木曽町 (町田市)
木曽町(きそまち)は、東京都町田市の地名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は194-0033[3]。 地理町田市の中西部に位置する。数度の住居表示及び地番整理により、木曽東と本町田に囲まれた箇所のわずかな面積を残すのみとなった。 河川
旧字現在の木曽町では字が廃止されているが、かつてはいくつかの字が存在していた。現在でも地区名や自治会の名称として使用されることがある。
現在の木曽中学校・木曽境川小学校がある地域。木曽中学校からは縄文時代の遺跡が見つかっている。現在は橋や緑道に名前が残っている。
旧府中大山街道・神奈川往還(旧町田街道)木曽宿の西端部であり、町田木曽西郵便局や木曽秋葉神社、都立町田総合高校が存在する地域である。現在の木曽西三丁目にあたり、町内会館や公園、路線バスの停留所に名前が残っている。
木曽宿の中央部にあたる。旧家や広大な田畑が点在し、往時の風景が一部残っている。この地名の名残はない。
木曽宿の東端で、府中大山街道と神奈川往還が二手に分かれる地域。覺圓坊(天台寺門宗)、木曽の一里塚、TSUTAYA町田木曽店が存在する。かつては「横丁」という表記だった。現在はバス停にのみ名前が残る。
横町から現・町田街道を挟んで対面にある地域。傳重寺、町田病院、木曽金刀比羅神社などがある。三家と統合されたため地名は残っていない。
明治時代に谷・日向谷(現在の木曽西五丁目の一部と山崎一丁目の全域、山崎町の一部にまたがる地域)が統合されたことにより誕生した字。戦後に松本を統合したが、現在は旧・松本の地域にのみ名前が残る。
現在は境川団地が広がる地域。度重なる河川改修により対岸の相模原市淵野辺・古淵地区と境界変更が複数回行われている。境川幼稚園、木曽幼稚園、木曽八坂神社、境川クリーンセンターなどが存在する。 歴史1183年(寿永二年)源頼朝と木曾義仲の和解の手段として、義仲の息子・義高が人質として鎌倉入りする際、当地に逗留して八幡を造営したと伝わる(木曽八幡)。1617年(元和3年)には徳川家康の遺櫃が、駿河国久能山から下野国日光へ移される途上に木曽村を通過した。櫃が通過した道はその後大山街道として整備され、現在の町田市域では木曽町と小野路町が宿場としての役割を果たすようになった[5]。横浜開港後は、商品流通の道としても賑わった[6]。 地名の由来矢部八幡社の鐘の銘によると、鎌倉時代に信州より木曾氏が移り住んだことから木曽という地名が起こったという。しかしその鐘は現存していない[7]。 沿革
世帯数と人口2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
交通鉄道小田急小田原線・JR横浜線の町田駅、もしくはJR横浜線の古淵駅が最寄り駅である。 路線バス「滝の沢」バス停留所から神奈川中央交通の路線バスで町田バスセンター行き(一部便は町田ターミナル行き)、鶴川駅行き、淵野辺駅北口行き、橋本駅北口行き(一部便は多摩境駅経由)などがある。 道路施設
生活関連サービス
脚注
参考文献
外部リンク |
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