彦根高等商業学校
![]() 彦根高等商業学校(ひこねこうとうしょうぎょうがっこう)は、1922年(大正11年)10月に設立された旧制専門学校。全国9番目の官立高等商業学校。通称は彦根高商。 概要
![]() 沿革
歴代校長
彦根工業専門学校・彦根経済専門学校
校地の変遷と継承
著名な教員
著名な出身者
創立に関わった人物
県知事の森正隆は、犬上郡長の平塚分四郎と、犬上郡会議長と彦根町会議員を務めていた渡辺九一郎とに彦根町への高商誘致を持ちかけた。平塚は、高商の誘致には「何より金が第一」であると考え、「大阪方面の人々」に協力を求めたという。その人々とは彦根町にゆかりのある阿部房次郎、岸田杢、弘世助太郎、不破栄次郎、松本鉄次郎、犬上郡に隣接する神崎郡出身の田附政次郎といった江州系企業の経営者であった。平塚は、主に犬上郡出身の実業家からの金銭的援助を取り付けたのである。 また渡辺は、彦根町の「銀行の重役」から拠金の同意を得ることに成功した。「銀行の重役」とは、安居喜八、石橋彦三郎、広野織蔵、大橋弥一郎、前川善平である。彼らは彦根町に本店がある百三十三銀行(現在の滋賀銀行)の取締役であると同時に、それぞれが別の企業も営んでいた。彼らと同じく実業家であり、犬上郡選出の県会議員をしていた安居喜造にも声をかけ、渡辺を除く6名が拠金することを約束したという。「芳名録」によると、彼らの拠金額は合わせて8万円であった。渡辺は、彦根町の経済の中心にいた実業家から金銭的援助の約束を得たのである。 結局、原敬首相・中橋徳五郎文部大臣にも陳情書を提出した県庁所在地の大津市側の誘致運動を退け、犬上郡・彦根町側が高商誘致に成功できた主たる要因は、その財力。「芳名録」によると、寄附者は238名、総金額は43万5322.5円、寄附者のうち、44名が『人事興信録』に掲載されるほどの「交際社会に名を知られたる紳士」。彼らは江州系企業や滋賀県で展開している企業を複数率いる実業家であった。企業を経営しながら、貴族院議員や大阪府会議員、京都商業会議所や大阪商工会議所の議員を務めている者もいた。また、旧彦根藩藩主の井伊家の当主であった直忠も寄附した[12]。 関連書籍
関連事項他の高等商業学校については高等商業学校#主要な高等商業学校を参照。
脚注
参考文献
外部リンク
座標: 北緯35度16分36.63秒 東経136度14分49.71秒 / 北緯35.2768417度 東経136.2471417度 |
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