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この項目では、秋田市の地区について説明しています。当地にある港湾については「秋田港」をご覧ください。 |
土崎港(つちざきみなと)は、秋田県秋田市北部の地区。単に「土崎」(つちざき)とも呼ばれる。土崎港北一丁目 - 七丁目、土崎港中央一丁目 - 七丁目、土崎港西一丁目 - 五丁目、土崎港東一丁目 - 四丁目、土崎港南一丁目 - 三丁目、土崎港穀保町と、住居表示未実施の土崎港御蔵町、土崎港下浜町、土崎港相染町、土崎港古川町がある。人口は19,975人(2020年10月1日現在、住民基本台帳人口調査[1]による)。
以降、本項では土崎と表記し、1941年(昭和16年)4月1日に秋田市へ編入された旧南秋田郡土崎港町、出羽国秋田郡土崎湊と周辺部についても併せて解説する。
概要
秋田市の中心部から北西約7kmに位置し、市内では比較的人口が多い地区である。主に住宅街となっており、秋田市北部市民サービスセンターがある。また、重要港湾の秋田港を擁し、中心にはJR奥羽本線の土崎駅(秋田駅から北へ2駅)と土崎神明社があり、西部にはセリオン(秋田市ポートタワー)、中心から南東すぐにはJR東日本の秋田総合車両センター(旧名:土崎工場)がある。東には、陸上自衛隊秋田駐屯地が隣接する。東は将軍野、西は秋田運河を挟んで向浜、南は寺内、北は飯島と接する。
官公庁の出先機関が秋田市中心部のほかに多く立地しており、現在では秋田市の副都心的な役割も大きい。歴史的には、出羽国の都心的地位が長かった。
毎年7月に、土崎神明社の例祭であり国の重要無形民俗文化財に指定されている勇壮な祭り「土崎神明社例祭」(土崎港曳山まつり)が行われる。
歴史
土崎は雄物川の河口(現在は秋田運河)に位置する港町である。もともとは平安時代の蝦夷討伐軍が拠点として築いた秋田城への物資の補給などに利用された港であった。これが元で昔から海運で栄え、室町時代には海の豪族とも言われる安東氏が湊城を築き三津七湊の1つに数えられ、江戸時代は佐竹氏久保田藩の藩港であり、北前船の寄港地でもあった。土崎地区の住所は「秋田市土崎港○○」であるが、これは1889年(明治22年)の町制施行時に土崎港町として登録していたことに由来している。現在の秋田港は、当時の土崎港とその周囲に建設された。
明治以後、秋田市とその周辺では油田開発が進んだ。昭和時代前半には特に八橋油田の産油量が多く、秋田だけで国内産油量の70%以上を誇っていた。そのため、八橋に近く、さらに鉄道でも船舶でも輸送が可能な土崎には、大規模な製油所が立ち並んでいた。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月14日には、100機以上のB-29からこの製油所の破壊を目的とした空襲(土崎空襲)を受け、土崎地区を含めて250名以上の死者を出した。これは太平洋戦争最後の空襲とされている7市に対する空襲の1つである。
1947年(昭和22年)8月14日、昭和天皇の戦後巡幸があり、日本石油の製油所などを視察。天皇は、社長から爆撃の被害状況や会社の現況について説明を受けた[3]。
八橋油田は戦後も開発が続き、昭和30年代に全盛期を迎えたが、現在の年間産油量は全盛期の1/10以下にまで落ち込んでいる。土崎にあった製油所は、秋田港に大型タンカーが接岸できないことや、消費地から遠いなどの理由により廃止された。
土崎港町は戦時中の1941年(昭和16年)4月1日に秋田市へ編入され、戦後は宅地開発が進んだ。特に国道5号(大正国道。現在は市道であり、旧国道と呼ばれている)のバイパスとして敷設された、土崎 - 山王を通る片側2車線の秋田天王線(通称:新国道)は、宅地の発展とともに秋田の大動脈道路となった。なお、現在は更に海側にバイパスが通り、そちらが国道7号になっている。
現在の土崎港地区は住居表示実施後の町名を基礎としたものになっているため、旧土崎港町全域を包含しているものの他地区であった地域も含んでいる[4]。
年表
旧町名
土崎港地区内の旧町名と由来は以下の通りである。秋田市編入後は、これらすべてに「土崎港」が冠される。概ね北から順に並べているが、寺内字将軍野は南北を問わず土崎港地区の東一帯を占める。
旧町名は現在でも土崎港曳山まつりの町内名として残っている(記事「土崎神明社祭の曳山行事」の各年の奉納曳山 の項を参照)。
旧町名 |
よみ |
旧町名の由来[17][18] |
新住所名[19][20] |
主なスポット
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相染町 |
そうぜんまち、 あいそめまち、 そうぜんちょう |
馬頭観音を祀った宗善社に由来するとされるが、穀丁村→湊相染村→宗善大谷地→相染村新田という変遷をたどっている。 |
北1・3 - 7丁目、相染町 |
ダイソー土崎港店 マルダイ土崎店(スーパー) マックスバリュ港北店 スーパードラッグメガ土崎店 イエローハット秋田土崎店
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中央5 - 7丁目、西1 - 5丁目 |
土崎駅 - 秋田港駅間線路の跨線橋(国道7号) および踏切(旧国道7号) 秋田信用金庫港北支店 藤田金物
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新町 |
しんまち |
昔「羽立」といったところで、戸数十五軒ほどしかなく、魚漁を業とし、生魚を売買していたところといわれている。延宝二年から三年にわたって戸数が増加し、新町の開設を許された。当時穀保町のことを新町と呼んでいたため,「下新町」と呼ばれていた。
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中央5丁目 |
ナベシマ時計店 小林菓子舗 武蔵堂(剣道具)
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菻町 |
がつぎまち |
昔、菻(マコモ)が繁茂していた湿地を開拓して出来た町だからと考えられる。 |
中央5丁目 |
ローソン秋田土崎港中央五丁目店
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肴町 |
さかなまち |
肴屋の町であり、藩から魚の専売権も与えられた。 |
中央3丁目、西1丁目 |
竹中商店(昆布) 佐川商店(ふとん)
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壱騎町 (壹騎町) |
いっきまち |
秋田を支配していた安東氏の一騎当千(一人で千人を相手に戦えると思えるほど強い、の意)の家臣が住んでいたからだとされる。 |
中央3・5・6丁目 |
土崎駅 土崎神明社
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小鴨町 |
おがもまち |
昔、鴨が多い湿地であったからだとされる。 |
中央3丁目、西3丁目 |
土崎郵便局 (古くは土崎港町役場あり)
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加賀町 |
かがまち |
加賀国からの移住者が商家となり町を開いた。 |
中央3丁目 |
秋田銀行土崎支店 舛屋薬局(江戸時代末期創業)
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稲荷町 |
いなりまち |
稲荷神社が祀られる。 |
西3丁目 |
ローソン秋田土崎港西三丁目店
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永覚町 |
えいかくまち |
永覚坊という名の修験者が住んでいたといわれる。 |
中央1丁目、西2丁目 |
北都銀行土崎支店 秋田信用金庫土崎支店 五十嵐記念病院 那波商店(酒蔵) はるやま秋田土崎店
あきたレディースクリニック安田
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旭町 |
あさひまち |
不詳(江戸末期に南隣の清水町とともに開発。) |
中央1・3・4・6丁目 |
土崎港中央通り商店街 土崎小学校 ナーサリー土崎 土崎病院
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本山町 |
もとやまちょう |
廻船問屋が別宅を建て「山屋敷」と呼ばれ、その後、新家持の屋敷となり「新規侍町」となる。それが「元山町」( = 元は山屋敷)と改められるが「本山町」と書かれるようになる。 |
中央4・6丁目 |
ナイス土崎店(スーパー) 秋田北税務署
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古川町 |
ふるかわまち |
雄物川の旧河跡(砂が堆積してできた河道)すなわち「古川」があったからだとされる。 |
中央3丁目、西2 - 4丁目 |
秋田臨港警察署 ホテルルートイン秋田土崎
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下酒田町 |
しもさかたまち |
庄内酒田(山形県酒田市)からの移住者によって開かれたからだとされる。 |
中央1丁目、西2丁目 |
東部ガスプラザ土崎店
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上酒田町 |
かみさかたまち |
中央1丁目、西2丁目 |
旧ホテル大和
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清水町 |
しみずまち |
不詳。町が開かれたのは1867年(慶応3年)と伝えられる。1846年(弘化3年)の絵図には、「御郡方湊町御年貢地」とある。 |
中央1・2・4丁目 |
土崎港郵便局
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新城町 |
しんじょうまち |
佐竹氏の久保田城下に移った住民の一部が、新たにこの地に作った町だからではないかと言われる。 |
中央1丁目、西1・2丁目、 南1丁目 |
国道7号と「新国道」の交差点
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愛宕町 |
あたごまち |
愛宕社(至宝寺)に由来する。 |
中央1・2丁目、南1・2丁目 |
加賀英呉服店
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新柳町 |
しんやなぎまち |
不詳。古くは新地と呼ばれ、十八世紀末~十九世紀はじめ頃に開発された町。 |
中央1・2丁目、南1・2丁目 |
イオン土崎港店(正面入口) 秋田県信用組合土崎支店
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御蔵町 |
おくらまち |
久保田藩の大倉庫(米倉)があったことに由来する。 |
南1丁目 |
ネクステージ秋田店
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寺内字幕洗川 |
てらうち あざまくあらいかわ |
昔は川があり、坂上田村麻呂が戦いで汚れた幕を洗ったという伝説から。 |
中央2丁目、南1・2丁目 |
イオン土崎港店(店舗建物がある場所)
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穀保町 |
こくぼちょう |
秋田県東部の仙北地区の川下げ米に対応する蔵宿の町に由来するとも、藩主による命名とも言われる。 |
南1丁目 |
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花園町 |
はなぞのまち |
不詳 |
南1丁目 |
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寺内字将軍野 |
てらうち あざしょうぐんの |
坂上田村麻呂(征夷大将軍)が陣を敷いたと伝えられる。 |
北1・3・4丁目 |
イオン東北本社 土崎中学校 港北小学校 自衛隊・秋田駐屯地[21]
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東1-4丁目[13] |
土崎南小学校
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行政機関
秋田市の機関
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秋田市北部市民サービスセンター
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土崎消防署
-
秋田市立土崎図書館
-
土崎みなと歴史伝承館
秋田県の機関
その他の県域機関
国の機関
かつてあった行政機関
- チャレンジオフィスあきた - 2020年(令和2年)中通2丁目に移転[22]
交通
鉄道
かつてあった鉄道
道路
- 一般国道
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- 主要地方道
-
- 一般県道
-
バス
港湾
教育
高等学校
中学校
小学校
幼稚園
- 土崎幼稚園(学校法人 加藤学園)
- 土崎カトリック幼稚園
- 港北幼稚園(学校法人 港北学園)
かつてあった教育施設
専門学校
施設
郵便施設
銀行施設
医療施設
- 土崎病院
- 五十嵐記念病院
- あきたレディースクリニック安田
- 舛屋薬局
商業施設
- 本町通り商店街
- 那波商店 - 酒造
- 竹中商店 - 乾物
- 佐川商店 - ふとん
- 秋田みなと交通 - タクシー
- 土崎港中央通り商店街
- 白樺 - らーめん
- 千田肉店 - 精肉
- フジタ印房 - 判子
宿泊施設
スポーツ施設
かつてあった施設
銀行施設
- 秋田銀行将軍野支店 - 2021年(令和3年)土崎支店内に移転[23]・かつて土崎港東2丁目に存在
- 北都銀行土崎南支店 - 2019年(令和元年)土崎支店内に移転[24]・かつてイオン土崎港店内に存在
- 土崎信用金庫 - 1995年(平成7年)秋田信用金庫に合併・現在の秋田信用金庫土崎支店と五十嵐記念病院に存在
医療施設
商業施設
- いとく将軍野店 - 2015年(平成27年)自衛隊通店開店に伴い閉店・現在の株式会社かんきょうに存在
- 薬王堂秋田土崎店 - 2023年(令和5年)閉店・かつて土崎港北6丁目に存在
- ツルハドラッグ秋田土崎中央店 - 2014年(平成26年)閉店[25]・敷地は閉店後ニューライフ・カネタ土崎店が開店
- ニューライフ・カネタ土崎店 - 2023年(令和5年)閉店・かつて土崎港中央1丁目に存在
- サンデー秋田土崎店 - 2020年(令和2年)閉店・現在のダイソー土崎港店に存在
- 洋服の青山秋田土崎店 - かつて土崎港南2丁目に存在
宿泊施設
- ホテル大和 - 2023年(令和5年)破産により閉店[26]
出身者
政治家・官僚
芸能・文化人
スポーツ選手
マスメディア
その他の出身者
居住者等
名産品
脚注
参考文献
関連文献
関連項目
外部リンク
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※地域区分(秋田市の人口・世帯で使用されているもの)ごとに分割し、更にその中で冠称を同じくする町・字をまとめた。 平成の大合併で編入された旧2町は昭和の大合併における旧々町村の単位でまとめた。 |
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