ロビン・ファン・ペルシ
ロビン・ファン・ペルシ(Robin van Persie, オランダ語発音: [ˈrɔbɪn vɑn ˈpɛrsi] ( 2011-12・2012-13シーズンと2シーズン連続で異なるクラブでプレミアリーグ得点王に輝いたストライカー。オランダ代表では3度のワールドカップに出場。オランダ代表の通算得点記録の保持者でもある。2021年現在、プレミアリーグ通算得点ランキング12位である。(280試合144得点 得点率51%) 経歴選手時代初期SBVエクセルシオールユースからフェイエノールトユースを経て2002年にトップチームにデビューし、すぐに頭角を現す。この年のUEFAカップ優勝も経験。U-19、U-21オランダ代表にも選出された。フェイエノールト時代は左ウィング、左サイドハーフとしての起用がほとんどであった。 アーセナル2004年には初の国外挑戦として数多くのオファーの中から、プレミアリーグのアーセナルFCを選択。2006-07シーズンにはティエリ・アンリに代わり試合に出場したが、骨折によりシーズン終了まで離脱した。 2007-08シーズン序盤、代表戦での怪我で半年近くの離脱。2008-09シーズンには11アシストを記録してプレミアリーグのアシスト王に輝いた。2009年夏、アーセナルとの契約を2014年6月まで延長した。 2010-11シーズン序盤は怪我で欠場していたが、怪我から復帰後はゴールを量産。リーグ戦ではアウェーで8試合連続ゴールを記録(最終的にリーグ18得点)、またカーリングカップ決勝でも得点をあげた。しかし、チームとしては前述のカーリングカップで敗退し、カンプ・ノウでのUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦のFCバルセロナ戦では1stレグで同点ゴールを挙げ勝利に貢献したものの、2ndレグでは遅延行為により退場し、その後逆転され敗退した。 2011-12シーズンはセスク・ファブレガスの移籍に伴い、アーセナルのキャプテンに就任した[2]。チームが怪我で苦しむ中で1人好調をキープし、前年度を上回るペースでゴールを量産。シーズン終了間際の2012年4月20日時点で27ゴールをマークし、PFA最優秀選手賞を受賞した。最終的にゴール数を30にまで伸ばし、得点王となった。 シーズン終了後、アーセナルとの契約を延長しないことを発表。これを受けてユヴェントスFCやマンチェスター・シティFCなどが獲得に動いたが、2012年8月15日、マンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した[3]。 マンチェスター・ユナイテッド2012-13シーズン、マンチェスター・ユナイテッドでもゴールを量産し、2年連続でリーグ得点王を獲得。優勝を決めたアストン・ヴィラFC戦ではハットトリックを達成した[4]。 2014-15シーズンはオランダ代表で共にワールドカップを戦ったルイ・ファン・ハールが監督に就任した。 2015年2月21日に行われたスウォンジー戦の後半38分では、クロスを上げた直後に右足首を抑えてピッチに倒れ込んだ。しかし、すでに全ての交代枠を使い切っていたため一時的な治療を済ませて試合終了までプレーを続けた。この負傷による約2ヶ月間の治療を終えた後は、当時出場停止処分中だったジョニー・エヴァンズやアドナン・ヤヌザイらと共にリザーブチームであるマンチェスター・ユナイテッドU21のメンバーとしてレスター・シティU21戦とフラムFCU21戦の2試合に出場し2ゴールを決めた[5]。これを皮切りに完全復帰するかと思いきや、トップチームに戻って以降はゴールを決めることは出来ず、最終的に公式戦29試合の出場で10ゴールと満足行く結果を残すことができなかった。 フェネルバフチェ2015年7月14日、トルコのフェネルバフチェSKへ完全移籍することを発表した[6]。 フェイエノールト復帰2017年夏の移籍市場でフェイエノールトが関心を示し、ファン・ペルシ本人も子供たちの環境も考えてオランダに帰国を望んだがフェネルバフチェが契約解除に応じなかった。しかし出場機会が大きく減ったことで2018年冬の移籍市場でフェネルバフチェが契約期間残り半年分のサラリー200万ユーロの内180万ユーロを支払っての契約解除に応じ[7]、フリーになった。1月22日にフェイエノールトと1年半の契約を結び、14年ぶりに復帰した[8]。背番号はデビュー当時に付けていた32を着用した。 フェイエノールトに復帰当初はフィットしておらず、少しずつ出場時間を増やしながらのプレーではあったが、重要なゴールを決め、4月22日のKNVBカップ決勝ではAZ戦では0-2となるゴールを決め、優勝に貢献した。2018-19シーズンはキャプテンに就任して完全にフィットした状態でシーズンに入り、低調なプレーで苦しむチームにおいて存在感を示し続け、2019年1月27日のアヤックス戦では2得点を記録し、6-2という歴史的勝利に貢献した。2019年3月3日のFCエメン戦でハットトリックを達成し、キャリア通算200ゴールを達成した[9]。 2018年10月、2018-19シーズンを最後に現役を引退すると発表した[10]。 オランダ代表![]() 2005年6月4日にルーマニア戦でオランダ代表デビューを果たし、ドイツワールドカップにも出場。グループリーグのコートジボワール戦で強烈なフリーキックを決めるなどオランダのグループリーグ突破に貢献した。EURO2008ではスーパーサブとして2得点を挙げる活躍を見せ、グループリーグでのオランダの快進撃に貢献した。2010 FIFAワールドカップにも出場し、チームは準優勝したが、自身はカメルーン戦の1得点のみに終わった。 2011年9月2日のUEFA EURO 2012予選のサンマリノ戦では1試合4得点を記録した。2013年10月11日の2014 FIFAワールドカップ予選ハンガリー戦でハットトリックを記録し、パトリック・クライファートのオランダ代表最多得点記録を更新した。 2014年のブラジルワールドカップでは主将として、3位決定戦までの7試合のうち累積警告で出場停止となったチリ戦以外の6試合に出場した。スペイン戦において背後からのクロスボールをダイビングヘッドでループシュートを決め[11]、これはFIFA公式サイトで実施された大会の最優秀ゴールの投票において2位に輝いた[12]。最終的に出場した6試合で4得点を挙げ、チームの3位入賞に貢献した。 指導者時代現役を引退してから1年ほどイングランドで解説者や家族と旅行をするなどして過ごしていたが、2020年からはフェイエノールトの非常勤スタッフを勤め[13]、さらにその翌年には正式なクラブスタッフ(トップチームのテクニカルコーチ兼U-16チームの監督)に就任した[14]。 その後2024-25シーズンから初のクラブ監督をSCヘーレンフェーンで務めていたが、シーズン途中の2025年2月より古巣フェイエノールトの監督として移籍した[15]。 エピソード
個人成績クラブ
代表歴出場大会試合数
得点
FIFAワールドカップでの得点
タイトルクラブ
個人
出典
外部リンク
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