山崎晃大朗
山崎 晃大朗(やまさき こうたろう、1993年8月11日 - )は、和歌山県那賀郡貴志川町(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。左投左打。現在は東京ヤクルトスワローズで二軍外野守備走塁コーチを務める。 経歴プロ入り前西貴志ドリームスで野球を始める。同じ西貴志小学校の1学年上に西川遥輝、4学年上に益田直也がいた[1][注 1] 中学時代には地元の和歌山北ボーイズで投手兼外野手としてプレー。 中学卒業後は青森山田高等学校へと進学し、2年秋から中堅手レギュラーを獲得。3年の春に控え投手を務め、3年春の準々決勝、準決勝と連続完封も記録。3年夏予選は両チーム合計41安打の打撃戦の末、光星学院高校に敗れるも個人としては決勝で2ラン含む3安打など4戦15打数9安打8打点と好成績を残す(甲子園出場経験はなし)。 日本大学時代は1年春からリーグ戦に出場。2年秋までは主に代走・守備固めを務め、3年春にレフトのレギュラーを掴み規定打席に到達。3年秋からは1番打者を任され、リーグ最多の3三塁打、5盗塁を記録する。4年に打率.333、15安打11四死球の好成績を残し、拓殖大学との入れ替え戦では2試合4安打の活躍で7シーズンぶりの一部昇格に貢献した。また高校の1年後輩に木浪聖也、高校・大学の1年後輩に京田陽太がいる。 2015年のプロ野球ドラフト会議で、大学の先輩・真中満が一軍監督を務める東京ヤクルトスワローズから5巡目で指名。契約金3800万円、年俸800万円(推定)という条件で契約した。背番号は、真中が現役時代に付けていた31[3]。 ヤクルト時代2016年、同期入団の原樹理とともに、春季キャンプを一軍でスタート。キャンプ中には、臨時コーチの若松勉をはじめ、一軍の首脳陣から打撃面で非常に高い評価を受けた[4][5]。7月14日のフレッシュオールスターゲーム(倉敷マスカットスタジアム)に、同リーグ選抜のメンバーとして出場。8回表の打席では、塹江敦哉が投じた159km/hの速球を打ち返したが、二塁へのゴロで凡退している[6]。7月31日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に、「2番・右翼手」としてスタメンで一軍デビュー。「8番・右翼手」としてスタメンに起用された8月5日の対阪神タイガース戦(明治神宮野球場)では、一軍13打席目に当たる5回裏の第2打席に藤浪晋太郎からの一軍初安打で出塁すると、二塁への盗塁で一軍初盗塁を記録した[7]。イースタン・リーグ公式戦では、通算100試合の出場で規定打席に到達し、38盗塁で盗塁王のタイトルを獲得した。また、打率.251、1本塁打、33打点を記録したほか、打席数(458)・出塁率(.358)・犠打(19)がいずれもリーグ2位に到達。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出され[8]、同大会で優勝を果たした[9]。 2017年、7月25日に一軍に昇格し、8月2日の対巨人戦でプロ初の猛打賞を記録すると[10]、8月23日の対阪神戦では4安打を記録[11]。8月26日の対横浜DeNAベイスターズ戦でプロ初本塁打を記録した[12]。7月26日の対中日ドラゴンズ戦では10点差逆転勝利の立役者の1人となった[13]。 2018年、打率.184と振るわず、前年を下回る23試合の出場に終わった[14]。 2019年は開幕一軍とはならなかったが、80試合に出場し、打率.274、8打点だった。 2020年は109試合に出場し、打率.245、3本塁打、23打点を記録したが、リーグワーストの9盗塁死を喫した[15]。11月8日の対巨人戦(東京ドーム)で田中豊樹から決勝点となる逆転満塁本塁打を放つ活躍を見せた[16]。 2021年、自己キャリアハイの114試合に出場。春先は1番打者として起用されていたが、塩見泰隆の活躍やドミンゴ・サンタナの加入により、5月下旬以降は主に代走と守備固めとしてチームの優勝及び日本一に貢献した[17]。日本シリーズ進出を決めたCSファイナル第3戦では、監督の高津臣吾と共に胴上げをされた[18]。 2022年はサンタナの故障や青木宣親の不調で先発出場が増え、規定打席に届かなかったものの自身最多の118試合に出場。5月8日の対巨人戦では、相手の抑えである大勢から決勝打となる逆転2点適時打を打った[19]。同月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、北山亘基から人生初となる逆転サヨナラ3点本塁打を放ち勝利に貢献した[20][21]。なお、前日には村上宗隆もサヨナラ本塁打を打っており[22]、ヤクルトは2日連続のサヨナラ勝ちを収めることになった。 2024年は、右膝の状態が万全ではないことや視力の低下もあって引退を決断し[23]、9月25日に同年限りで現役引退することが発表された[24]。引退試合となった10月3日の対広島東洋カープ戦に「7番・中堅手」で先発からフル出場(途中から右翼手)し、大瀬良大地と森浦大輔から安打を放ち有終の美を飾った[25]。試合後の最終戦セレモニーでは、「全体的に中途半端な成績でしたけど、本当に9年間ありがとうございました」と挨拶した[26]。 引退後引退後もチームに残り、2025年は二軍外野守備走塁コーチに就任した[27][28]。背番号は77に変更された[28]。 選手としての特徴・人物50m走のタイム5.9秒の俊足[3]、遠投110mの強肩を誇る[3]。打撃ではパンチ力があり[29]、逆方向に強いゴロを打つことに長ける[30]。 明るいキャラクターで[24]、ヤクルト入団後はチームを和らげるムードメーカー的存在となっている[33][34]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号登場曲
代表歴脚注注釈出典
関連項目外部リンク
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