国鉄711系電車
国鉄711系電車(こくてつ711けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1967年(昭和42年)に設計・開発した日本初の量産交流近郊形電車である。 概要函館本線電化事業と並行して開発された、初の北海道向け国鉄電車である。開発に際しては酷寒地を走行することから、内外共に徹底した耐寒耐雪への装備がなされている。 本系列以前の本州・ 九州向け在来線交流対応電車は直流電化区間との直通運転を行うためすべて交直両用であったが、本系列は在来線初の交流専用営業車[注 1]として設計され、かつ1M方式[注 2]を採用した量産車である。 1967年(昭和42年)に仕様の異なる2編成4両の試作車を落成させ各種試験を実施。量産車は1968年(昭和43年)8月28日の小樽 - 滝川電化開業に合わせて製造され、同日から営業運転を開始した。1969年(昭和44年)の旭川電化、1980年(昭和55年)の千歳線・ 室蘭本線室蘭 - 沼ノ端電化と道内電化区間延長の度に改良形を増備。総数114両が製造され、札幌運転所に配置された。 車両概説※本項目では量産車仕様について解説を行い、試作車ならびに後年の改造については後述する。 車体構体は普通鋼製を基本とし、電車として初めて採用となる耐候性高張力鋼板 (SPA) を外板に使用する[1]。1,000 mm幅の片開き引戸を車体両端の片面2か所に配する。客室と出入口を扉で仕切ったデッキを備え、455系などの急行形電車に類似する構造である。客室窓は1,080 mm×680 mmの1段上昇式で、内外2組の窓枠をもつ二重窓[注 3]とし、内側の窓枠をFRP製とするなど冬季の車内保温と結露防止を重視した構造である。 電動車のモハ711形は機器構成の簡略化で軽量化が図られ、1両で主回路を構成する1M方式が採用された。また機器類へ雪の侵入を防止する観点から主電動機冷却用吸気口を車体側面の高い位置にし、大容量の雪切室を客室内2位・3位側の2か所に設置する。これは外気を一度室内に導いたうえで雪を分離するためで、雪切室から主電動機へは床下に設置された風洞と蛇腹で誘導される。
床下には上述の主電動機冷却用ダクトや断熱材を収容する必要から、床面は暖地向け車両に対して50 mm(レール面基準)高い位置となった。床面高は電動機を持たない制御車クハ711形も同一寸法である。このため前面の運転台窓・貫通扉・種別表示器は本州向け電車より高い位置となる。 前照灯はシールドビームを正面中位の左右に各1灯、標識灯・タイフォンは正面下位に設置する。灯火類は国鉄電車の規定位置としたため相対的な取付位置は低く見え、標準的な「東海形」やクハ111形の前面とは印象が異なる[注 4]。前部の排障器(スカート)はエゾシカやヒグマなどの大型動物や、氷塊との衝突を考慮した大型板厚タイプで耐衝撃性を向上させた。 車両間貫通幌は車体側と幌枠側の両方に固定用クランプを持つ独特の仕様[注 5]で、国鉄新性能電車では唯一である。 外部塗色は車体全体を赤2号(えんじ色)、先頭車の前面下部をクリーム4号とした配色であったが、1985年(昭和60年)から塗色変更を実施。明るめの赤1号[注 6]の地色に前面と側面窓下にクリーム1号の帯を配したタイプとなった。室内の化粧板も暖地向け近郊形のような淡緑1号ではなく、新幹線0系や特急形などと同じ薄茶色6号である[2]。 車内設備地域輸送を主用途とする近郊形として設計された車両であるが、座席配置は車端部分のみにロングシートを設けるセミクロスシートという汎用的に使用できる構造である。 これは普通列車のみならず当初から急行列車での運用をも考慮したもので、近郊形に必要な860 mmの通路幅は窓側席の肘掛を省略して確保する一方、クロスシート部は座席形状や1,470 mmのシートピッチ[注 7]、窓側に装備される栓抜き付きテーブルなども急行形車両と同等となり、「かむい」「さちかぜ」などの急行列車でも運用された。但し、455系やキハ56系とは異なり、グリーン車は製作されなかった。 クハ711形には便所のほか、これも急行用車両並に独立した洗面所を対面に設置。配置は共にデッキ外(車端)とされた。床材は北海道用車両で一般的だった板張り[注 8]を廃し、一般的な鋼板リノリウム張りとしている。新造時には冷房装置を搭載せず、屋根上に押込式通風器を、室内天井に扇風機を装備した。 主要機器日本の電車では初めてサイリスタ位相制御を採用した。凍結や着雪による故障の起こりやすい接点(スイッチ)類を極力排除し、冬季のトラブル回避とシステムの小型化を図った。 常用ブレーキは電磁直通空気ブレーキのみを装備する。 量産車ではモハ711形1両の両端に制御車であるクハ711形を組成し、1M2Tの3両編成を基本構成とする。これはサイリスタ位相制御の採用で高い粘着性能が得られたことによる。MT54形主電動機の端子電圧を375 V→ 500 Vへ昇圧し、定格電流を360 A→330 Aへ下げたことにより、定格出力が標準の120 kWから150 kWへ、また、弱界磁制御を排して単純化し、定格速度が同一歯車比の抵抗制御車の52.5 km/h→73.0 km/hへとそれぞれ向上したことで可能となったもので、交流電車専用定格とされた。動力伝達はMT54形主電動機の基本仕様である中空軸平行カルダン駆動方式で、歯車比は近郊形標準の4.82である[3]。
このため初期製造コストを抑えつつ輸送力を確保することに貢献した反面、3両編成中に電動車が1両のみでMT比が低く、公称の起動加速度値1.1 km/h/s は一般の特急形電車をも下回った[注 11]。一方で最高速度の110 km/hは、国鉄近郊形電車としては1979年(昭和54年)に落成した117系が並ぶまで最速であり、高速域まで強トルクが得られる特性から、実用上の高速性能はおおむね485系と同等とされた。 台車は本系列専用のDT38形・TR208形で、それぞれDT32形・TR69形をベースとし、インダイレクトマウント式空気バネによる枕バネ・円筒案内式軸箱支持装置・密閉形円錐コロ軸受を採用する。凍結による減衰機能喪失を防止する観点から軸バネはゴムで被覆され、基礎ブレーキ装置はDT38形が両抱き式踏面ブレーキ、TR208形が自己通風式ディスクブレーキを搭載する。なお軸受・軸箱支持共に国鉄量産形電車では初採用の方式[注 12]である。 以上のような特殊性から、本系列は国鉄電車で長年多用された抵抗制御車特有のクセである加速時抵抗切り替えによるショックがなく、速度が高まっても主電動機冷却扇の音がしないなど、国鉄近郊形電車としては極めて独特の乗り心地となった。また、新性能電車に付きものの主抵抗器冷却用ブロアー音も無く、車内外共に騒音は非常に少ない[注 13]。また、制御車には電動発電機(MG)などの騒音源が無く、空気バネ台車やデッキ付・二重窓の耐寒装備とも相まって、客車とほぼ同様の静粛性と乗り心地を提供した。 空気圧縮機は試作車900番台はMH1045-C2000Mを、0番台はMH1045-C2000Cを、100番台はMH1045A-C2000Cをそれぞれクモハ711もしくはモハ711に搭載した。 形式別概説
製造年次別詳説本系列は、試作車ならびに3度の量産が実施され、最終的に3両編成x38本=計114両が製造された。本項ではそれぞれの製造グループについて解説を行う。 試作車最小限の車両数で比較試験を行うためクモハ711形+クハ711形の2両編成とされ、仕様の異なる以下の2編成が1967年(昭和42年)に製造された。
クモハ711形の共通装備として、耐雪形のPS16Gパンタグラフ・DT38X形試作台車(基礎ブレーキ:制輪子による踏面ブレーキ)・連結面側車端部(3 - 4位)に設置する大型雪切室などがある。連結方向が決まっているため、車両間引き通しはクモハ711形・クハ711形とも「片渡り」構造である。 1980年(昭和55年)の第3次量産車製造時にクハ711形100番台を追加して3両編成とし、クモハ711形は運転台の一部機器を撤去し中間車として組成された。1999年(平成11年)10月までに運用を終了[注 16]。1980年に編成組成されたクハ711形100番台2両は他編成のクハ711形置換えに転用され、試作車4両は廃車となった。その後、クモハ711-901+クハ711-901のみ苗穂工場で保存されたが、クハ711-901は後日解体された。 第1次量産車
第2次量産車
第3次量産車
編成番号は識別記号「S[注 17]」にモハ711形の車両番号を付加した「S-***」となる。 なお所属車のうち3扉化および冷房改造を施工していない編成が2本在籍するが、そのうちS-110編成は2011年6月に、S-114編成は2012年5月に、「2012年北海道デスティネーションキャンペーン」のプレイベントとして国鉄時代の旧塗装に復元された。
改造試作車の量産化改造量産車と仕様統一するための改造が2度実施された。
クモハ711形・クハ711形前照灯増設工事降雪時の視界確保を目的に、正面上位の種別表示器直上部に砲弾型シールドビーム2灯を増設し4灯化するもので、1973年(昭和48年)にクハ711-3・4に試験取付を行い、1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけてクモハ711形・クハ711形全車へ施工された。 主変圧器などの非PCB化改造従来より変圧器の絶縁油として使用されてきたポリ塩化ビフェニル (PCB) は1972年(昭和47年)に製造が禁止され、本系列の第3次量産車や781系電車では絶縁油にシリコーン油を使用した非PCB仕様の主変圧器・主整流器が採用された。本系列の第2次量産車までに使用されたPCBを使用する機器についても非PCB機器への取替えが検討され、1976年(昭和51年)にモハ711-8・9・51に試験交換を実施した。結果を踏まえ、第1次・第2次量産車の全車を対象とする交換工事が1977年(昭和52年)から開始され、1982年(昭和57年)に完了した。 交流回生ブレーキ試験(S-59編成)→「国鉄713系電車」も参照
交流電車における回生ブレーキの実現のため、1981年(昭和56年)に、モハ711-59に回生機器を仮設して、9月14日・16日・18日の3日間にわたり、北海道の室蘭本線・千歳線札幌駅 - 萩野駅間(実際の試験は千歳空港駅〔現:南千歳駅〕 - 白老駅間)で回生ブレーキの現車走行試験を実施し、抑速のみならず停止まで使用可能な交流回生ブレーキの実現に目処をつけた[6][7][8]。なお、試験は予備車として室蘭方にS-58編成(無改造)を連結した6両編成で実施されている[7]。試験結果はのちに九州向けの713系電車にフィードバックされているが、国鉄の財政事情から713系の大規模な量産は叶わなかったため、在来線交流電車における回生ブレーキは分割民営化後のJR九州783系電車まで普及せず、北海道においては1994年(平成6年)の721系F-1009編成(731系電車システム試験車)まで登場がなかった。 客用扉増設改造札幌都市圏での乗降客増加に対応するためクハ711形の車体中央部に車端部と同一仕様の片開き式客用扉を増設する工事。1987年(昭和62年)9月にクハ711-1・2へ先行施工後、同年12月からクハ711形第3次量産車5編成10両へ施工された。増設された中央扉には721系同様にデッキを設置、客室間には両開き仕切り扉を装備する。施工車は扉の帯上下に同色の細帯を付帯させ判別する。 モハ711形は台枠の補強に伴う重量増加が許容できないため、本改造は未実施。
室内設備仕様検討用改造(S-112編成)731系電車開発に伴う仕様検討のため、1995年(平成7年)に苗穂工場でS-112編成(クハ711-112+モハ711-112+クハ711-212)へ施工された以下の改造工事である。
改造は座席等の接客設備が主で、外観上の差異はほとんどない。施工後は一般車と共通運用されたが、クールファン取付部から室内に水が侵入するなど改造に起因する不具合が多発したとされる。2006年(平成18年)7月以降に運用離脱し、同年11月に廃車された。 冷房装置搭載改造2001年(平成13年)より第3次量産車客用扉増設未実施11編成33両のうちS-110・S-114の2編成を除く9編成27両に集約分散式冷房装置の搭載工事が苗穂工場で施工された。
パンタグラフ換装着雪による離線防止と補給部品の社内統一を目的にモハ711形のパンタグラフをシングルアーム式へ換装する工事が2004年(平成16年)秋から2005年(平成17年)秋にかけて施工された。 運用の変遷国鉄時代試作車は2両編成のまま量産車と混用され、モハ711-9を組成した2M1Tの3両編成、2両+3両の5両編成、2両+3両+3両の8両編成で運用されることもあったが、1980年(昭和55年)の第3次量産車増備時にクハ711形を2両追加製造し、全てを3両編成に統一した。 1968年(昭和43年)8月の運転開始時は直近に大ダイヤ改正(ヨンサントオ)が迫っている事もあって従来の気動車ダイヤをそのまま置き換えた形でのスタートとなったが、ヨンサントオ以降に本格使用となり小樽-滝川間の急行「かむい」1往復にも使用された。 1969年(昭和44年)9月の滝川 - 旭川電化開業以降は、主として3両から9両の編成を組成して函館本線の普通列車で運用されたほか、当時の北海道内一般型気動車同様に急行列車にも汎用され、札幌 - 旭川間の急行「かむい」「さちかぜ」に充当された。
1975年(昭和50年)に485系1500番台による道内初の電車特急「いしかり」が運転開始で「さちかぜ」は廃止。「かむい」も格上げの形で減便された。1978年(昭和53年)には北海道専用の781系が開発され、「いしかり」の冬季減車(6両 → 4両)と計画運休(1時間 → 2時間ヘッド)による「間引き」の解消が可能になって以降、「かむい」の運転本数は漸次減少。1986年11月1日のダイヤ改正で本系列による「かむい」の定期運行が廃止[注 20]され、急行運用は消滅した。 一方、普通・快速列車での運用は1980年に千歳線・室蘭本線室蘭電化により第3次量産車が増備され、室蘭まで範囲が拡大した。 JR北海道分割民営化後も函館本線・千歳線・室蘭本線の普通列車・快速列車で運用された。しかし札幌都市圏の進展に伴い旅客輸送量が増大すると、2扉デッキ付き構造がラッシュ時の乗降を滞らせ列車遅延を多発させた。対応策としてロングシート化・乗降ドアの3扉化・デッキ撤去などの改造が一部車両に施工された。 1992年(平成4年)の新千歳空港開港ならびに千歳線の空港への乗り入れにより快速「エアポート」の一部列車へ本系列が充当された。しかし721系の増備や1997年の731系投入により、1998年には快速「エアポート」運用が終了。千歳線での運用が大幅に減少したことに伴い試作車は1999年までに、第1次・第2次量産車は2004年までに全車が運用終了し2006年までに廃車となった[9]。また、1980年製造の第3次量産車も、これらの廃車整理により室内仕様変更車のS112編成と、クハ711-118・119・120・218の7両が2006年までに廃車されている。 また札幌駅発着列車の千歳線運用終了後も室蘭本線では引き続き苫小牧駅 - 室蘭駅間で運用された。このため札幌運転所からの送り込みが早朝に手稲発5時台の東室蘭行き[注 21]、入所が夜間に東室蘭発20時半の札幌行き[注 22]の直通列車1往復が設定された。しかし室蘭線での運用も2012年(平成24年)10月27日のダイヤ改正で苫小牧 - 室蘭間普通列車が気動車によるワンマン運転へ統一されたため終了した[10][11]。その後は札沼線(学園都市線)電化により北海道医療大学までの運用へ一時的に充当されたほか、一般営業運転を除いた回送列車ならびに訓練運転を含むと宗谷本線旭川 - 旭川運転所[注 23]間での走行実績がある。 2007年以降の残存車は第3次量産車のみとなり、函館本線で引き続き小樽駅 - 旭川駅間での運用が継続されたが、2012年11月22日に2014年度末をもって営業運転を終了させる方針であること[12]、同年12月7日には733系電車によって順次置換えられる予定であることが報道された[13][14]。これに伴い2013年から廃車が再開され、同年12月にS104・S115編成が廃車された。 2014年8月30日のダイヤ改正では、函館本線で残存していた上下合わせて30本の運用のうち16本が721系へ置換えられ[15]、小樽 - 手稲間の定期運用が終了[16]。以降は岩見沢 - 旭川間で上下合わせて14本、ならびに札幌運転所への出入所を兼ねた札幌 - 岩見沢間1往復と手稲 - 札幌間回送列車1往復に充当された。札幌 - 岩見沢間は列車密度が高く高加減速性能が求められるため、上りは岩見沢発7時台後半の144M[注 24]、下りは札幌発23時台の285M[注 25]で運転された。この運用は2015年3月13日の144Mをもって終了した[17]。 なお本系列の運用終了に合わせて、2014年9月13日から函館本線・千歳線・室蘭本線・札沼線の主要駅で記念入場券・記念乗車券を発売[18]。同年10月5日 - 6日には団体臨時専用列車「ありがとう711系・道央縦横断号」を運転[19]。さらに2015年2月15日頃からは、かつて本系列で使用されたヘッドマークをモチーフにした4種類(マリンライナー・くるくる電車ポプラ・いしかりライナー・空港ライナー)の「さよなら711系」ステッカー式ヘッドマークを作成し、それぞれを2編成ずつ計8編成に掲出した[17]。
編成表
引退後引退後、インターネット上で車両の保存を求める声が高まり、有志で構成される「北海道鉄道観光資源研究会」がクラウドファンディングを開始[20]。目標金額を達成し、岩見沢市栗沢町のファームレストラン「大地のテラス」にて711系電車2両の保存が決定した。2015年8月5日に車両が搬入され、同月7日夕刻より展示公開を開始している[21]。車両の管理や活用は「岩見沢赤電保存会」により行われている。 また、2000年に廃車されたクハ711-29が千歳市でカフェとして活用されている。 その他の車両は、2015年5月に陣屋町臨港駅構内や岩見沢駅構内などに引き入れられ、7月6日から24系客車とともに順次解体された[22]。
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
関連項目 |
Portal di Ensiklopedia Dunia