奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ 2007年(平成19年)8月8日)は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト。TBSで一貫して報道アナウンサーを担い、プロデューサーも務めた。
概要
東京都文京区出身[1]。東京都立板橋高等学校、立教大学法学部卒業[2]。身長180cm[3]。
1965年4月にTBSに入社。1966年報道ニュースアナウンサーとして配属され、一貫して報道アナウンサーを務める。日本航空機ハイジャック、東大闘争、成田空港建設反対闘争、あさま山荘事件など大事件を扱う。朝の情報番組『おはよう700』メインキャスター(1977年 - 1980年)、政治部総理大臣官邸記者クラブ担当記者(1980年 - 1981年)、『テレポートTBS6』メインキャスター、『スーパーワイド』ニュースコーナーキャスター、『おはようクジラ』プロデューサーなども務めた。1983年4月4日に開始した『おはようニュース&スポーツ』では初代平日メインキャスターを1984年9月ごろまで務めた。
1999年、関連会社クリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA)常務に就き、2002年1月にTBSを定年退職[2]。 定年後は、CMA役員の他にフリーアナウンサーとしても活躍した。死去した際には「TBS朝の顔」と紹介された[3]。
兄は『モーニングショー』の司会を務めたNETアナウンサーの奈良和(なら かず)。
人物
1965年4月にTBSにアナウンサー10期生として入社、同期には今村稔・小川哲哉・車尾具昭・五味陸仁・多田護・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子がいる[4][5]。一年先輩の石川顯・宇野淑子は同学年の同僚。主にニュース、報道番組を担当し[6][7]、1966年1月ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部に在籍、報道局のニュースアナウンサーとして配属。その後1967年11月アナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部、1968年6月報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付、1970年7月テレビ本部報道局ラジオニュース部、1979年12月編集部兼第二制作局報道制作部、1980年10月編集部兼ラジオ局ラジオニュース部にそれぞれ在籍した後[7]、1981年記者職に転じる。『おはようニュース&スポーツ』などのメインキャスターを務め、1989年1月には報道総局アナウンス部兼報道局編集部兼解説委員室兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部、1990年3月報道センター兼解説室委員、1991年5月報道センター、1994年1月編集センター、1996年6月報道番組センター、1997年6月報道局にそれぞれ在籍[7]。
制作者としてはJNN選挙プロジェクト担当部長[8]、1996年 - 1999年には『おはようクジラ』(TBS)のプロデューサーも手掛けた。1999年、CMAに常務取締役として出向。2002年1月、TBSを定年退職した。
2005年に肝臓を患い、2007年8月8日、肝臓癌のため死去。65歳。戒名は「報徳院善道日陽信士(ほうとくいんぜんどうにちようしんし)」[9]。
略歴
出演番組
TBS
報道・情報番組
期間 |
番組名 |
役職
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1976年10月 |
1980年9月
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おはよう700(テレビ) |
メインキャスター
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1981年4月 |
1982年9月
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ニュースデスク(テレビ) |
土曜・日曜担当キャスター
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1983年4月 |
1984年9月
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おはようニュース&スポーツ(テレビ) |
平日メインキャスター
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1990年ごろ
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8時のニュース(テレビ) |
メインキャスター
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1986年10月 |
1987年9月
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テレポートTBS6(テレビ、関東ローカル) |
ニュース担当キャスター
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1987年10月 |
1989年3月
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メインキャスター
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1989年 |
1990年ごろ
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おはようニュース&スポーツ(テレビ) |
シフト勤務でのメインキャスター
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JNNニュース(テレビ) |
昼枠でのキャスター
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3時にあいましょう(テレビ) |
ニュースコーナーキャスター
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1992年10月 |
1996年3月
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スーパーワイド(テレビ)
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1993年10月
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JNNニュース1130(テレビ) |
メインキャスター ※1994年9月までは木曜・金曜担当、10月から1995年9月までは月曜 - 水曜担当、10月からは月曜 - 金曜担当
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1995年
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ニュースの森(テレビ) |
杉尾秀哉の代行キャスター
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その他
- 日本のひろば(1969年、テレビ)
- mix(ラジオ):ニュースキャスター
フリー
制作番組
出演CM
脚注
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身地 東京都文京区」 と記述。
- ^ a b 日外アソシエーツ 編『現代物故者事典 2006〜2008』日外アソシエーツ、2009年3月25日、475頁。ISBN 978-4-8169-2165-0。
- ^ a b “TBS“朝の顔”奈良陽アナ、肝臓がんで死去”. 夕刊フジ (産経デジタル). (2007年8月10日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_08/g2007081003.html 2014年8月25日閲覧。
- ^ 東京放送 編「III. 放送関係 7. アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237-238頁。「1965.4<10期生> 9人入社(男6・女3) 今村 稔 小川哲哉 車尾具昭 五味陸仁 多田 護 奈良 陽 桐本幸子 手塚俊子 本田綾子」
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM&PDF)東京放送、2002年1月、18-20頁。「65.4 <10期生>9人入社(男6・女3) 今村 稔 小川 哲哉 車尾 具昭 五味 陸仁 多田 護 奈良 陽 桐本 幸子 手塚 俊子 本田 綾子」
- ^ 東京放送 編「III. 放送関係 7. アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。「奈良 陽『ニュース、報道番組』 TV「おはようニュース&スポーツ(1984)」「テレポートTBS6(1987)」」
- ^ a b c 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM&PDF)東京放送、2002年1月、18-20頁。「65.4 <10期生>奈良 陽…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部][67.11 アナウンサー研修室付兼報道局Rニュース部][68.6 報道局Rニュース部兼アナウンサー研修室付][70.7 TV本部報道局Rニュース部][79.12 編集部兼第二制作局報道制作部][80.10 編集部兼R局Rニュース部][89.1 報道総局アナウンス部兼報道局編集部兼解説委員室兼R総局情報制作局ニュース・情報センター部][90.3 報道センター兼解説室委員][91.5 報道センター][94.1 編集センター][96.6 報道番組センター][97.6 報道局] 『ニュース、報道番組』 TV「日本のひろば(69)」「JNNニュースデスク(81)」「おはようニュース&スポーツ(84)」「テレポート6(87)」「スーパーワイド(92)」「JNNニュース1130(93)」」
- ^ a b “[奈良陽] CMA タレント、アナウンサー/キャスター、文化人/コメンテーターをマネージメント”. 2007年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年10月12日閲覧。
- ^ “奈良陽・元アナに露木氏「早すぎる…」”. スポーツニッポン. (2007年8月15日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/archive/2007archive/KFullNormal20070815073.html 2014年8月25日閲覧。
参考文献