新人王戦(しんじんおうせん)は、しんぶん赤旗及び日本将棋連盟主催の将棋の棋戦。26歳・六段以下(タイトル戦経験者は除く)の棋士などが参加する優勝棋戦(一般棋戦)である。新人王が後にタイトルホルダーやA級棋士などの強豪になったケースは多く、若手プロ棋士の登龍門であるとされている[1][2][3]。
概要
決勝は三番勝負で、例年10月から11月にかけて行われる。
将棋史上、初めて女流棋士が棋士の公式棋戦(いわゆる「男性棋戦」)への参加を認められたのが新人王戦であり、初の対局は1981年2月19日の第12期新人王戦1回戦、山下カズ子女流名人と高橋道雄四段との一戦であった[4][5]。同年、蛸島彰子も飯野健二四段と対戦している。
主催は「しんぶん赤旗」(旧・赤旗)。同紙は日本共産党中央機関紙であり、事実上政党が主催者となっている唯一の公式棋戦である。赤旗が棋戦主催に名乗りを上げたのは、第2代議長・初代委員長宮本顕治が将棋を嗜んでいたことに由来し、宮本は存命中、決勝三番勝負を生で観戦するため党本部に程近い将棋会館に出向くこともあった。後に日本将棋連盟会長を務めた米長邦雄は、「個人的には保守強硬だが、政党の中で真っ先にいちばん感謝しなければならないのは共産党」と述べている。
方式
若手の棋士と女流棋士、アマチュア、奨励会員の計40名が参加するトーナメントを行い優勝者を決定する。
2005年秋から始まった第37期(2006年度)より参加資格がそれまでの制度(後述)から大幅に変更され、定員が42名に固定された[9]。特に、プロの参加が30歳以下から26歳以下に引き下げられたことにより、奨励会三段の出場枠は実質的に大きく広がった[注釈 1]。その際に、棋戦名が単なる「新人王戦」から「新人王戦 U-26」に改称された。第39期(2007年度)には再び「新人王戦」に名称が戻された[10]。
第40期(2008年度)には、定員が最大40名(奨励会三段の出場人数は棋士の参加人数以下[注釈 2])に変更された。現在の参加資格は以下のとおり[11]。
- ) 26歳以下かつ六段以下(ただしタイトル戦経験者を除く)の棋士全員[注釈 3]
- ) 26歳以下の女流棋士(4名、成績選抜による)[注釈 4]
- ) アマチュア(1名、赤旗名人、年齢制限無し)[注釈 5][注釈 6]
- ) 26歳以下かつ(棋戦開始年の)前期の奨励会三段リーグ成績上位者(四段昇段者を除く)
-
- 三段リーグ成績上位者からは、(40名-「上記1・2・3の合計人数」)の人数が出場する[注釈 4]。
- 三段リーグ「成績上位者」には奨励会退会者を含まない[注釈 7]。後期三段リーグの「順位上位者」に同じ。
年齢については開始年(= 年度の前年)の10月1日を基準とする[11]。ただし27歳以上でも四段昇段から1年以内の棋士は1回に限り出場できる。
また、囲碁の新人王戦とは異なり、上記の資格を満たしていれば過去の新人王戦優勝経験者も出場できる。
前期ベスト4以上で参加資格のある者はシードされ2回戦からの参加となる。また、棋士は基本的に2回戦からの登場であり、棋士の参加者数によっては女流棋士や奨励会員の一部も2回戦からの参加となる。決勝は三番勝負を行う。持ち時間は全ての対局で各3時間[11]。
第53期より持ち時間がストップウォッチ方式からチェスクロック方式に変更された。[12]
記念対局
新人王戦優勝者とタイトル保持者が記念対局を行う。非公式戦であり、成績は通算記録などに算入されない。
記念対局は、第36期(2005年度)まで公式戦であった。優勝者とその年の名人による記念対局が11月頃に行われた。2006年以降はタイトルホルダーのうちの1人との非公式の対局となっている。対局相手はスケジュール等を鑑みて決定される[13]。記念対局が師弟対局になった事例は2例で、第23期(1992年度)新人王戦・記念対局(中原誠名人 対 佐藤秀司新人王)と第50期(2019年度)新人王戦・記念対局(木村一基王位 対 高野智史新人王)で、いずれも新人王側が勝利している。同門兄弟弟子同士の記念対局は第12期(1981年度)新人王戦・記念対局(中原誠名人 対 田中寅彦新人王)の1例のみで、両名とも高柳敏夫門下である。
先後は振り駒を行わず、新人王が先手となる。ただし新人王がタイトルホルダーでもある場合は振り駒により先後を決めることとなっており[14]、2018年までに1999年の藤井猛、2005年の渡辺明(いずれも竜王就位)の2例がある。
対戦成績は、名人との公式戦だった時代は新人王の12勝24敗[15]、タイトルホルダーとの非公式戦となった2006年度から2021年度までは新人王の6勝10敗となっている[16][17]。
特典
棋士の優勝者は、優勝翌年度のNHK杯戦にて、予選免除・本戦シード対象となる「公式棋戦優勝者」として扱われ、本戦1回戦から出場することが出来る(NHK杯戦に出場資格のない奨励会員・アマチュアは対象外だが、奨励会員が新人王戦参加中に四段昇段で棋士となって優勝した場合は本戦シード対象)。
奨励会員については、第44期新人王戦で奨励会三段の都成竜馬が優勝したことを受け、新人王戦で奨励会三段が優勝した場合、「進行中の三段リーグ終了時に次点がつく」という規定が新設された(ただし、この次点2つで四段昇段はできず、フリークラス編入の四段昇段には「三段リーグ3位」がもう一つの次点として必要となる)[18][19]。
アマチュア及び女流棋士についても、2021年より、優勝した者に棋士編入試験の受験資格が与えられている[20]。
優勝賞金の金額は非公開となっている[21][注釈 8]。
インターネット配信
新聞主催棋戦の性格上からか、インターネットでのライブ動画配信は行われてこなかったが、第48期(2017年)では3回戦の藤井聡太 対 横山大樹赤旗名人(アマチュア)の対局がAbemaTV将棋チャンネルで配信された[23]ほか、藤井が佐々木大地に敗れた準々決勝の対局[24]と、決勝三番勝負(増田康宏対佐々木大地)[25][26]がニコニコ生放送も加わって配信された。
第49期(2018年)でも同様に藤井の対局(初戦の2回戦:古森悠太[27]、3回戦:八代弥[28]、準々決勝:近藤誠也[29]、準決勝:青嶋未来[30]、決勝三番勝負:出口若武[31][32])が両サイトにより配信されている。さらに第49期を制した藤井と豊島将之二冠(棋聖・王位、対局当時)との記念対局も両局によって収録配信された[17]。
以前の棋戦方式
第36期(2005年度)以前
第36期以前は棋戦名が単に新人王戦であった。奨励会予選とトーナメント戦により優勝者を決定した。
- 奨励会予選
- 奨励会三段の全会員が参加するトーナメントで、6名が本戦に勝ち進めるシステムであった。持ち時間は各1時間。
- この奨励会予選は第36期(2005年度 = 奨励会予選が行われたのは2004年)を最後に廃止された。
- トーナメント戦
- 開始年の9月30日時点における
- ) タイトル保持者を除く30歳以下かつ六段以下の棋士 全員
- ) 女流棋士 3名(成績選抜による。第36期は30歳以下[注釈 9])
- ) 奨励会三段 6名(奨励会予選通過者)
- ) アマチュア 1名(赤旗名人、第27期以降)
- が本戦に参加していた[注釈 10]。
- 1998年度(第30期)には「基準日9月30日」の翌日、1998年10月1日付で七段に昇段した藤井猛が出場しており、これは棋戦開始時に既に七段となっていた唯一の事例である[注釈 11]。
- トーナメント形式であること、および、決勝が三番勝負であることは、第37期以降と同じであった。持ち時間は各4時間、決勝三番勝負のみ各5時間であり、いずれも第37期以降よりも長かった。
創設初期の制度
第1期の開幕局は1969年10月17日に行なわれた(大内延介六段 ●-○ 河口俊彦四段 戦)[33]。
棋戦創設当初は出場資格に年齢の制限がなく、「四段~六段」の現役棋士が全員参加する、40名のトーナメントであった[34][35]。1969年度後期の旧三段リーグ東西決戦に勝利し四段昇段を決めた坪内利幸も、四段昇段決定7日後の1970年3月に公式戦初戦として第1期に出場している(2回戦から)[36]。
1970年度(第1期)準優勝の橋本三治は44歳、1971年度(第2期)優勝の若松政和は31歳、1974年度(第5期)準優勝の吉田利勝は41歳、1975年度(第6期)準優勝の桜井昇は34歳である。
第6期より奨励会三段にも参加資格が与えられるようになった[37]。新人王戦の観戦記者だった奥山紅樹は1978年の著書『プロ棋士 その強さの秘密』(晩聲社)において、第9期時点の棋戦参加要件について「奨励会二段から、35歳までの六段位棋士(年度途中の昇段者は可)が参加する」と記している[38]。
第12期からは女流棋士にも棋士と同等の出場枠が与えられ、各年2-4名が出場している[注釈 12]。
記録
奨励会三段の最高成績
第44期(2013年度)において、都成竜馬が奨励会員として初めて優勝を果たした[42]。この快挙を受け日本将棋連盟は、「新人王戦で奨励会三段が優勝した場合、進行中の三段リーグ終了時に次点[注釈 14]をつける」という規定を2014年1月14日付で新設、2014年4月開始の第55回奨励会三段リーグより適用し[43]、新人王戦優勝の都成には第55回奨励会三段リーグの終了時(2014年9月)に次点が与えられた[43]。
なお優勝者のうち、青野照市(第5期)、森内俊之(第18期)、糸谷哲郎(第37期)、上野裕寿(第54期)の4名は、段位が三段の時に奨励会員としてエントリーされ、棋戦進行中に四段昇段し優勝している。
アマチュアの最高成績
新人王戦におけるアマチュア選手の参加は、第27期(1996年度)から出場枠が設けられている。
第41期(2010年度)では、元奨励会三段の加來博洋赤旗名人が決勝に進出した。1勝2敗でアマチュア初の公式棋戦優勝には至らなかったものの、アマチュアによる公式棋戦の決勝進出・準優勝は史上初の快挙であった[注釈 15]。
決勝戦の同門対決
歴代決勝結果
- 決勝三番勝負・記念対局の○●は優勝者から見た勝敗(三番勝負は左が第1局)。
- 「年度」は決勝三番勝負が行われた西暦年と同じ。
各期の出場人数
参加人数(棋戦開始時の段位・出場枠別)、出場女流棋士一覧
期 |
年度 |
合計 (うち四段以上) |
七段 |
六段 |
五段 |
四段 |
三段以下 |
アマ |
女流棋士
|
1 |
1970 |
40 (39) |
- |
15 |
10 |
14 |
01[注釈 16] |
- |
-
|
2 |
1971 |
37 (36) |
- |
14 |
9 |
13 |
01[注釈 16] |
- |
-
|
3 |
1972 |
39 (38) |
- |
16 |
8 |
13 |
01[注釈 16] |
- |
-
|
4 |
1973 |
38 (37) |
- |
14 |
10 |
13 |
01[注釈 16] |
- |
-
|
5 |
1974 |
38 (36) |
- |
13 |
10 |
13 |
02[注釈 16] |
- |
-
|
6 |
1975 |
45 (31) |
- |
10 |
12 |
9 |
14 |
- |
-
|
7 |
1976 |
48 (37) |
- |
11 |
12 |
14 |
11 |
- |
-
|
8 |
1977 |
45 (32) |
- |
6 |
7 |
19 |
13 |
- |
-
|
9 |
1978 |
47 (32) |
- |
3 |
7 |
22 |
15 |
- |
-
|
10 |
1979 |
47 (33) |
- |
4 |
8 |
21 |
14 |
- |
-
|
11 |
1980 |
51 (36) |
- |
6 |
7 |
23 |
15 |
- |
-
|
12 |
1981 |
53 (42) |
- |
6 |
10 |
26 |
9 |
- |
2 |
山下カズ子、蛸島彰子
|
13 |
1982 |
53 (44) |
- |
6 |
11 |
27 |
7 |
- |
2 |
山下カズ子、蛸島彰子
|
14 |
1983 |
53 (46) |
- |
6 |
15 |
25 |
5 |
- |
2 |
蛸島彰子、林葉直子
|
15 |
1984 |
54 (48) |
- |
6 |
16 |
26 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、中井広恵
|
16 |
1985 |
56 (50) |
- |
9 |
20 |
21 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、長沢千和子
|
17 |
1986 |
55 (49) |
- |
7 |
18 |
24 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、長沢千和子
|
18 |
1987 |
55 (49) |
- |
6 |
17 |
26 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、中井広恵
|
19 |
1988 |
60 (54) |
- |
6 |
24 |
24 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、中井広恵
|
20 |
1989 |
60 (54) |
- |
8 |
23 |
23 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、清水市代
|
21 |
1990 |
48 (42) |
- |
8 |
16 |
18 |
4 |
- |
2 |
林葉直子、中井広恵
|
22 |
1991 |
47 (40) |
- |
6 |
17 |
17 |
4 |
- |
3 |
林葉直子、中井広恵、清水市代
|
23 |
1992 |
52 (43) |
- |
9 |
19 |
15 |
6 |
- |
3 |
林葉直子、中井広恵、清水市代
|
24 |
1993 |
50 (40) |
- |
10 |
15 |
15 |
7 |
- |
3 |
林葉直子、中井広恵、清水市代
|
25 |
1994 |
47 (38) |
- |
8 |
15 |
15 |
6 |
- |
3 |
林葉直子、中井広恵、清水市代
|
26 |
1995 |
46 (37) |
- |
9 |
14 |
14 |
6 |
- |
3 |
中井広恵、清水市代、斎田晴子
|
27 |
1996 |
47 (37) |
- |
8 |
16 |
13 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、斎田晴子
|
28 |
1997 |
44 (34) |
- |
8 |
13 |
13 |
6 |
1 |
3 |
長沢千和子、中井広恵、清水市代
|
29 |
1998 |
45 (35) |
- |
8 |
12 |
15 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、斎田晴子
|
30 |
1999 |
44 (34) |
1 [注釈 11] |
8 |
7 |
18 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、斎田晴子
|
31 |
2000 |
44 (34) |
- |
9 |
8 |
17 |
6 |
1 |
3 |
清水市代、斎田晴子、石橋幸緒
|
32 |
2001 |
42 (32) |
- |
6 |
7 |
19 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、石橋幸緒
|
33 |
2002 |
43 (33) |
- |
4 |
11 |
18 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、斎田晴子
|
34 |
2003 |
44 (34) |
- |
5 |
9 |
20 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、石橋幸緒
|
35 |
2004 |
41 (31) |
- |
3 |
8 |
20 |
6 |
1 |
3 |
中井広恵、清水市代、石橋幸緒
|
36 |
2005 |
40 (30) |
- |
1 |
11 |
18 |
6 |
1 |
3 |
石橋幸緒、千葉涼子、矢内理絵子
|
37 |
2006 |
42 (20) |
- |
0 |
6 |
14 |
17 |
1 |
4 |
石橋幸緒、千葉涼子、矢内理絵子、中村真梨花
|
38 |
2007 |
42 (20) |
- |
0 |
4 |
16 |
17 |
1 |
4 |
石橋幸緒、千葉涼子、矢内理絵子、甲斐智美
|
39 |
2008 |
42 (18) |
- |
0 |
3 |
15 |
19 |
1 |
4 |
石橋幸緒、甲斐智美、里見香奈、早水千紗
|
40 |
2009 |
40 (19) |
- |
0 |
3 |
16 |
16 |
1 |
4 |
甲斐智美、里見香奈、早水千紗、鈴木環那
|
41 |
2010 |
40 (21) |
- |
0 |
7 |
14 |
14 |
1 |
4 |
中村真梨花、甲斐智美、里見香奈、上田初美
|
42 |
2011 |
40 (23) |
- |
0 |
7 |
16 |
12 |
1 |
4 |
中村真梨花、里見香奈、鈴木環那、上田初美
|
43 |
2012 |
40 (24) |
- |
0 |
8 |
16 |
12 |
0 [注釈 17] |
4 |
中村真梨花、上田初美、室谷由紀、山口恵梨子
|
44 |
2013 |
40 (22) |
- |
0 |
7 |
15 |
13 |
1 |
4 |
中村真梨花、上田初美、鈴木環那、長谷川優貴
|
45 |
2015 |
40 (19) |
- |
0 |
6 |
13 |
16 |
1 |
4 |
中村真梨花、上田初美、鈴木環那、香川愛生
|
46 |
2016 |
40 (19) |
- |
1 |
6 |
12 |
16 |
1 |
4 |
上田初美、室谷由紀、香川愛生、渡部愛
|
47 |
2016 |
40 (16) |
- |
0 |
6 |
10 |
19 |
1 |
4 |
室谷由紀、香川愛生、渡部愛、伊奈川愛菓
|
48 |
2017 |
40 (20) |
- |
3 |
6 |
11 |
15 |
1 |
4 |
香川愛生、西山朋佳、伊藤沙恵、加藤桃子
|
49 |
2018 |
40 (21) |
- |
4 |
6 |
11 |
14 |
1 |
4 |
室谷由紀、香川愛生、西山朋佳、加藤桃子
|
50 |
2019 |
40 (18) |
- |
6 |
4 |
8 |
17 |
1 |
4 |
里見香奈、渡部愛、西山朋佳、伊藤沙恵
|
51 |
2020 |
40 (17) |
- |
3 |
3 |
11 |
18 |
1 |
4 |
室谷由紀、渡部愛、西山朋佳、伊藤沙恵
|
52 |
2021 |
40 (20) |
- |
4 |
3 |
13 |
16 |
0 [注釈 18] |
4 |
西山朋佳、伊藤沙恵、加藤桃子、石本さくら
|
53 |
2022 |
40 (19) |
- |
3 |
4 |
12 |
16 |
1 |
4 |
西山朋佳、加藤桃子、山根ことみ、塚田恵梨花
|
54 |
2023 |
40 (16) |
- |
1 |
4 |
11 |
19 |
1 |
4 |
石本さくら、山根ことみ、塚田恵梨花、中澤沙耶
|
55 |
2024 |
40 (17) |
- |
1 |
2 |
14 |
18 |
1 |
4 |
石本さくら、山根ことみ、内山あや、野原未蘭
|
56 |
2025 |
40 (18) |
- |
2 |
3 |
13 |
17 |
1 |
4 |
石本さくら、山根ことみ、内山あや、大島綾華
|
脚注
注釈
- ^ たとえば、2006年度と2007年度は17名、2008年度は19名であり、三段リーグの半数強が出場。
- ^ よって、棋士の参加が17名以下の場合は、総人数は40名に満たない。
- ^ 第47期(2015年度)までは26歳以下かつ五段以下の棋士全員
- ^ a b 女流棋士ではない女性の奨励会員が女流タイトルを保持している場合も女流棋士枠で選抜対象となる場合があり、奨励会三段の西山朋佳は第48期と第49期で奨励会枠、第50期と第51期では女王のタイトル保持による女流枠で出場している。
- ^ 第51期の関矢寛之のように、新人王戦の進行中に年齢制限で奨励会退会となった元奨励会三段が、アマチュア扱いで参加を続ける例も存在する。
- ^ 第53期では出場者選抜トーナメント決定戦で出場者が決まった。“第53期 将棋新人王戦/早川さんが出場権”. www.jcp.or.jp. 2021年11月5日閲覧。
- ^ 第51期新人王戦には第65回奨励会三段リーグ戦「成績上位者」が参加しているが、当該回次を以って退会した者は含まれていない。したがって参加者は同一年度後期の第66回三段リーグ「順位上位」の18名に同じである。
- ^ 将棋の新人王戦の優勝賞金金額は非公開であるが、同じ主催社による囲碁の新人王戦の優勝賞金金額は公表されており、その金額は200万円である[22]。
- ^ 第36期から女流棋士の年齢制限が始まったことにより、第35期までは常連であった清水市代や中井広恵ら、女流将棋界の強豪が出場できなくなった。また、上述のとおり翌年の第37期からは、さらに棋士と女流棋士の年齢制限が26歳以下となった。
- ^ 第36期トーナメント戦の参加者は40名。
- ^ a b c d e 第30期当時は棋戦開始年の9月30日時点の段位で出場資格を決定していたため、その翌日である1998年10月1日付で七段昇段した藤井猛は、六段扱いの棋戦参加者となった[40]。藤井はトーナメント抽選後に第11期竜王となり、第30期は竜王が新人王戦に出場・決勝進出し優勝するという状況となった。なお、第31期以降は、10月1日付で七段昇段した棋士が、その年に開始する新人王戦に参加することは認められなくなったため[41]、棋戦開始時に七段昇段していた事例は第30期の藤井が唯一の事例となっている。
- ^ 当初、第9期の時点で主催の「赤旗」が女流名人の棋戦参加を日本将棋連盟に「打診」したが、当時の連盟は「時期尚早」「女流名人に無用の傷をつけることになりかねない」として見送った経緯がある[39]。
- ^ 第49期に参加が決まった時点では四段だったが、第49期進行中に一気に七段まで昇段したため、新人王戦に参加できるのはこの第49期が最後となった。
- ^ 三段リーグ3位相当となり、その後の三段リーグで3位になれば次点2回となり、フリークラスでの四段昇段の権利が得られるメリットがある。ただし、新人王戦を2回優勝しても四段昇段が出来ない制限がある。
- ^ この5年後、2015年度の第6期加古川青流戦で稲葉聡アマが優勝し、アマチュア初の公式棋戦優勝が達成された。
- ^ a b c d e 棋戦開始年の年度後期の四段昇段者(東西決戦の勝者、四段昇段後の出場)。所属(関東・関西)により棋戦表の位置が変動。
- ^ 東日本大震災の影響等により「赤旗名人戦」が中止となり、第43期はアマ選手の出場なし。
- ^ 新型コロナウイルス感染症の影響等により「赤旗名人戦」が中止となり、第52期はアマ選手の出場なし。
出典
関連項目
外部リンク
|
---|
タイトル戦 |
|
---|
その他の 棋戦 |
全棋士参加棋戦 | |
---|
一部棋士参加可 |
|
---|
準公式戦・非公式戦 | |
---|
(休止・終了) | |
---|
|
---|
女流 タイトル戦 |
|
---|
その他の 女流棋戦 |
|
---|
カテゴリ |