一ツ家
一ツ家(ひとつや)は、東京都足立区の町名。現行行政地名は一ツ家一丁目から四丁目。住居表示実施済み区域。 地理東京都足立区中央部に位置する。北で保塚町、東で六町および西加平、南で青井および中央本町、西で平野と隣接する。 地価住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、一ツ家4-5-5の地点で33万5000円/m2となっている[5]。 歴史現在の一ツ家は平野と同様に、かつては東栗原町・東島根町・竹塚町などのいくつかの町が複雑に入り組んでいる地域であったが、住居表示の実施に伴って町名町界が整理された。なお、平野は古くから地内の耕地名・小字名として使われていたのに対して、一ツ家は耕地名ではなく俗称・汎称地名として使われていた点が異なる。 一ツ家稲荷神社には元禄6年(1693年)の庚申塔が保存されているが、一ツ家の名が初めて明確に記されたのは1909年に参謀本部陸地測量部によって作成された地図によってであり、江戸時代に一ツ家と呼ばれていたことを示す史料は見つかっていない。一ツ家稲荷神社には「栗原新田念仏供養講中」と刻まれている安永9年(1780年)の念仏供養塔が残されているほか、1880年の迅速図にはこの近辺のことを「栗原新田」と記しており、かつてこの一帯が「栗原新田」と呼ばれており、栗原村の人々によって開発された地であることが窺える。 地名の由来足立区には一ツ家のほかにも二ツ家や四ツ家といった地名がかつて存在していたほか、五反野駅近くを流れていた堀は三ツ家堀と呼ばれており、これらの名はこの地を開発した入植者の家の軒数を表していると言われている[誰によって?]。「一ツ家」もかつて開拓された当初は湿地帯の中にただ一軒だけの家があるだけだったと考えられている。他の二ツ家や四ツ家の地名は、現在ではバス停や公共施設の建物名に残されているだけだが、一ツ家の名は住居表示後も町名として存続している。 沿革世帯数と人口2024年(令和6年)4月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移。
学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[12]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる[13]。
事業所2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
事業者数の変遷経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷経済センサスによる従業員数の推移。
交通バス
道路
施設史跡
その他日本郵便脚注
外部リンク |
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