ラーエルテース![]() ラーエルテース(古希: Λαέρτης、古代ギリシア語ラテン翻字: Laértēs)は、ギリシア神話の人物である。長母音を略してラエルテスとも表記する。 イタケー島の王であり[1]、オデュッセウスの父として知られる[2][3]。イアーソーン率いるアルゴナウタイや[4][5]、カリュドーンの猪狩りに参加した[6]。オデュッセウスの妻ペーネロペーはラーエルテースが死去したときに着せる棺衣を織るためという口実を作り、長年にわたって求婚者をやり過ごしていた[7][8]。 系譜伝承ラーエルテースはホメーロスの叙事詩『オデュッセイアー』ほかでアルケイシオスの息子と伝えられている[9][4][6]。アウトリュコスとアムピテアーの娘アンティクレイアを妻とし[3]、息子オデュッセウス[3]および娘クティメネーの兄妹をもうけた[10]。 父アルケイシオスは有名な人物ではなく、『オデュッセイアー』での言及はわずか2回にとどまる[9][11]。しかしホメーロスがこの人物をゼウスの末裔と考えていたことは、オデュッセウスについて『オデュッセイアー』の多くの個所で「ゼウスの裔にしてラーエルテースの1子、知謀豊かなオデュッセウス」と呼ばれていることから明らかである。同様にラーエルテースがオデュッセウスの父であることは『オデュッセイアー』で一貫して語られている[12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23][24][25]。 対して後代の伝承では、父アルケイシオスはケパロスとプロクリスの子とされるが[26]、オウィディウスは『変身物語』の中でゼウス(ローマ神話のユーピテル)の子としている[27]。さらにオデュッセウスは狡猾なことで知られるコリントス王シーシュポスの息子ともいわれる[28]。 神話『オデュッセイアー』以前![]() ラーエルテースは父を継いでケパレーニア人の領主となった。ラーエルテースはイタケー島のほかにも、ケパレーニア島およびレウカス島を支配していた。地理学者ストラボーンによると、ラーエルテースは若い頃にケパレーニア人を率い、古くはアカルナーニアー地方と陸続きであったレウカス島を攻撃し、都市ネリコスを陥落させ、アカルナーニアー地方まで支配領域を広げた[29][30][31]。 オデュッセウス家に忠実に仕える召使たちはラーエルテースが買った者たちである。たとえば乳母エウリュクレイアはラーエルテースが彼女を牛20頭で買って以来、ラーエルテースの一族に仕えた。ラーエルテースはアンティクレイアと同様にエウリュクレイアを大切にしたが、妻が怒るのを恐れてエウリュクレイアには触れなかった[32]。またシュリエー島の出身のエウマイオスは幼い頃に攫われたのち、ラーエルテースに売られた[33]。 『オデュッセイアー』『オデュッセイアー』では妻アンティクレイアはすでに世を去っているが、ラーエルテースはイタケー島で存命であり、すでに遠くの田舎に隠退し、シケリア出身の召使いの老女と暮らしながら、農事にいそしんでいた[34]。しかしオデュッセウスが帰国しないことやアンティクレイアの死に心を痛め、特に後者の悲しみは大きく、ラーエルテースをすっかり老け込ませてしまった[35]。おかげでラーエルテースが若く壮健であった頃に使用していた大楯はオデュッセウスの館の武器庫で埃を被っていた[36]、それでも一時は農作業を監督し、下男たちと食事をすることもあったが、テーレマコスがピュロスに旅立った後はそれもしなくなった[37]。オデュッセウスに仕える豚飼いのエウマイオスはラーエルテースを不憫に思うあまり、屋敷の中で死去されるようにとゼウスに祈るほどであった[35]。しかしテーレマコスは帰国した際、ラーエルテースを不憫に思いながらも、一刻も早く無事を知らせることはしなかった[38]。 『オデュッセイアー』第19巻では、オデュッセウスの妻ペーネロペーが求婚者たちに迫られて、ラーエルテースの葬儀のときのための衣を織り上げるまで返事を待つように告げ、その実、日中織った分を夜にはほどいて3年間回答を引き延ばしたことが語られる。最終の第24巻では、20年ぶりに帰還を果たしたオデュッセウスがラーエルテースの館を訪れ、二人は再会を喜び合う。また求婚者の親たちがオデュッセウスに報復しようとした際は、アテーナーに力を与えられ、エウペイテースを討った[39]。クレータのディクテュスによると、その3年後にラーエルテースはこの世を去ったという[40]。 系図
脚注
参考文献
関連項目 |
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