和地町(わじちょう)は、愛知県田原市の地名。76の小字が設置されている。
地理
旧渥美町南部に位置する。南は太平洋に接する。
字一覧
字名は以下の通りである[6]。
- 鮎川(あゆかわ)
- 一色(いしき)
- 一色新畑(いしきしんばた)
- 一色前畑(いしきまえばた)
- 内荒子(うちあらこ)
- 大白見(おおじろみ)
- 太田(おおた)
- 大田原(おおたはら)
- 大深沢(おおみざわ)
- 大無所(おおむしょ)
- 大山口(おおやまぐち)
- 奥川(おくがわ)
- 奥谷ノ田(おくやのた)
- 鍵田(かぎでん)
- 柏崎(かしわざき)
- 上鮎川(かみあゆかわ)
- 上大道(かみおおみち)
- 上狐沢(かみきつねざわ)
- 上小黒見(かみこぐろみ)
- 川尻(かわしり)
- 北浦(きたうら)
- 北大田原(きたおおたばら)
- 北原(きたばら)
- 北屋敷(きたやしき)
- 北山(きたやま)
- 京田(きょうでん)
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- 玄徳(げんとく)
- 郷田(ごうだ)
- 小坂浦(こさかうら)
- 猿岩(さるいわ)
- 地蔵田(じぞうだ)
- 下鮎川(しもあゆかわ)
- 下大田(しもおおた)
- 下大道(しもおおみち)
- 下狐沢(しもきつねざわ)
- 下中島(しもなかじま)
- 下ノ宮(しものみや)
- 新切(しんきれ)
- 砂場(すなば)
- 瀬戸畑(せとばた)
- 瀬戸山(せどやま)
- 立岩(たていわ)
- 椿沢(つばきざわ)
- 寺口(てらぐち)
- 徳右衛門荒子(とくえもんあらこ)
- 土田郷(どだごう)
- 中大田(なかおおた)
- 中谷ノ田(なかやのた)
- 西大坂(にしおおざか)
- 西太田(にしおおた)
- 西奥川(にしおくがわ)
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- 西海道(にしかいどう)
- 西原(にしはら)
- 西本村(にしほんそん)
- 野丹場(のたんば)
- 野薮(のやぶ)
- 波治神(はじかみ)
- 東(ひがし)
- 東大坂(ひがしおおざか)
- 東太田(ひがしおおた)
- 東奥川(ひがしおくがわ)
- 東ノ谷(ひがしのや)
- 東畑(ひがしばた)
- 東本村(ひがしほんそん)
- 東松元(ひがしまつもと)
- 広畑(ひろはた)
- 富士尾(ふじお)
- 船間(ふなま)
- 前畑(まえはた)
- 馬越(まごえ)
- 松元(まつもと)
- 南大坂(みなみおおざか)
- 宮下(みやした)
- 宮ノ前(みやのまえ)
- 谷ノ田(やのた)
- 夕海道(ゆうかいどう)
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歴史
地名の由来
和名類聚抄にある「和太郷」に比定される地であり、「和太地」が約されて「和地」となったとも、そもそも和太が和地の誤記であったともされる。
沿革
世帯数と人口
2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[11]。
施設
- 三島神社
- 進雄社
- 山之神社
- 曹洞宗医福寺
- 法尺寺
- 愛知県史跡皿山古窯群
その他
日本郵便
脚注
参考文献
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あ行 | |
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か行 | |
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さ行 | |
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た行 | |
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な行 | |
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は行 | |
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ま行 | |
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や行 | |
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わ行 | |
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注 |
■ = ウィキメディア・コモンズカテゴリ有・ ウィキメディア・コモンズには、田原市の町・字に関するカテゴリがあります。
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