全日本民主医療機関連合会
全日本民主医療機関連合会(ぜんにほんみんしゅいりょうきかんれんごうかい、英: Japan Federation of Democratic Medical Institutions)は、日本の医療機関で構成する社会運動団体。略称民医連(みんいれん、通称全日本民医連(ぜんにほんみんいれん)、MIN-IREN)。 概要1953年6月7日結成。「無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす組織」であると規定している民医連綱領を持つ。2020年1月現在、病院 142・診療所 489(有床診13,無床診476)・歯科診療所 80・保険薬局 351・薬剤・診療材料センター33・看護・介護学校8・検査センター2・訪問看護ステーション 246・介護老人保健施設 52・在宅介護支援センター24・特別養護老人ホーム 37・鍼灸所3・研究所2・ヘルパーステーション51・グループホーム23・在宅介護福祉関係施設215・ケアハウス11・その他13など、日本47都道府県1,782の事業所が加盟しており、職員数8万2,807名の日本最大規模の医療機関関係組織である(病床数は24,806床で、日本赤十字社、厚生連、に次いで3位。)[1]。 全日本民医連は、各医療機関等が加盟する都道府県民医連の連合組織であり、民医連に加盟する各医療機関は、それぞれが個別の法人で経営されており、出資・経営形態も様々で、結成当時の法人の数よりも民医連の理念に共感して新規加盟した法人の数の方が圧倒的に多い。 加盟法人には、生協法に基づく医療生活協同組合(医療生協)が多く、他に公益社団・財団(社団法人、社会医療法人、医療法人(特定医療法人含む))がある。また、介護保険施設などを運営する社会福祉法人や、薬局などを経営する会社組織の法人も加盟している。 理念を共有する医療機関のネットワークとして、各地の加盟機関職員が集まって学習会や交流会、研究会などを開催したり、行政や議員への働きかけなども行っている。また、社会保障を充実させる運動や平和を求める活動なども行う。 被災地の医療援助活動にも積極的に参加し「阪神淡路大震災」や「東日本大震災」では1万人を超える医師・看護師・薬剤師を中心とした民医連職員が活動した。コロナ禍においては民医連系の病院の多くが無料低額診療事業を行っている為、民医連として「コロナ困窮でも受診を」と呼びかけたり、生活困窮者向けの相談事業を行っている[2]。 また民医連は、全国保険医団体連合会(保団連)、日本医療福祉生活協同組合連合会(医療福祉生協連)、日本医療労働組合連合会(医労連)、新日本医師協会(新医協)と連携して、医療団体連絡会議(医団連)を結成している。同時に中央社会保障推進協議会(中央社保協)にも民医連として加盟している。 綱領全日本民医連は綱領を持っており、2010年の第39回定期総会で新綱領を制定した。その綱領は、「無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす」「営利を目的とせず、事業所の集団所有を確立し、民主的運営をめざす」と規定し、社会保障について、「国と企業の責任を明確にしている」 綱領路線に基づき、民医連加盟各病院では、いわゆる「差額ベッド代」(差額室料)を徴収しない[3] などの共通施策を持っている。ただし「差額ベッド代」については内部で議論があり、希望者には差額室料を受取って個室提供できることを議論の上決定したとする法人もある[4]。無料低額診療事業を行う病院・診療所を持ち、お金がなくても診療できる医療機関を保持している。 機関紙誌いつでも元気
その他の機関誌
略歴
第二次世界大戦前の1930年、東京・大崎に“無産者診療所”が開設されたのが起源となっており、1936年に各地の無産者診療所で結成された「日本無産者医療同盟」は運動的前身にあたる[5][6]。
加盟地方組織全日本民医連に加盟する各都道府県民主医療機関連合会を以下に記載する。これら都道府県連合会に、医療機関を開設・所有する医療法人、医療生協や薬局を運営する会社等が加盟している。
加盟病院北海道東北青森県岩手県宮城県秋田県山形県福島県関東茨城県群馬県埼玉県千葉県東京都神奈川県中部新潟県富山県石川県福井県山梨県長野県岐阜県静岡県愛知県近畿京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県中国鳥取県島根県岡山県広島県山口県四国徳島県香川県愛媛県高知県九州・沖縄福岡県長崎県熊本県大分県宮崎県鹿児島県沖縄県加盟専修学校
関連組織
日本共産党との関係日本社会党のための組織的選挙活動・日本社会党支持をしていた日本労働組合総評議会(総評)が日本労働組合総連合会(連合)となった1989年に、「右寄りの再編」と反発した日本共産党支持派によって生まれた全国労働組合総連合(全労連)[16]の加盟団体であり[17]、地方組織である都道府県民主医療機関連合会と直接加盟医療機関をもって組織する。全日本民主医療機関連合会に加盟する病院・診療所にある労働組合と、医療生活協同組合にある労働組合で民医連・生協部会を構成し、全国8ブロックから運営委員を選出し、本部の担当者と一緒に年4回程度委員会を開催している[18]。 全日本民医連内、各地方の民医連内には歴史的経緯から年配の職員には日本共産党の党員である者も少なくなく、加盟医療機関内に同党支部(いわゆる職場支部)や有志(日本共産党)後援会が組織されているケースもあり[19]、病院内の売店で同党の機関紙の「しんぶん赤旗」を販売していることや待合室に同紙が置かれていることもある。同紙にはしばしば民医連に加入している医療機関等の求人広告が載せられている。[20]。 1998年初頭、小池晃(後に日本共産党書記局長)は民医連理事に就任。7月26日の第18回参議院議員通常選挙への出馬を日本共産党から依頼されて、出馬した。その後に日本共産党の将来の党中央指導者の者が就くポストである「書記局長」の地位にまで登り詰めている[21]。 2001年に民医連は自身の理念や行動について、「党派性を指摘する人もいるが、医療政策が一致すれば、どの政党とも協力する」(事務局長)[22] としており、民医連が実行委員会を構成する集会[23] に於いては、与野党に関わらず国会議員の出席を要請している。民医連が行った看護師を増やすよう求める請願は、日本共産党・民主党・社民党の3党議員が紹介議員となっている[24]。機関紙「民医連新聞」と公式サイトにて、立憲民主党と日本共産党が小選挙区での候補一本化させる野党共闘の支持表明している[25]。 なお、2003年に肥田泰会長(当時)は、「民医連として特定政党の支持を職員に強制することはない」としており、「憲法の定める政治活動の自由を保障している」と主張している[26]。同年に自民党は機関紙「自由民主」にて、共産党の議員の供給源の一つとなっていると述べている[注釈 3][28]。 2005年に全日本民医連加盟の柳原病院を中心とした「職員と友の会有志でつくる日本共産党後援会」は総選挙のために「私たちにとっての課題、医療・福祉を守るために、総選挙で日本共産党への支持を大きく広げていこう」と決起集会を開いた[29]。 2006年には地方選挙や参院選挙での日本共産党の躍進を目標とした「全日本民医連有志日本共産党後援会」の各県連・事業所代表者会議が開催された。当時の全日本民医連会長鈴木篤は、「全日本民医連有志日本共産党後援会」代表世話人を務めていた[30] 他、民医連の名誉会長高柳新は、日本共産党から参議院議員選挙に立候補の経験がある[31]。 2013年11月23日に「日本共産党を躍進させる愛媛民医連有志後援会」と、民医連内の9つの党支部が「日本共産党と日本の前途を語り合う集い」を松山市の愛媛生協病院会議室で開催している[32]。 2016年には北海道5区補選に出た野党共闘候補である池田真紀候補のために、憲法共同選対と「道民医連有志」が呼びかけた合同決起集会に、日本共産党の畠山和也衆院議員、牧野富夫全国革新懇代表世話人、小田川義和全労連(全国労働組合総連合)議長、笠井貴美代(笠井亮日本共産党議員の妻)新婦人会長らが参加した[33]。 2019年5月12日に「京都民医連・民医労共産党有志後援会」が民医連出身の倉林参議院議員が議席を守ることを目指して京都市内で決起集会を開いた[34]。 また同年5月23日、「東京民主医療機関連合会の有志でつくる日本共産党後援会」が参院選における日本共産党の躍進と東京選挙区で吉良よし子議員を当選させるとし、小池晃書記局長と吉良議員が出席した[35]。 2021年9月に「民医連内有志後援会」による民医連出身の舩山由美日本共産党候補(東北比例区&宮城4区重複)への決起集会が開催された。高橋ちづ子日本共産党議員が参加し、東北大医学部卒業で民医連出身の小池晃書記局長がビデオメッセージが寄せられた[36]。 民医連又は民医連加盟病院出身議員
脚注注釈出典
参考文献『学習ブックレット 民医連の綱領と歴史』全日本民医連、2019年 。2021年11月17日閲覧。 関連項目
外部リンク
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