伊藤咲子
伊藤 咲子(いとう さきこ、1958年4月2日[2] - )は、日本の女性歌手。東京都目黒区出身[2]。本名:千葉咲子[2](旧姓:伊藤)。愛称はサッコ[3]。堀越高等学校卒業。所属事務所はミュージック・オフィス合田。 人物・経歴祖父母が山形県出身であり、両親は山形疎開時に結婚し、山形県に住んでいたが、東京へ転居した後に伊藤が出生した。そのため伊藤は生まれも育ちも東京だが、山形に深い思い入れがあり、山形は自分の故郷と語っている。生まれた日は病院の周りの桜が満開で、母親は「桜子」と名付けたかったが親戚一同から“芸能人みたいでおかしい”と反対されて「咲子」と名付けられた。山形の父親の生家は代々の造り酒屋であったが、父親は上京してクラシック音楽の写譜の仕事をしていた[4]。母方の大叔母に声楽家の砂原美智子がいる。 1973年(昭和48年)、15歳で日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出場して優勝[2]、これを機に芸能界へ。 デビューにあたり『スター誕生!』で芸名を公募した際、男性器をもじった案の応募があったことが、下ネタ嫌いと言われる司会の萩本欽一によって紹介された。またその前には『スター誕生!』出身で「花の中三トリオ」の森昌子・山口百恵・桜田淳子からそれぞれ1字ずつ採った「森山 桜」という案も紹介された。しかし最終的には本名でデビューすることになったと萩本が発表した[1]。 1974年(昭和49年)4月20日、東芝EMIからデビュー・シングル『ひまわり娘』を発売[5]、アイドル歌手としてデビュー。しかしその年のレコード大賞、日本歌謡大賞の新人賞は受賞ならず。当時の所属事務所はオフィス・トゥー・ワン。同年末に発売のシングル『木枯しの二人』が、翌1975年のオリコン年間ヒットチャートで36位にランクイン、自身最大のヒット曲となる。 1975年(昭和50年)、『乙女のワルツ』が日本テレビ音楽祭金の鳩賞、日本歌謡大賞放送音楽賞などを受賞[2]。 1976年(昭和51年)3月5日、『きみ可愛いね』を発売[5]、ヒット曲となる[2]。同年10月5日、『想い出のセンチメンタル・シティ』を発売[5]。同時に、デビュー以来のシングル盤の総数(プレス枚数または出荷枚数)が200万枚を突破したと東芝EMIから発表された[6]。同年末、第27回NHK紅白歌合戦に初出場し「きみ可愛いね」を歌唱[2]。『想い出のセンチメンタル・シティ』が同年のレコード大賞候補にノミネートされる[2]。 結婚前に、同期デビューの城みちると3、4年間交際していたことをお互い明かしている[7]。 1982年(昭和57年)5月1日、アルバム『Slow Motion』を発売[5]。『男嫌い』がシングルカットされる[5]。 1983年(昭和58年)9月21日にはシングル『追憶』を発売[5]、この曲は同年公開の松竹富士映画『ふるさと』のイメージソングとして使用された。これを最後に東芝EMIから徳間ジャパンへ移籍し、1985年9月にシングル『愛人芝居』を発売[5]。また1984年(昭和59年)には、デビュー10周年を記念して写真集を出版した。 1989年(平成元年)に 青年実業家と結婚[8]。歌手活動を休止し「伊藤咲子の店」を開業[2]。カラオケパブを経営し、伊藤がアイドル歌手であった頃のファンが度々訪れたという。 歌手活動休止中に子宮腺筋腫を発症し、急性腎盂腎炎も併発。2000年(平成12年)に摘出手術を受ける[3]。「もう一度歌いたい」との思いで病気を乗り越え[3]、2003年(平成15年)には歌手活動を再開[2]。テレビ東京『夏祭りにっぽんの歌』、NHKラジオ第1『はつらつスタジオ505』などに出演[2]。NHK『思い出のメロディー』、テレビ東京『年忘れにっぽんの歌』に初出演[2]。 2004年(平成16年)、実業家と離婚[3]。同年6月と9月にデビュー30周年記念コンサートを東京都内で開催する[2]。 2006年(平成18年)、デビュー曲「ひまわり娘」を音羽ゆりかご会の合唱とともに再録音[2]。2007年(平成19年)にはヒット曲「乙女のワルツ」がオムニバス映画『歌謡曲だよ、人生は』第8話「乙女のワルツ」で使用される[2]。 2010年(平成22年)に40代の会社員と再婚[8]。同年12月8日には実に25年ぶりとなるシングル『女の歌』を徳間ジャパンから発売、カップリング曲は「ひまわり娘」を収録[5]。以降は日本コロムビアへ移籍してシングルを発表、2019年(令和元年)5月29日には阿久悠作詞の未発表曲『静かに、愛がとび立つわ』を発売した[2][5]。 コンサート活動も継続し、近年は「夢スター歌謡祭 春組対秋組 歌合戦[9]」に出演して全国各地を回っている。 エピソード『スター誕生!』について『スター誕生!』では2回テレビ予選に出ており、1回目で小柳ルミ子の『漁火恋唄』を裏声で歌った。しかし、審査員の松田トシから「息が漏れてるわね」と指摘され、結局合格点の半分にも届かなかった。しかし本番終了後他の落選者と共に控室で帰り支度をしながら、歌手を諦めようと思ったところ、チーフ・プロデューサーの池田文雄から「今日は粒ぞろいだった。落ちた子みんな、今度の日曜の予選にもう一度おいで」と声をかけられた[10]。 すると翌週、声をかけられた他の子たちは諦めたらしく誰も来ず、伊藤だけが再びテレビ予選に参加となった。2回目は地声で歌える朱里エイコの『見捨てられた子のように』を歌うと、この曲変更が功を奏してテレビ予選を通過。12人が参加した決戦大会では伊藤の歌う順番が最後で、その回の審査では1番目から4番目まで立て続けに合格したため諦めかけたが[注釈 1]、伊藤の番でスカウトマンのプラカードが上がり号泣した[10]。 『ひまわり娘』でデビュー決戦大会に黄色のワンピースで出場したからか、デビュー曲は『ひまわり娘』に決まった。その後事務所やレコード会社の戦略により早く世間に伊藤の顔を覚えてもらうため、全身黄色の服[注釈 2]を渡され、それを着て歌手活動を始める。デビュー後しばらくは歌番組やイベント時だけでなく次の仕事場へ向かうために街を移動する時も常にこの格好でいなければならず恥ずかしかったとのこと[注釈 3][10]。 ディスコグラフィシングル
非売盤
アルバムオリジナル・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
企画アルバム
オムニバス・アルバム
タイアップ曲
写真集
出演ラジオ番組
テレビ番組歌番組
テレビドラマ
バラエティ
CM
イメージビデオ
映画舞台
NHK紅白歌合戦出場歴
脚注注釈出典
関連項目
外部リンク
|