小林春彦
小林 春彦(こばやし はるひこ、1986年12月17日 - )は、日本の講演家[3]・著作家[4]・コラムニスト[5]・男性モデル[6]。愛称は「春彦さん」[7]。 障害のある児童生徒・学生の進学・就労支援プロジェクトDO-IT Japan2007年度スカラー(2007年-)・リーダー(2010年-2015年)[8]。芸能プロダクション「Co-Co Lifeタレント事業部」第一期専属タレント(2018年-2019年 )[9] を経てフリー。 略歴兵庫県神戸市出身(大阪府吹田市生まれ)。物心ついた頃から成人まで、父は日中会社勤務、家の中は姉・妹・母という環境で育つ[10]。 三田学園中学校・高等学校卒業[11]。血液型はA型。 18歳の時に脳梗塞で倒れ、身体機能と脳機能に重複した障害を抱える[12]。3年間の闘病で半身不随など一部の身体障害を克服したが、その後、高次脳機能障害と診断された。東京大学先端科学技術研究センターによる障害や病気のある小中高校生・大学生の進学と就労への移行支援を通じ将来の社会のリーダーを育成するプロジェクトDO-IT Japanの第一期生として参加[13]。これを機に、20歳の時に東京への単身上京を決意し神戸の実家を出る[14]。 後に実現する発達障害や高次脳機能障害など脳機能の障害を根拠とした試験の特別措置を目指し尽力した[15]。 28歳の時に自身の18年間の健常だった時代と中途障害者となってからの10年間の体験をまとめ書きあげた著書『18歳のビッグバン 見えない障害を抱えて生きるということ』を出版(概要は後述)。作家デビューする。(自費出版ではなく)商業出版であり、小林はこの書籍の初版完売を目標に掲げ、期間限定の全国行脚を決める。メディアなどで取り上げられ、また発売から1年で増刷が決まった[16]。 この重版後に、全国の小学校[17]・中学校[18]・高等学校[19]・専門学校[20]・大学をはじめとする教育機関、NPOや企業において3年のうちに100回を越す講義・講演・トークイベントに出演した[21]。2016年度の朝日新聞厚生文化事業団による東京(築地・浜離宮朝日ホール)と大阪(大阪市・大阪YMCA会館ホール)2ヶ所で開催された事業「高次脳機能障害を生きる」で、講師を務めた[22]。 書籍の出版以降、全国で見えない障害や「生き辛さ」を抱える健常者に向けての障害の有無を問わない啓発活動を行っている[23]。 2019年11月11日から同年12月20日にかけ、日本初のクラウドファンディングサービスを提供しているREADYFOR株式会社が運営する「Readyfor」から単独企画としてクラウドファンディングで資金調達を呼びかけた。企画の趣旨は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの後に渡米し、先端技術や新しい価値観を日本に持ち込むための充電期間に入るため一時的に講演家としての活動を打ち切るにあたり、予算の都合で、それまで訪れることが難しかった全47都道府県・遠隔地や離島を優先した講演会を開催するための資金使途にするというもの。当初の募集を100万円としたが、プロジェクト開始1週間で目標額を達成。最終期日には支援者256人・調達支援総額が2,214,500円に達した(目標達成率は221.45%)[24][25]。 経歴中学・高校時代中学受験で当時は男子校だった三田学園中等部に入学。中学・高校時代から吹奏楽部に所属する。入部当初はサックスを希望していたが、サックス志願者の競争率が高かったことと繊細な性格であったために顧問と先輩の強い説得でバスクラリネットを担当する[26]。その後、リーダーを務めた三田学園吹奏楽部クラリネット5重奏が、全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社が主催する第25回全日本アンサンブルコンテストの予選大会である西阪神地区・兵庫県地区・関西地区の各ブロックの代表に選抜され、全日本大会では銀賞を受賞する(よこすか芸術劇場)[27]。受賞曲はバッハ作曲『イタリア協奏曲』[28]。 同校の吹奏楽部で中学・高校と同じクラリネットパートに所属していた3学年上の先輩にテレビ朝日系局列のアナウンサー内田智之がいた。「(小林は)おちゃらけたキャラクターで、部のムードメーカー。その一方、やると決めたら、とことん練習する努力家」と放送局のブログで述べている[29]。 講演会や福祉関係の研修会では自身の過ごした三田(さんだ)という地域に愛着があることをアピールしている。また、資料や公開イベント等における自分の名前が加藤晴彦に知名度負けし、「春彦」が正しいところ「晴彦」と誤字になっていることが多い[30]。 例年、秋口に小林の出身校である三田学園の創立者・小寺謙吉を記念し設立された大講堂「KODERA HALL」では、課外授業の一環として小林による在校生向け講演会が開催されている。 マイノリティ界への関心と活動障害者や社会的少数派に対する偏見を減らす目的のイベント「ヒューマンライブラリー(human library)」に2008年から2016年までに全国最多の出演をしている[31]。「外見から見えない困難を抱える当事者」で身体機能と脳機能の中途重複障害者という立場をとることが多い。小林は活動の発起人の一人であるロニー・アイバーグが運営するデンマークのヒューマンライブラリー本部「HUMAN LIBRARY ORG」にも動画でコメントを寄せ[32]、この活動が実際の執筆のきっかけとなっていることや「カンファレンス、企業、教育機関など様々な場所に出演してきて、『運営からも読者からも他の本(何らかのマイノリティ性を抱えた当事者)からも、自分が普段どのように見られており、どう言葉に落とし込めば相互理解に至るのか』といったことを様々な角度から考えさせていただいたと感じている」と述べている[33]。 身体機能と脳機能に重複した障害を抱え大学入試センター試験に5回挑戦したが、文字を読むのにハンディがあり希望した配慮が受けられず受験を断念している。「入試では、論理的に考える力や発想力を問うてほしい。目で字を認識できなければ耳から情報を与えるなど、いろいろな試験の仕方があるべきだ」と訴えた[34]。 2015年時点において発達障害は先天性の脳機能障害、高次脳機能障害は後天性の脳機能障害、認知症は進行や悪化の認められる脳機能障害とされている。日本では2005年4月に発達障害者支援法が施行され、世間的には「発達障害」という言葉が広く知られるようになった。一方で「高次脳機能障害」は当時普及しておらず、自身が2005年春に脳卒中に倒れ高次脳機能障害となった時期と重なったことから、「自分とは何者か」を人に説明することに困窮した青年期を送った。こうした「見えない障害」という類似性から若年者から高齢者まで脳機能の障害や社会的マイノリティの存在に関心を寄せている[35]。 DO-IT Japanの活動においては初年度から参加しており、2010年度DO-ITリーダー海外研修に論文審査で選抜され渡米。ワシントン州のシアトルでワシントン大学(University of Washington = UW)、レドモンドで米国マイクロソフト本社をそれぞれ訪れている。現地の高等教育におけるICTの活用を現場で視察し、次世代に向けたテクノロジーなどを体験。またアメリカにおける法制度についても学んでいる。この滞在時のことはレポートにしてまとめられた[36]。 小林は18歳から元健常者・中途障碍者として外見からは見えない障害を抱えて生き始めた障害者と健常者の中でもボーダー、障害者というカテゴライズにおいてもグレーゾーンを生きている。こうした立場から、「障害者の感動ポルノを強く批判する声について、社会には『ここにも、あそこにも、困難を抱えている人はいる、困難は潜んでいる』ということを伝えたい、知ってほしいがゆえの『叫び』も混じっている。目に見えないところにも、たくさんの困難がちりばめられている社会。それなのに、わかりやすいハンディのある人だけが特別なステージを与えられ、スポットを浴びている。それが気に入らないということに自身の身体状況と生い立ちから一定の理解がある」と述べている[37]。 教育界への影響18歳の健常時から計5回に亘ってセンター試験を受験し、中途障害を抱える身となってからは脳機能障害を根拠とした教育の支援の必要性をメディアや教育学会やシンポジウムなどで主張した。 学習障害を専門とする一般社団法人日本LD学会の理事長で大学入試センター特任教授の上野一彦(東京学芸大学 名誉教授)は自身のブログ「カズ先生のEdu Blog」において、大学入試センターに特任教授として勤め始め小林が脳機能障害に対する特別措置を具体的に考えるきっかけとなった最初のケースであったこと、東京大学先端科学技術研究センターの教授(人間支援工学)であった中邑賢龍の元で詳細なデータを添えて申請してきたことを評価し、センター内でのかなりハードな議論の末に日本で最初の脳機能障害による措置を認めた、と述べた[38]。 小林の事例を前例として大学入試センター試験では翌年の2011年から障害者が特別措置を受けられる対象者の中に脳機能障害者も含まれ、どのような配慮を認めるかについては個別のやりとりを行うと試験要項に記述したことが東京大学で行われたDO-ITJapan2010のクロージングセレモニー前のシンポジウムでUstream中継を通して発表された[39]。障害者の特別措置に関し、多くの私立大学や国公立大学の二次試験では「大学入試センターの措置に準ずる」としていたため、他の試験現場でも脳機能障害を抱えた者への配慮が認められるようになった。また、初等教育や中等教育において大学入試で認可されていない配慮は学生の将来を考慮した場合に不適切としていたが、ICTの利用などを教育の現場で検討する動きが広まった。 その後も小林の事例が上野自身の障害理解の原点でもあったことをブログで述べたり、「君がこうした人たち(潜在的に見えない障害を抱えている学生たち)の道を切り開くきっかけになった」と直接話すなど、シンポジウムなどを通じ交流が続いている[40]。また全国障害学生支援センター代表の殿岡翼は、「障害者差別解消法の施行(2016年度)に伴い大学入試が変わっていくなかで(小林は)歴史に名を残した」と語っている[41]。 人物像
不倫について、「そもそも不倫そのものが個人的にとても嫌い。絶対に自分は不実な行為はしない。しかし一方でそれは人に強制するものではないとも思う」とした上で、乙武洋匡が妻子ある立場で5人の愛人と不倫をしていたことに言及し、「障害を不倫の隠れ蓑にする」ことへの強い嫌悪感を示した[47]。 エピソード
著書
関連書籍
連載コラム
モデル活動20代前半からファッション誌のメンズモデルをはじめ、日本マイクロソフト社のイメージCMや株式会社シップス(SHIPS)などのファッションモデルに起用されるなど、モデルとしての活動をしていた。外見から障害を抱えていることが分からなかったため、障害を隠して登場することもあった。 渋谷ヒカリエで開催されたSHIPSとMana'olana協賛によるBONLAB主催シンポジウム「杖は文化とファッションを纏う」では、デザイナー・廣田尚子(女子美術大学 教授)プロデュースのファッションモデルとして超福祉展2018の会場メインステージに登壇[61]。 六本木ヒルズ最大規模のホールであるハリウッドビューティプラザ内のハリウッドホール[62] で行われた一般社団法人脳フェス実行委員会主催のファッションショーに自己表現審査によるオーディションで選抜された後、ファッションモデル宮崎京によるウォーキング指導を発表当日まで受けて出演するなど、生舞台にも出演している[63]。 ディスコグラフィーAlbum『Sentiments At 19』 出演テレビ
ラジオ
雑誌
企業CM駅貼りポスター電車内モニター広告雑誌脚注・出典
外部リンク
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