東京都立狛江高等学校
東京都立狛江高等学校(とうきょうとりつこまえこうとうがっこう、英: Tokyo Metropolitan Komae High School)は、東京都狛江市元和泉三丁目に所在する東京都立高等学校。狛高(こまこう)と略される。 概要狛江市内唯一の高等学校。市内南西部多摩川沿いに位置し、自然に恵まれた環境にある[1]。国際理解教育に力を入れ、オーストラリアのキラウィ高等学校や台湾の台北市立大同高級中学との交流や短期交換留学、毎年25名程度の長期留学生の受け入れなどを行っている[2]。また、東京外国語大学の留学生との交流活動を行っているほか、2009年からは国際理解教育の一環として日本国外(韓国もしくは台湾)への修学旅行を実施し、現地の学校との姉妹校交流を深めている。 教育のみではなく、部活動などにも力を入れていて[2]、硬式野球部の2021年に都立高校として唯一の8強入りや[3][4]、ダンス部の第15回日本高校ダンス部選手権優勝などにその実績が代表される[5][6]。 沿革1972年設立。それまで狛江市内に都立高校がなかったことから、1960年代より狛江市長や市議会に市内に高校設立の陳情や要望が多く寄せられ、開設の運びとなった。1973年度より授業が開始されたが、校舎の竣工が間に合わず、入学式および1学期の授業は東京都立世田谷工業高等学校で行うこととなった[7]。 なお、以下に示す年表は、特記なき限りこの学校の公式ホームページを出典とする[8]。
教育「地球的視野を持つ、文武両道の逞しい人材の育成」を目指している。国語・英語・数学の3科目を中心に習熟度別授業を実施し、基礎学力を重視した教育を行っている。また、平日7時間授業を採用する代わりに土曜授業を実施しており、これにより「内容の濃い学習をすることができる」「放課後の時間を有効活用できる」としている[9]。また、進路に関しては4年生大学を希望した生徒のうち8割以上の生徒が現役で進学し、150名以上の生徒がGMARCHに合格したとしている(2024年[10])。 前述した通り、国際理解教育に力を入れていることから、東京都教育委員会より国際交流リーディング校に指定されている[8]。英語教育に力を入れているほか[10]、希望者は中国語をはじめとする第二外国語を学ぶことができる。留学生を積極的に受け入れているほか、修学旅行の訪問先を例年日本国外に設定している。 象徴制服現行の制服はブレザーで、夏服と冬服が用意されている。女子生徒はスカートとスラックスから選択できる[11]。 校章飯田繁によるデザインで、イチョウ(公孫樹)をモチーフにしたもの[11]。開校前この地は和泉多摩川緑地の一部をなしていて、一帯には池とバラ園があった[7]。本校正門付近のイチョウ並木は、その池の周りに植えられていたものである[7]。なお、狛江市の市の木もイチョウで、各地に植えられている。 校歌1974年5月制定。作詞は国文学者坊城俊民、作曲は英文学者で元武蔵大学教授の田崎篤次郎[11]。この2人による校歌としては他に、「都立九中・二十四中合併記念校歌」(東京都立第九中學校(現:東京都立北園高等学校)第二校歌)、「上板橋第二中学校校歌」などがある[12]。歌詞には、万葉集の中に狛江市のこととして「多摩川に曝す手作さらさらに何そこの児のここだ愛しき[注 1]」と詠われていることを踏まえ、「高麗人の伝へし技を受け継ぎてあづま乙女は布さらしけり」という反歌が挿まれている[11]。 学校行事修学旅行では前述の通り例年台湾へ旅行する[13]。台北市立大同高級中学校の学生とも交流する。文化祭・体育祭は総称して公孫樹祭と呼ばれているが、別々に開催される。体育祭は毎年6月に、文化祭は毎年9月に行われる。そのほかの学校行事としてはロードレースや合唱祭、球技大会などがある。 部活動運動部18部、文化部13部の合計31部の部活が存在する[2]。 運動部ダンス部は日本高校ダンス部選手権で2024年現在4回の優勝経験があるほか、日本ダンス大会でも第5回大会に優勝した経験がある[5]。硬式野球部は公立学校の野球部ながら2021年選抜高校野球大会21世紀枠の東京都推薦校に選出され、大きな話題を呼んだ[3][4]。また、男子サッカー部は2018年の関東高校サッカー東京都予選で都ベスト4に進出。
文化部筝曲部は全国大会常連として知られる。
著名な関係者出身者
教職員
交通脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
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