中之条町 (なかのじょうまち)は、群馬県 北西部、吾妻郡 にある町 。吾妻郡の観光の中心地。郡内で最多の人口を有する。
地理
1,000 mを超える山々が広く分布し、山地 が広い面積を占める。
四万川 が町の東部を北から南に流れ、吾妻川 に合流する。吾妻川は南部を西から東へ流れている。
中之条の市街地 は吾妻川北側(左岸 )の河岸段丘 に形成されている。
気候
太平洋側気候 と中央高地式気候 の特徴を併せ持つ。ケッペンの気候区分 では温暖湿潤気候 に分類されるが、夏季 に比べ冬季 の降水量 は非常に少なく乾燥する。
中之条(1991-2020)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
18.5 (65.3)
22.6 (72.7)
25.1 (77.2)
30.5 (86.9)
34.0 (93.2)
37.8 (100)
37.3 (99.1)
38.0 (100.4)
37.5 (99.5)
31.8 (89.2)
24.9 (76.8)
21.3 (70.3)
38.0 (100.4)
平均最高気温 °C (°F )
7.0 (44.6)
7.9 (46.2)
11.4 (52.5)
17.3 (63.1)
22.4 (72.3)
25.2 (77.4)
29.1 (84.4)
30.3 (86.5)
25.8 (78.4)
20.2 (68.4)
14.9 (58.8)
9.8 (49.6)
18.4 (65.1)
日平均気温 °C (°F )
0.4 (32.7)
1.2 (34.2)
4.8 (40.6)
10.5 (50.9)
15.9 (60.6)
19.8 (67.6)
23.7 (74.7)
24.6 (76.3)
20.4 (68.7)
14.2 (57.6)
7.8 (46)
2.7 (36.9)
12.2 (54)
平均最低気温 °C (°F )
−4.6 (23.7)
−4.1 (24.6)
−1.0 (30.2)
4.1 (39.4)
9.8 (49.6)
15.3 (59.5)
19.7 (67.5)
20.6 (69.1)
16.4 (61.5)
9.5 (49.1)
2.4 (36.3)
−2.3 (27.9)
7.2 (45)
最低気温記録 °C (°F )
−11.9 (10.6)
−12.5 (9.5)
−12.1 (10.2)
−6.4 (20.5)
−0.7 (30.7)
5.2 (41.4)
11.8 (53.2)
10.8 (51.4)
5.3 (41.5)
−1.8 (28.8)
−5.7 (21.7)
−10.0 (14)
−12.5 (9.5)
降水量 mm (inch)
33.5 (1.319)
31.9 (1.256)
64.9 (2.555)
79.8 (3.142)
106.8 (4.205)
157.0 (6.181)
185.8 (7.315)
196.2 (7.724)
213.6 (8.409)
134.4 (5.291)
51.1 (2.012)
29.0 (1.142)
1,283.8 (50.543)
平均月間日照時間
176.1
175.4
193.4
187.5
187.5
143.8
143.0
163.8
125.1
142.1
157.0
170.4
1,963.6
出典1:気象庁[ 1]
出典2:気象庁[ 2]
隣接自治体
人口
中之条町と全国の年齢別人口分布(2005年)
中之条町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■ 紫色 ― 中之条町■ 緑色 ― 日本全国
■ 青色 ― 男性■ 赤色 ― 女性
中之条町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 (昭和45年)
23,389人
1975年 (昭和50年)
22,792人
1980年 (昭和55年)
22,618人
1985年 (昭和60年)
22,451人
1990年 (平成2年)
21,627人
1995年 (平成7年)
21,056人
2000年 (平成12年)
20,389人
2005年 (平成17年)
19,398人
2010年 (平成22年)
18,216人
2015年 (平成27年)
16,850人
2020年 (令和2年)
15,386人
総務省 統計局 国勢調査 より
歴史
吾妻第三小学校校舎として建設され、その後中之条町役場として使用された、現在の中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」[ 3]
町域の変遷
明治5年(1872年 )、廃藩置県によって、群馬県が誕生すると、今の中之条町はその第二十大区に編入され、かつ、4小区に分けられた。明治11年(1878年 )に大小区制 が廃され、郡区町村制に移行すると、現在の中之条町役場の隣に吾妻郡役所が置かれ、小区の役割は町村連合による戸長役場 に受け継がれた。当初中之条の旧4小区には9つの戸長役場があったが、明治17年(1884年 )の再編成の際に5つとなった。この再編が明治22年(1889年)の新町村発足の基礎となり、中之条町、伊勢町、西中之条村、青山村、市城村が合併し中之条町が誕生した。
昭和28年(1953年 )、町村合併促進法が施行され、群馬県は各市町村に合併計画試案を通達した。そのうち、中之条町ブロックは中之条町、沢田村 、伊参村 、名久田村 、高山村 の5町村合併案であった。その後の合併推進協議会の結果、高山村の離脱が決定。昭和30年(1955年 )4月1日、中之条町、沢田村、伊参村、名久田村の4町村が合併し、新中之条町 が誕生した。
この合併に関しては、商工会や地元有志による7町村(5町村+太田村 、東村 )、10町村(7町村+原町 、岩島村 、坂上村 )の大合併構想も存在したが、意見の集約を仕切れなかったことや、動き出すのが遅かったなどの理由で実現しなかった。
平成22年(2010年 )3月28日、六合村 を編入する。
災害史
1935年 (昭和10年)9月26日 - 群馬県下で台風接近に伴う集中豪雨 。中之条町の山間部でも土砂災害や河川の氾濫が多発。四万温泉と沢渡温泉の温泉旅館36戸が流失、一般家屋を含めると51戸が流失した。地域住民のほか入浴客も災害に巻き込まれ、翌9月27日午後9時の時点で死者55人(うち浴客13人)、行方不明者多数という状況となった[ 4] 。
行政・立法
歴代町長
旧中之条町
初代 根岸善作
2代 田中甚平
3代 桑原竹治郎
4代 木暮茂八郎
5代 田村喜八
6代 柳田阿三郎(第1期)
7代 山田金伝次
8代 蟻川七郎次
9代 町田儀平(大正2年(1913年)2月 - )
10代 町田歸一(大正3年(1914年)1月 - )
11代 中沢祥平(大正4年(1915年)12月 - )
12代 柳田阿三郎(第2期、大正6年(1917年)1月 - )
13代 田村喜八(第2期、大正10年(1921年)1月 - )
14代 町田崇山(第1・2期、大正14年(1924年)1月 - )
15代 小板橋菱三郎(昭和5年(1930年)1月 - )
16代 伊能八平(第1・2期、昭和6年(1931年)3月 - )
17代 剣持真平(昭和11年(1936年)5月 - )
18代 桑原雄一郎(昭和14年(1939年)5月 - )
19代 町田崇山(第3期、昭和15年(1940年)5月 - )
20代 蟻川潔(昭和17年(1942年)6月 - )
21代 木暮壽雄(昭和19年(1944年)11月 - )
22代 小池遵正(昭和21年(1946年)10月 - )
23代 福田豊三郎(昭和26年(1951年)4月 - )
新中之条町
初代 伊能八平(第3期、昭和30年(1955年)4月 - )
2代 町田浩蔵(第1・2期、昭和35年(1960年)1月 - )
3代 福島真一(第1 - 4期、昭和43年(1968年)1月 - )
4代 宮崎太一郎(第1 - 3期、昭和59年(1984年)1月 - )
5代 小渕光平 (第1・2期、平成8年(1996年)1月 - )
6代 入内島道隆 (第1・2期、平成16年(2004年)1月 - )
7代 折田謙一郎(平成24年(2012年)1月 - )
8代 伊能正夫(平成26年(2014年)12月 - )
9代 外丸茂樹(令和4年(2022年)11月 - )
広域行政
国の行政機関
県の行政機関
群馬県吾妻行政県税事務所
群馬県吾妻保健福祉事務所
群馬県吾妻農業事務所
群馬県吾妻森林環境事務所
群馬県教育委員会 吾妻教育事務所
群馬県中之条土木事務所
県議会
選挙区:吾妻郡選挙区
定数:2名
任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和9年)4月29日[ 5]
衆議院
任期 : 2021年(令和3年)10月31日 - 2025年(令和7年)10月30日(「第49回衆議院議員総選挙 」参照)
警察
消防
都市提携
経済
農業
中山間地域が多く大規模農業に向かないため、基本的には各種野菜やリンゴの栽培など、山間の小規模農業がメインとなっている。旧六合村地区においては花卉栽培も盛んで花卉市場において「六合の花」という独自のブランドを確立している。
商業
かつての駅前商店街は後継者不足により担い手がいなくなり、更地にしての駐車場整備などの再開発が進められている。
駅南にはバイパス道路が完成したのを期に企業の誘致活動や広報活動、路面整備を行い賑わいを取り戻そうとしているが、隣接する東吾妻町のロードサイド店舗などに買い物客が流れるストロー現象も起きている。
一方で、町役場近くに観光拠点および小規模テナント群が入るTSUMUJIが建設され、ここを拠点とした町中心街の移転と周辺商店街の活性化、および集客に努めているが、周辺も空き店舗は増加傾向にある。中之条ビエンナーレなどでの展示場になるなど空き店舗の再利用が促進されているが、一過性のものであり、恒常的な活性化には繋がっていない。
四万温泉 街、沢渡温泉 街はともに観光街としてそれなりの賑わいをみせている。四万温泉街は往路の歩道不足及び駐車場不足に対応するため工事が行われている。沢渡温泉街は近隣の温泉街(草津温泉 、四万温泉、万座温泉 など)と比較して知名度が低いことがネックとなっている。
教育
教育施設として高等学校2校、中学校3校、小学校2校、特別支援学校1校が所在する。
吾妻中央高校(前中之条高校)は、前身の中之条農業学校時代は群馬県の農業教育の中心であった。農業科では春先には苗の即売を行い、夏から秋にかけては敷地内で収穫した野菜を近隣住民に行商している。
中学校は、中之条中学校と六合中学校、白根開善学校中等部があり、中之条中学校は中学駅伝 の名門として知られ、全国大会での優勝経験もある。学校目標は、自主自立である。
高等学校
中学校
小学校
特別支援学校
廃校
中之条町立中之条第一中学校(1988年統合により中之条町立中之条中学校中之条教場となり、1990年完全統合)
中之条町立中之条第四中学校(1988年中之条中伊参教場となり、1990年完全統合)
中之条町立中之条第五中学校(1988年中之条中名久田教場となり、1990年完全統合)
中之条町立第二小学校(明治6年沢渡学校として宗本寺に開校。昭和30年町村合併により沢田村立沢田小学校から改称。昭和41年中之条町立沢田小学校から改称。平成17年第三小学校と統合され閉校。)
中之条町立第三小学校(昭和25年沢田村立沢田小学校第四分校から改称する形で改称。昭和30年町村合併により沢田村立四万小中学校から改称。昭和41年中之条町立四万小中学校から改称。昭和52年西中学校開校に伴い単独小学校となり中之条町立第三小中学校から改称。平成17年第二小学校と統合され閉校。)
中之条町立西中学校(平成26年度より中之条中学校へ統合され、廃校となった。)
中之条町立沢田小学校 - 旧第二小学校と旧第三小学校の統合により沢田小学校となる。(平成27年度に中之条小学校へ統合され廃校)
中之条町立伊参小学校(平成25年度に中之条小学校へ統合され廃校)
中之条町立名久田小学校(明治23年平小学校、横尾小学校、大塚小学校が統合される形で開校。昭和30年町村合併により名久田村立名久田小学校から改称。昭和41年中之条町立名久田小学校から改称。平成17年中之条町立第五小学校から改称。
群馬県立中之条高等学校 (平成30年度に吾妻高校と統合し吾妻中央高校へ)
交通
鉄道
バス
路線バス
高速バス
道路
国道
主要地方道
その他の県道
観光
名所・旧跡
離山句碑公園
四万湖
奥四万湖
祭事・催事
出身著名人
小渕恵三像
公式イメージソング『なかのじょうのうた』
中之条町出身の音楽プロデューサー・作曲家の割田康彦 が同町からの依頼を受け、2011年5月「なかのじょうのうた」を作詞・作曲した。同年8月2日、歌手Ryu Mihoによる「Nostalgic Flavor Version」「Bossa Nova Flavor Version」を都内スタジオにて録音、同年8月20日に中之条ビエンナーレ 2011前夜祭「夜光市」にて発表した。同年12月10日、中之条ツインプラザにて「中之条町民全世代による即席合唱団(有志152名)」による「 THE VOECES of NAKANOJO Version」を録音した。
2012年3月20日、全7バージョンを収録したCD『なかのじょうのうた』が発売された。中之条町の全戸にCD1枚ずつを配布(中之条町役場・つむじにて1枚500円で販売開始)。
『なかのじょうのうた』プロモーション映像
脚注
出典
関連項目
外部リンク
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