太平八田(たいへいはった)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1101。住居表示未実施地区。
地理
秋田市の東部、太平地区の中では西部から北部にかけて位置する。中央部を北東から南西に八田川が流れ、南西部の八田集落南側で太平川に合流する。八田集落付近を秋田県道28号秋田岩見船岡線が東西に走り、集落東部で秋田県道232号太平山八田線が分岐して地区奥部の上八田・堂ノ前・木曾石集落へ向かう。太平川・八田川流域に農地が拓けている他は山林地帯である。県道232号の末端は太平山登山道の金山滝コースに直結する(かつては山頂まで県道指定されていた)。
北西は山内、北は仁別、東は太平黒沢・太平寺庭・太平目長崎、南は下北手松崎、西は柳田に隣接する。
小字
41の小字が現存する[3]。
- 字荒巻(あらまき)
- 字一ノ沢(いちのさわ)
- 字鷽越(うそごし)
- 字打越(うちこし)
- 字梅木台(うめきだい)
- 字大石(おおいし)
- 字扇田(おおぎだ)
- 字大岱下(おおだいした)
- 字大滝ノ沢(おおたきのさわ)
- 字金釜(かながま)
- 字金山(かなやま)
- 字上町内(かみちょうない)
- 字上八田(かみはった)
- 字川崎(かわさき)
- 字木曾石(きそいし)
- 字香炉沢(こうろざわ)
- 字琴ケ沢(ことがさわ)
- 字才ノ崎(さいのさき)
- 字猿田沢(さるたざわ)
- 字下町内(しもちょうない)
- 字関口(せきぐち)
- 字滝ノ沢(たきのさわ)
- 字館ケ沢(たてがさわ)
- 字館ノ下(たてのした)
- 字田屋ノ前(たやのまえ)
- 字月見沢(つきもざわ)
- 字寺野(てらの)
- 字堂ノ前(どうのまえ)
- 字樋ケ沢(とよがさわ)
- 字長橋(ながばし)
- 字二手ノ又(にてのまた)
- 字八田(はった)
- 字稗田(ひえだ)
- 字平ノ脇(ひらのわき)
- 字藤ノ崎(とうのさき)
- 字細田(ほそだ)
- 字松沢(まつざわ)
- 字屋敷田(やしきだ)
- 字谷地(やち)
- 字矢櫃(やびつ)
- 字和岱(わだい)
河川
歴史
文禄元年8月22日(1592年9月27日)の「秋田家分限帳写」に「八田(面)村 552石余」とあるのが初見資料である(秋田図書館所蔵文書)[4]。「慶長6年秋田家分限帳」にも「八反村」の表記で、20石知行4件・17石知行3件の記録がある[4]。一部氏を主とする古館があり、旧地名の「三部」から一部を取って地名を「二部」に改めたという[5]。八田川の別名を二部川(にんぶがわ)ともいう[4]。
江戸時代を通じて久保田藩領の大村で、「正保国絵図」では本田当高590とされている[5]。「享保黒印高帳」では村高879石余・当高994石余(うち本田856・本田並82・新田56)[5]。「享保郡邑記」では112軒あって、うち枝郷の木曽石・関口・竹野前・弐部(にんぶ)の4ヶ村分が59軒となっている[5]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高990石余(うち蔵分813、給分177)[5]。「秋田風土記」では108戸があり、枝郷は関口・竹野沢・二部・木曽石で、合わせて1,000石[5]。
沿革
字域の変遷
地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。
世帯数と人口
2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
交通
鉄道
地区内に鉄道路線・駅は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
- 秋田中央交通
- 《太平線》 - 八田入口 - 八田下丁 - 八田中丁 - 八田上丁 -
- 秋田中央トランスポート
- 《木曽石コース》 八田上丁 - 藤崎 - 仁部下丁 - 仁部上丁 - 和岱入口 - 堂の前 - 公民館前 - 木曽石下丁 - 木曽石
道路
施設
字上八田
字琴ケ沢
字田屋ノ前
字寺野
- みずしな孝之原作の漫画(アニメ)「いとしのムーコ」のモデルになったガラス工房。
字堂ノ前
字樋ケ沢
字八田
字稗田
字藤ノ崎
字細田
字松沢
字和岱
参考文献
- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
- 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
- 秋田市 地名小辞典
脚注
外部リンク
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※地域区分(秋田市の人口・世帯で使用されているもの)ごとに分割し、更にその中で冠称を同じくする町・字をまとめた。 平成の大合併で編入された旧2町は昭和の大合併における旧々町村の単位でまとめた。 |
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