松本雅男
松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 1993年2月10日[1])は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。 人物・経歴1904年、和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。1922年和歌山県立和歌山商業学校卒、1925年山口高等商業学校卒業、同年歩兵第8連隊入営、1927年青島学院商業学校教諭、1929年大日本帝国陸軍少尉、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。金融論の井浦仙太郎ゼミ出身で、本科2年時に、論文「戦時戦後におけるわが国為替相場変動の研究」が鳳聚会二等上席に入選し出版される[2]。 大学卒業後は彦根高等商業学校金融論担当助教授就任が一旦決まったが、その後担当が専門外の原価計算及び簿記と変わり、辞任も考えた末以降会計学専攻に転じて高瀬荘太郎に師事し同職を務めた。1932年、教授に昇格し工業経営論を開講。1936年から文部省派遣により2年間ドイツ、イタリア、アメリカ合衆国に留学し、ベルリン商科大学(現フンボルト大学ベルリン経済学部)でハインリッヒ・ニックリッシュやコンラート・メレログィッツの講義を、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マインでフリッツ・シュミットの講義を聴講するなどした。オイゲン・シュマーレンバッハの助言により、管理会計の構想に着手。1961年「標準原価計算の本質」を一橋大学に提出して商学博士を取得。また、同年には日本会計研究学会上野 ・太田賞を受賞した[2]。 高瀬の招きで1941年東京商科大学予科教授に就任するが、1944年体調不良のため和歌山に戻り、和歌山連隊入営。歩兵第61連隊独立歩兵第64大隊付少尉となるが、陸軍所属の教え子の配慮により1945年に第6方面軍司令部付に異動となり前線を離れ日本の降伏を迎えた。1946年招集解除。 戦後、一橋大学教授となり、1959年には管理会計講座を開講した。1963年一橋大学商学部附属産業経営研究施設 (現一橋大学イノベーション研究センター)長。1968年に定年退官し、名誉教授となった。その後も成蹊大学経済学部教授、国際商科大学(のち東京国際大学)教授として教鞭をとった[3]。 業績・研究内容受賞・栄典
著書
共編著
翻訳
論文脚注
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