバス・ノンステップバスは従来車と異なり、エアロスターのサンプル車のデザインをそのまま流用している[28]。車椅子対応車両は車椅子での乗降のため中扉も機能するが、(以前存在した中乗り前降り方式の一部路線を除き)車椅子を使用しない乗客は前方の出入口より、ベビーカーは折りたたんで乗降する。譲受車にも車椅子対応車両もあるが、ノンステップバス以外の車両については中(後)扉を塞いだ上で座席を増設する改造が施されている為、車椅子対応車両ではなくなっている。それらは従来通りの塗装である。 1978年7月30日の交通方法変更に伴い導入された、いわゆる「730車」については、1台(沖22か1064、MP117K)が2004年に車体更新を受けて動態保存(日曜日の午前中のみ運用[29])されている以外は、本島の路線バス事業者では最も早く置き換えを完了した。譲受車を導入することで経年車の置き換えを促進しているものの、保存車を別にすれば最も古い車両は1986年式で、平均車齢は16年を超えている。 動態保存されている730車は2016年に板金補修に合わせて就役当初の青色濃淡に赤帯の塗装に戻された[30]。2020年9月現在は39番南城線で日曜午前に運行されている[31]ほか、大型連休や7月30日など、不定期に特定の路線を決めず特別運行という形でも運行されており、その他の日でも事前相談が必要であるが車両整備や運転士手配などに支障がない限り貸切運行に応じている。
過去の車両
行先表示沖縄バスではバスの正面は方向幕、側面は大型の行先表示板を併用していたが、これらに表示する行先・経由地のうち、字画数の多い一部の漢字をカタカナで略称表記しているものがある。例として「安ゲ名(安慶名)」「名ゴ(名護)」「那ハ(那覇)」「親ケ原(親慶原)」「辺ノ古(辺野古)」「屋ケ名(屋慶名)」「今キ仁(今帰仁)」などが挙げられ、あるいは「カデナ(嘉手納)」「コハグラ(古波蔵)」などのように、カタカナだけで表記されている行先・経由地もあるが、これらの表記は行先表示のLED化や車両の経年に伴う置き換えが進んだため、現在ではわずかしか見られなくなっている。また、沖縄本島のバスでは前面窓左側下部に経由地を示した表示板が置かれることがあるが、沖縄バスの場合はこの表示板の表示が「〇〇圣由」(「経由」の「経」の字の糸偏を省略した表記)になっている。 新車ノンステップバス導入以降、カラー対応LED式行先表示器の導入が急速に進み、主要経由地1か所に目的地とシンプルな表記に改められている。また、前面デジタル表示下部に小さ目ではあるがローマ字表記も併記されている。 車内案内放送かつては8トラテープ方式からレゾナント・システムズ製の音声合成装置を使用していたが、現在は指月電機製作所製の音声合成装置・運賃表示器を使用している(リモコンも取り換え)。なお、運賃箱メーカーの小田原機器とセットで導入したため、各機器に小田原機器のシールが貼られている。 沖縄バスで初めて音声合成装置を採用したのは、2004年に36番・糸満〜新里線用に導入したワンステップバス(現在は77番で使用)である。これが、沖縄本島初の音声合成装置の導入となった。 それ以降、一部の車両でも音声合成装置を搭載するようになるが、2008年4月25日の定期更新の際に8トラテープを更新した車両も多数あったが、音声合成装置への切り替えは順調に進み、最後まで8トラテープ方式であった87・287番、7・8番に使用される車両も経路変更のタイミングで音声合成装置に切り替えられた。 2015年のOKICA導入に合わせ、運賃箱の更新が行われ、そのタイミングに合わせ、運賃箱と連動可能な運賃表示器・音声合成装置の取り換えが行われた。系統設定は運賃箱の乗務員用液晶操作パネルで一括で設定可能となっており、従前の各装置での設定が不要となった。(ただし、LED行先表示器(沖縄バスは主にオージ製を使用)と整理券発行機は、出発毎に手動での設定が必要となる。) 音声合成導入時から、次停留所放送時のチャイム音はなく、すぐ「次は~」となっていたが、2016年4月下旬の放送内容定期更新に合わせる形で、一部車両において電子チャイム音が追加された。[※ 8](8トラ時代のチャイム音に極めて近い電子音となっている) 運賃箱2009年頃に、レシップ製 NF-3を全車へ導入したが、2015年4月からのICカード「OKICA」へ対応するため、同年2月より順次小田原機器製のRX-FTS型運賃箱へ機器更新(東陽バス以外の3社は同機種を採用)。 乗降方式
貸切車・高速車貸切車についてはほぼ毎年新車を導入している。 大型ハイデッカー貸切車についてはエアロバスK・2代目エアロバス・エアロエースを保有する。エアロバスKは1978年の交通方法変更時に採用された[32]青色濃淡ツートンカラーに赤帯のデザインである。2代目エアロバスとエアロエースは海をイメージした鮮やかな青色地にイルカ・マンタ・ハイビスカスのイラストを入れたデザインで、「マンタ号」と呼ばれる[33]。旅行会社と契約してオリジナルカラーとなった貸切車もある。過去にはJRバスに似たデザインのJRグループ契約貸切車もあった(同様のデザインの車両は那覇交通(現:那覇バス)にも存在した)。 各1台保有するスーパーハイデッカー(エアロクイーンK)と中型観光バス(エアロバスMM)はマンタ号カラー。 小型貸切車は白地に青・赤のストライプのデザインである[34]。首里駅 - イオン南風原ショッピングセンター間シャトルバス専用車として、マンタ号カラーのローザが1台ある[35]。 那覇空港リムジンバスは貸切車と同形・同色ながら乗合用途扱いの車両が使用される。貸切色のエアロバスKのほか、マンタ号カラーで行先表示器を備えたエアロエースもある[36]。 111番・117番高速バスには専用車が使用される。エアロバスK貸切車に高速バスの標記などを追加した車両や[37]、他社からの移籍車に独自塗装を施した専用車があり[38]、2019年には高速バス専用のエアロエースも導入された[39]。
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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