小林正 (政治家)
小林 正(こばやし ただし、1933年4月24日 - )は、日本の政治家、教育評論家。元参議院議員(1期)。日本教育再生機構」代表委員、教科書改善の会賛同者、日本の教育改革を進める会理事、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)教育制度部会長[1]、新しい憲法をつくる国民会議理事、協和協会理事、新しい歴史教科書をつくる会会長、世界戦略総合研究所評議員などを歴任。 経歴
人物・主張かつて日教組で活動していた際には、右派の現代教育労働運動研究会(現教研)の中心人物の一人。現教研出身の田中一郎[要曖昧さ回避]委員長が落選中の西岡武夫を激励したことを切っ掛けとして日教組が内紛状態に陥った際には、監査委員として左派の批判を封じる役回りを演じた。その後土井たか子率いる社会党のブームによって、国政に転進。党内でも改革派として民社党や社会民主連合さらには新生党などとの連携を目指すが、党内主流と乖離し脱党。その後新進党に参加するが公認争いから離党し、無所属で出馬するものの落選。 ゆとり教育やジェンダーフリー教育など日教組の主張に真っ向から反対している。日本文化チャンネル桜に出演。映画「南京の真実」の賛同者。 山梨県教職員組合(山教組)と政治団体の山梨県民主教育政治連盟(県政連)が民主党の輿石東参院幹事長支援のため教員から組織的に選挙資金を集めていた問題で、2005年2月、政治資金規正法違反(虚偽記載)の罪で県政連会長ら3人を山梨県警に刑事告発したメンバーの1人でもある。但し、山教組はそもそも田中委員長の出身母体でもあるなど日教組内でも右派の有力な本拠でもあり、小林もかつてはその擁護に回った一人でもあった[要出典]。 2012年9月5日、小林、三宅久之、すぎやまこういちなど保守系の著名人28人は、同年9月の自由民主党総裁選挙に向けて、「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」を発足させた[2][注 1]。同日、同団体は安倍晋三の事務所に赴き、出馬要請をした[12][4]。9月26日、総裁選が実施され、安倍が当選した。 新しい歴史教科書をつくる会2006年の新しい歴史教科書をつくる会内紛で、会長を解任され次期会長含みで副会長に復帰していた八木秀次らを排除することを目指した理事の藤岡信勝は、八木らが抜けた後の理事として、ひそかに小林に就任を要請。4月30日の理事会で八木や会長の種子島経らが辞任・退会すると同時に、小林は理事に就任(藤岡は副会長に復帰)。 会長は空席だったが、6月21日の理事会で小林が就任。当初は藤岡と同一歩調を取っていたが、すぐに藤岡の手法に疑問を覚え、八木らと連携して広範な国民の支持を得ることが必要だとして、八木が理事長となって10月22日に結成された日本教育再生機構の代表委員に就任した。教科書発行について同機構や発行元の扶桑社と協議を続けていたが、藤岡がこれに猛反発し多数派工作が行われた。2007年5月30日の理事会で小林は、それに先立つ評議会が激論となり取りまとめが不可能だったため延期を宣言して退席したが、欠席裁判で会長を解任され、藤岡が会長に就任。つくる会は扶桑社と決別した[13]。 つくる会は、小林が一連の経緯を記して神奈川県支部の会員に配布した文書 [1] が「本会の名誉を著しく傷つけ、本会の活動を混乱させています」として撤回を要求。小林はこれを拒み、8月1日付で会員を除名された。除名処分はつくる会初だった。 現在は日本教育再生機構代表委員、教科書改善の会の賛同者など。 著書
その他、統一教会の機関紙世界日報へ寄稿なども行っている[14]。 編著書
脚注注釈
出典
関連項目
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