北陸鉄道モハ2000形電車
北陸鉄道モハ2000形電車(ほくりくてつどうモハ2000がたでんしゃ)は、北陸鉄道(北鉄)が金沢市内線にて運用する目的で、1950年(昭和25年)に導入した路面電車車両である[1]。1967年(昭和42年)の金沢市内線廃止後、名古屋鉄道(名鉄)に譲渡され、同社モ550形電車として名鉄岐阜市内線で1997年(平成9年)まで運用された[5]。 経歴北陸鉄道の軌道線、金沢市内線のモハ2000形として、1950年(昭和25年)6月に10両(2001 - 2010)が近畿車輛で製造された[1]。車体は、全長10.5メートル、全幅2.2メートルで、前者に至っては戦後製造の半鋼製ボギー電車としては最も短い小柄な車両であった[1]。1967年(昭和42年)の金沢市内線廃止に伴い、10両全車が名鉄へ譲渡された[9][1]。名鉄ではモ550形(2代)[注釈 1]モ550 - 559と改称・改番されている。なお、北鉄からは1968年(昭和43年)4月にモハ2200形も全6両が名鉄に譲渡され、同社のモ560形(2代)として入籍している[9][10]。 名鉄岐阜市内線(本線)の伊奈波通 - 長良北町では、急曲線などの事情から広幅・大型車体のボギー車の入線が難しいため、戦後も長らく二軸単車が運用され続けていた[4][9]が、本形式の導入によりこれらが置き換えられ[4]、岐阜市内線のボギー車化が完了した[9][11]。以後、長良北町系統は1988年(昭和63年)に同区間が廃止されるまで、本形式が優先的に運用された[注釈 2][9]。 1969年(昭和44年)にモ555が事故廃車となり[9]、残った9両は1974年(昭和49年)1月にワンマン化改造を施され、同時に集電装置がビューゲルからZ型パンタグラフに交換された[1][2]。1977年(昭和52年)にモ559が、1988年(昭和63年)の岐阜市内線徹明町駅 - 伊奈波通 - 長良北町間廃止[12]に伴い2両(モ552・557)がそれぞれ廃車となるなど順次淘汰された。残る6両も1994年(平成6年)に3両(モ553・554・558)、1997年(平成9年)のモ780形導入時に3両(モ550・551・556)がそれぞれ廃車となり、形式消滅した[5]。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目
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