東京都立国分寺高等学校
東京都立国分寺高等学校(とうきょうとりつ こくぶんじこうとうがっこう)は、東京都国分寺市新町三丁目に所在する東京都立高等学校。略称は「ブンジ」。 概要1969年、国分寺市の地元住民の要望で設立された都立高校。住宅地の中に立地し、周辺住民や生徒・他校生からは「ブンジ」として親しまれ、国分寺高校の生徒は「ブンジ生」と呼ばれている[2]。都立高校の改革以降、着々と上向きつつある進学率とユニークな教育課程から人気が高まり、入試の志願倍率も高い。2004年度入試から自校作成問題(国・数・英)を出題していた。2014年度入試からは都立高入試グループ作成体制となり、新宿・墨田川と共に進学重視型単位制高校グループとしてグループ作成問題(国・数・英)を出題している[3]。 土曜日に予備校講師を招き特別講習を行っていた時期があり、NHKクローズアップ現代「予備校講師が高校にやってきた」において取り上げられた。2005年度からは特別講習に代わって土曜授業を復活させている(年20回)。2007年6月より駒場・小山台・新宿・町田の各校と共に「進学指導特別推進校」に指定され、進学実績の更なる向上を図っている。2017年度入試から再び自校作成問題(国・数・英)を出題し、2018年度大学入試では現役の国公立大学合格者数100人という飛躍を見せた。さらに2020年度大学入試においては同じく現役の国公立大学合格者数108人という新記録を打ち出した。 2001年に新校舎が完成。進学重視型単位制への移行に対応し、可動パーティションを備えた講義室やゼミ室、自習室を備えているのが特徴である。この校舎は2006年公開の劇場用アニメ映画「時をかける少女」でロケハンされ、登場人物の制服も本校のものであり、階段や廊下、化学室等が登場している。
交通出典 : [4]
沿革
教育理念
なお、創立当初は『知・情・意』の三つを兼ね備えた人物の育成を掲げ、本校校歌もそれに合わせ、1番:聡く広やかな知恵、2番:直く豊かな情(こころ)、3番:強く高やかな意思、と謳われている。 作詞は、混声合唱曲『君しあわせか』を作詞作曲の仁平忠彦、作曲は『ちいさい秋みつけた』や『夏の思い出』を作曲の中田喜直。 教育単位制高校としての特色単位制高校として、また進学指導特別推進校として様々な特色がある。主要科目の教員は公募制により選抜されている。通常の高校より教員数が多く配置されており、国語(古典)、数学、英語など一部の科目[7]では少人数制授業が展開されている。ホームルーム教室として使用される通常の教室に加えて、講義室が1~6の6室設置[8]されていたり、自習室、ゼミ室など多数の用途で使用される部屋が多くある。 単位制による選択科目将来の難関大学合格に重点を置いた単位制高校であり、前述の通り、主要科目の教員は公募制により選抜された教員が集められている。2年次から文理選択をし、中には複数の内から選べる選択科もある。3年次は大半が選択科目なっている[9]ため、個々の志望校や学力に合わせて科目を選ぶことができる。「文系古典探究」や「数学III」といった基礎発展系の科目、「日本史演習」「世界史演習」「数学演習」などの入試演習科目のほか、「英会話」「スポーツ」「フードデザイン」といった教養系科目も充実している。 国際交流事業国際交流に力を入れており、オーストラリアのサウスオーストラリア州マリオン市(国分寺市の姉妹都市)にあるハレットコーヴ校との相互訪問が行われていたが、ハレットコーヴ校の校長変更に伴う方針の変更によりやや強引に2015年(46期生)を最後に打ち切りとなった(同年はオーストラリアから日本への訪問は無く、相互訪問形式は解消されていた)。2016年(47期生)よりシドニー郊外のニューサウスウェールズ州セントラルコースト市にあるテリガル高校へ訪問する形式へと変更となった。なお、相互訪問は継続しており、日本からオーストラリアへの訪問が3月、オーストラリアから日本への訪問が7月となっている。 高大提携・接続教育プログラム東京学芸大学、東京農工大学、津田塾大学、東京経済大学、東京都立大学などの大学と協定を結び、いわゆる「高大提携」を実施している。2013年からは、東京外国語大学も高大連携大学となっている。これらの大学で講義を受けると大学入学後単位として認定される制度や大学の教授の出張講義などがある。 行事各項の後の括弧内は参加学年である。表記がない場合は全学年による。
施設
なお本校は災害時の一時滞在施設・避難所・災害時帰宅支援ステーションに指定されているため、これらの施設が有事の際には開放される。 委員会等活動校内活動括弧内は委員会の構成委員。数字は人数である。
青空委員会青空委員会は、2016年4月に発生した熊本地震を契機に、本校生徒会総務委員会および木もれ陽祭運営委員会を主体とした多摩地区の都立高校11校(国分寺・国立・立川・八王子東・小金井北・調布北・府中・町田・多摩科学技術・日野台・武蔵)と青山の計12校で結成された組織。 当初は熊本地震への支援として本校文化祭のみで募金活動を行う方針であった。しかし募金額には限りがあることから、より多くの支援金を募るため、また周辺高校との連携強化を図るために呼びかけを行い、趣旨に賛同した都立高校が集まりこのような十数校規模の団体となった。 この委員会による最初の活動として「高校生共同募金プロジェクト」を開始した。この中で各校は文化祭等で募金活動を行い、熊本地震への支援金とした。 最初の活動が終了した後も月一回の定例会など、以降の活動も継続しており、更なる参加校等の拡大を目指している。 部活動行事だけでなく部活動も盛んな学校であり、生徒の部活動加入率は95%を超える(兼部を含めると100%を超える)。 体育系の部活動では、近年では陸上競技部が強く、2020年から2024年まで5年連続関東大会(南関東総体・関東新人大会)に出場している。また、全国インターハイ出場経験もあり、近年では2022年に女子七種競技で徳島での四国インターハイに進出し、全国第24位の成績をおさめた。2024年には男子400mハードルで福岡での北部九州インターハイに出場し、全国第3位入賞を果たしている[15]。 またサッカー部は部員数が約100名と多く、1996年、1998年(関東でTV中継があった)、2001年に全国高校サッカー選手権東京都大会の決勝に進出している。当時のGKでOBに森田耕一郎がおり、彼は2018年度本校で教育実習生(保健体育)として体育の授業でサッカーを指導した。最近では2018年にベスト4に進出した。野球部は夏の全国高校野球選手権大会西東京大会において1990年、1999年、2002年、最近では2018年にベスト8進出を果たしている。また、水泳部は、関東大会及びインターハイ出場経験が何度かあり、ダンス部は日本高校ダンス部選手権、全国大会への出場経験がある。ハンドボール部、ソフトテニス部、女子バレーボール部、剣道部、ソフトボール部は関東大会出場経験がある。 文化部では吹奏楽部・軽音楽部といった音楽系の部活動が人気である。 部員数が50人を超える大規模な部としては、サッカー部、ダンス部、水泳部、吹奏楽部、軽音楽部、生物部などが挙げられる。なお、部活動のほかに同好会も設けられている。部・同好会間の連絡を密にするために、部・同好会連絡協議会(通称「部同連」)が設置されている。 部活動体育系
文化系同好会学校祭毎年9月に「木もれ陽祭[16]」(合唱祭[17](1974 - )、文化祭(1970 - )、体育祭(1969 - )、中夜祭(1976 - 2015まで『後(中)夜祭』、2016 - より正式に『中夜祭』[18])の4祭)を土・日を含む約1週間でまとめて行う。本校関係者(生徒・教員・保護者)以外が入場できるのは基本的に文化祭のみである。 4祭集中開催に至るまでの経緯1974年から四祭を集中して実施していたが、1976年にその旨が生徒会規約に制定された。背景として、1974年、1975年と休日が連休となり日取りに恵まれたが、1976年は休日の配置の間が合わないためのスケジュール議論が紛糾し四祭を集中実施することの是非までも問われた。木もれ陽祭運営委員、生徒会や担当教諭を含め、学業への影響や準備作業集中などについて侃々諤々の議論の末の決定であった。結果、木もれ陽祭は四祭集中開催となり、ブンジ生の象徴として、ここぞの一番で完全燃焼ができる体質を取得できる土壌として有意義な環境が提供できることとなった。 これに関連して1976年の日取りは、 なお、昨今は、合唱祭、文化祭、体育祭の間に各々の準備日と片付け日(なか日)を設け、稼働集中による過労とならないように配慮されている。2016年の場合、
となっている。 この2016年度体育祭では、予定日(9月13日)は豪雨のため中止となり、翌日の予備日(14日)も競技場使用不可と判断された。そのため、開催競技を絞った上で、予備日(14日)に校庭開催という稀なケースとなった。体育祭の校庭開催は1997年以来19年ぶりであった。 合唱祭合唱祭では、各クラスが合唱曲を選択し(1年生は選択曲に加えて校歌も)発表をする。審査は外部審査員や木もれ陽祭審査庶務委員会によって行われる。外部審査員による審査による賞や木もれ陽祭審査庶務委員会による賞などが優秀クラスに授与される。練習期間も長く、特に3年生は9月の本番に向け4月頃から毎日練習をするため、どのクラスも非常に質の高い合唱が披露される。クラス別の合唱以外にも有志団体(吹奏楽部・コーラス部・教員など)による合唱等も披露される。RAG FAIRの土屋礼央や加藤慶之も有志の合唱でアカペラを披露している。会場は立川市民会館(アミュー立川、現:たましんRISURUホール)、オリンパスホール八王子などであり、2017年度は所沢市民文化センター ミューズで開催された。また、合唱祭が平日開催となり、会場の都合により一家庭一人の指定席制となっているため、鑑賞できない父兄への対応として、文化祭期間中に後援会・PTA部屋にて、大画面液晶モニタにて合唱祭の様子の映像が上映されている。 文化祭![]() 文化祭は例年土日に開催される。保護者をはじめ、地域住民や中学生など多くの人が訪れる。なお、木もれ陽4祭の中では唯一一般市民が参加できる祭りとなっている。出し物はクラス単位または部活動単位で行われる。クラス単位では、1・2年生はレクリエーション(お化け屋敷等を含む)、食堂・喫茶、演劇から選択する。その内、お化け屋敷は2団体、食堂2団体、喫茶2団体と定数が決まっている[19][20]。近年は、1年生が8団体(クラス)のうちレクリエーション6団体、お化け屋敷2団体、2年生が8団体中演劇4団体、食堂2団体、喫茶2団体という形が定型となっている。3年生は8団体すべてが演劇を選択し、武道棟もしくは体育館にて本格的な演出が行われ、一見に値する。多い場合は体育館の座席をすべて埋めるほど盛況となることもある。通常の進学校では学園祭に深く関わるのは1・2年生のみという場合が多いが、当校では3年生も積極的に学園祭に参加することが大きな特徴である。 部活動単位では運動部系ではダンス部が、文化部では生物部、科学部、書道部、吹奏楽部やレゴ部などが実演・展示を行っている。中でも生物部は人気である。文化祭当日は校内各所に各団体の催し物が開かれ、1・2年生のレクリエーション・喫茶・演劇が主にホームルーム教室、食堂は書道教室・被服室(調理室で調理)、部活動は特別教室および講義室、3年生の演劇は剣道場(武道棟)・体育館となっている(3年生演劇のスケジュールは前もって決められており、各クラスが1日1回の公演を行い、1日目とは異なる場所で2日目の公演を行う形となっている)。基本的には1団体1教室であるが、お化け屋敷団体に関しては2教室、喫茶団体に関しては店舗1教室、準備室1教室という割り当てである。また2016年には青空委員会の「高校生共同募金プロジェクト」に基づいた募金活動を実施した。 中夜祭![]() 文化祭2日目終了後の夜に体育館で行われる。軽音楽部・ダンス部・吹奏楽部等のパフォーマンス、有志によるお笑い、ミスター・ミスコンテスト、文化祭の審査結果発表[21]などが催される。2015年からは中夜祭にもテーマが設定され、パフォーマンス等もテーマに則ったものとなっている。 体育祭![]() 体育祭は木もれ陽祭を締めくくるイベントであり、例年立川市の立川陸上競技場(旧:立川市営競技場)で行われている。2017年度は当競技場が改修工事を行うため、前年度(天候不良により校庭開催)と同様に校庭開催が予定されている。大きく分けて競技と応援合戦で構成されており、それぞれ競技杯と応援杯と呼ばれる賞があり、1 - 8組を縦割りにした1 - 3学年統合の8団(1組から緑・白・赤・茶・紫・桃・青・黄)が争う。競技杯では各学年の全員リレー、学年種目(1年生:ムカデリレー、2年生:いかだ流し、3年生:大縄飛び)、ぶんじ最速王、部対抗リレーなどが開催され、総得点数が多い団3位までが入賞となる。対して応援杯は体育祭の目玉と位置付けられ、8団がそれぞれの「テーマ」で演技をする。こちらも審査によって上位3位までが入賞となる。応援杯の中心には応援団(通称「援団(えんだん)」)がいる。中でも3年生の「援団」は、9月の本番に向けて2年次の1 - 2月から準備を始める。3年生「援団」のうち男女各1人が団長・チアリーダー(通称「団チア」)として選出され、団のリーダーとしてだけではなく、8団の「団チア」16人からなる「団チア会」は木もれ陽祭運営委員会(後述)と並んで、体育祭だけでなく、木もれ陽祭全般に関して重要な役割を担っている。 運営木もれ陽祭は木もれ陽祭運営委員会(通称「こもうん」)[22]を中心に、各祭実行委員会(合唱祭実行委員会「合実」・文化祭実行委員会「文実」・中夜祭実行委員会「中実」・体育祭実行委員会「体実」)と木もれ陽祭審査庶務委員会「KSS:Komorebi-sai Shinsa Shomu」[23]の5委員会によって運営される(運営主体は2年生)。各祭実行委員と審査庶務委員はクラスから2名ずつ選出される。なお、木もれ陽祭運営委員会と各祭実行委員会、木もれ陽祭審査庶務委員会に加えて、放送委員会が木もれ陽祭において重要な一端を担っている。 著名な関係者卒業生
脚注
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