モササウルス科
モササウルス科(モササウルスか)とは白亜紀後期に繁栄した有鱗目有毒有鱗類に属する、海生のトカゲからなるグループである。まれに滄竜[1]や海トカゲ類と呼ばれることもある。本項目では模式属であるモササウルスを含めた科全体の概要について解説する。 モササウルスの化石は1764年にオランダのマーストリヒトの石灰岩採石場で発見された。その後のジョルジュ・キュヴィエらの研究によって、この化石が絶滅した大型の海生爬虫類のものであることが判明した。 現在の分岐分類学では顎の構造などから、モササウルス科は旧来のトカゲ亜目(側系統:ヘビを除く有鱗類)の中でもヘビに最も近縁なグループであると考えられており[2]、有鱗目の種分化を考えるうえで非常に注目されている分類群である。 形態骨格ほかモササウルス科最小の属は体長3-3.5mのカリノデンスである。この種は球根状の頑丈な歯を持ち、海岸線近くの浅い海底で貝や棘皮動物を食べていた。ほとんどのモササウルス類はこれよりも大きく、ティロサウルスは最大体長14m、上述のマーストリヒトから発見されたモササウルスの最初の標本も体長12m以上に達するとみられる。 モササウルスの体型は現生のオオトカゲに似ているが、遊泳生活に適応するためにより胴長で流線型になった。肋骨は短くなり、指骨が伸びて手足は櫂のような形をしている。尾は垂直方向に幅広くなり、これで推進力を生み出した。尾を使った泳ぎ方はウナギやウミヘビなどと共通するとされる。しかし最新の研究では、モササウルスの尾には、サメや魚竜のように大きな三日月型の鰭があったという説が唱えられている(左上図参照)。モササウルスの筋肉をみると、ウナギやヘビのような体全体をくねらせる泳ぎ方よりもむしろ、尾鰭で力強く水を蹴って推進力を生み出す泳ぎ方のほうが、水理学的にかなう泳ぎ方である[5]。 モササウルスは二重関節の顎ととても柔軟な頭蓋骨を持っていた。この形質は、彼らが獲物をいっきに丸呑みできるための適応であると考えられる。 このヘビのような貪欲な捕食方法は、モササウルスの体内からほとんど噛み砕かれていない獲物の化石が見つかっていることからも裏付けられている。 また、モササウルスは強力な顎でアンモナイトを噛み砕いて捕食していたとされる[6]。サウスダコタから発見されたティロサウルスの体内からは胃内容物として、ヘスペロルニス(ウに似た海鳥)、硬骨魚類、サメ、より小型のモササウルス類(クリダステス)の化石が見つかった。サメの歯が埋め込まれたモササウルスの骨も発見されている。 モササウルスのさまざまな特徴(二列に並ぶ口蓋歯、緩く連結した二重関節の顎、短い肋骨、 体をくねらせる遊泳・移動方法など)から、多くの研究者はモササウルスがヘビと共通の祖先から分化したと考えている。この学説は1869年にエドワード・ドリンカー・コープによってはじめて提唱され、彼はヘビとモササウルスを”Pythonomorpha”という分類群に統一しようとした。この学説はながく忘れ去られていたが、1990年代に入って再び脚光を浴びた[7][8]。 軟組織かなりの数のモササウルス科の化石が世界中から産出しており、表皮に関する情報は比較的早くから知られていた。世界中から見つかったモササウルス類の化石のうち、いくつかが鱗の印象化石を残していた。もしかするとすでに鱗の印象が残るモササウルスの化石は見つかっていたのかもしれないが、このようなデリケートな部位が化石に残るとは考えられておらず、長い間見過ごされてきたのかもしれない。 モササウルス類の外皮の特徴は長い間、アメリカのカンザス州コーヴ郡の上部サントニアン〜下部カンパニアンから見つかったティロサウルスの骨格標本(KUVP-1075)にもとづいて研究がなされてきた(右図)[9] 。ヨルダンのハラナにある Muwaqqar層から保存状態のよいモササウルス類の化石が見つかった。この化石は、手足の指骨の間の薄い皮膜の部分を含めて、ヘビのようにオーバーラップしたダイヤ型の細かい鱗で覆われていた[10]。現生の爬虫類のようにモササウルス類も、体の場所によって鱗の大きさや形が異なっていたことが分かっている。ハラナの標本からは2種類の鱗が識別された[10]。 稜線がある鱗は体の上部を覆い、表面が滑らかな鱗は体の下部を覆っていた。モササウルス類は光を反射しにくい稜線がある鱗を利用していたと考えられる[11]。 最近、皮膚組織だけではなく内部組織まで保存された、きわめて状態のよいプラテカルプスの標本が見つかった。体内には心臓、肺、腎臓とおぼしき赤い組織が残されていた。さらに気管軟骨と網膜とおぼしき組織までが保存されていた。“腎臓”は腹部のはるか前方にあり、この配置はオオトカゲよりもむしろクジラ類に似ている。オオトカゲもふくめた現生の爬虫類では、気管支は途中で二股に分岐して肺に繋がるが、モササウルス類ではクジラのように気管支は左右独立して肺まで平行に配列する。これらの特徴はモササウルスが水中生活へ移行したことによる、内部形態の変化であると考えられる[5]。 さらに2011年には、モササウルス科のプログナトドンの化石から白亜紀のものとされるコラーゲンが見つかった[12]。 進化史と生息環境モササウルス科は白亜紀中頃の魚竜、プリオサウルス類、海生ワニ類の絶滅(巨大海底火山などの大規模な火山活動によって度々発生した海洋無酸素事変等の海洋環境の悪化が原因とされる。現在の南太平洋でのニューギニア北方沖にあるオントンジャワ海台もその巨大海底火山跡の一つである)に乗じて空白になった生態域に進出し、白亜紀後期のチューロニアンからマーストリヒチアンにかけての2000万年間、頂点捕食者の地位に居た。『NHKスペシャル』「恐竜超世界」では、最強のハンターとして繁栄していたと紹介されている[13]。温暖な大陸棚の浅海での生活によく適応し、汎世界的に分布を広げた。特筆されるのは、モササウルス類は胎生であり、ウミガメよりも海中生活に適応していたことである。 白亜紀の海水準は現在よりもはるかに高く、世界各地で海進を引き起こした。モササウルス科の化石はオランダ、デンマーク、ポルトガル、スウェーデン、イギリス[14]、アンゴラ、モロッコ、ニュージーランド、メキシコ、ペルー、はては南極沖のヴェガ島からも見つかっている。なお、従来ニュージーランド産の”恐竜化石”とされたものの多くが実はモササウルス類、ないし首長竜の化石であったことが判明している。北アメリカでは、かつてのニオブララ海の分布域である、カナダのマニトバ州、サスカチュワン州[15]、アメリカ中西部を中心にモササウルス類がひろく見つかっている[16][17]。ちなみに、日本からは北海道からタニファサウルス属の一種であるエゾミカサリュウ、モササウルス属とされたM. hobetsuensisとM. prismaticus、フォスフォロサウルス属のP. ponpetelegansが知られる。その他日本各地からも化石が知られており、特に和歌山県から記載されたメガプテリギウスは完全に近い全身化石が発掘されたことで知られる[18]。 長年、海にのみ住んでいると考えられていたが、2012年12月19日付のオンライン科学雑誌プロスワンに、ハンガリー自然史博物館のチームが、かつて川だった8400万年前の地層からモササウルス類(パンノニアサウルス)の化石を発見したと発表した。淡水で生活する種も居た可能性が考えられている[19]。 研究史最初に報告されたモササウルス類の化石は、1764年にオランダのマーストリヒト市近郊の採石場の鉱夫達によって見つかったモササウルスの部分的な頭蓋骨である。モササウルス化石の発見は恐竜化石の発見(イグアノドン:1822年、メガロサウルス:1824年)よりも早いが、有名な恐竜の陰に隠れてあまり知られていない。しかし啓蒙時代に入り、知識人たちの自然科学への興味が高まるにつれて、ヨーロッパ各地で見つかっていた大型化石はじつは太古の絶滅生物の遺骸なのではないかという関心が持たれるようになった。そのような中で、モササウルスの第二の標本が発見される。 1770年から1774年の間に、軍医で化石コレクターであったJohann Leonard Hoffmannはモササウルスの第二標本を当時の一流の科学者達に引き合わせ、この化石の存在が有名になった。当時のこの化石を管理していたのはマーストリヒト大聖堂の司祭、Goddingであった。 1794年に、マーストリヒトがフランス軍によって占領された時(フランス革命戦争)、モササウルスの第二標本は戦利品として600本のワインボトルとともにパリに持ち去られた。 当初、その化石は魚、ワニ、あるいはマッコウクジラであるとさまざまに解釈されていたが、1799年になってオランダ人科学者Adriaan Gilles Camperがはじめてこの化石とトカゲの共通点を指摘した。1808年、ジョルジュ・キュヴィエは比較解剖学の見地からこの結論を支持し、モササウルスが絶滅した未知の海生爬虫類であることを見抜いた。この研究は古脊椎動物に対する本格的な比較解剖学的研究の最初の例である。彼は1822年にそれまでle Grand Animal fossile de Maëstricht(マーストリヒトの大型動物の化石)と呼ばれていたこの化石をMosasaurus(マース川のトカゲの意)と命名した。この経験はのちの彼の学説(天変地異説)に大きな影響を与えた。 その後、1829年にはこの化石に完全な形での学名Mosasaurus hoffmanni(Hoffmann氏のマース川のトカゲの意)を与えた。他にモササウルスの化石の断片とおぼしきものは以前からマーストリヒトで見つかってはいたが、19世紀までに学術的な意義は認識されなかった。ハールレムのテイラーズ博物館には1790年から展示されていた。マーストリヒトの石灰岩層はモササウルスの発見で一躍有名になった。そして、白亜紀の最後の時代はマーストリヒチアンと呼ばれるようになった。 分類と系統
系統モササウルス科と近縁の分類群を含むクラドグラム。Aaron et al.(2012)等による[19][20]。
起源上述したモササウルス科とヘビの共通した特徴から、両者は共通の海生の祖先を持っていると考えられている。白亜紀前期のヨーロッパに生息していたアイギアロサウルスは現生のオオトカゲに似た体型の半水生のトカゲであり、モササウルス科はこのような生物から進化したのかもしれない。2005年に発見されたダラサウルスはモササウルス科の中でも原始的な形状を残しており、陸生のオオトカゲと海生のモササウルス科の中間的な存在であるとされる[21]。 一方、2006年には南アメリカから白亜紀後期の地中性の原始的なヘビである”ナジャシュ”が発見されたことによって、モササウルス=ヘビの海中起源説に対する反論もなされている。 有鱗目におけるモササウルス類の系統的位置は以下であり[22]、ヘビと姉妹群を成す。
参考文献
関連項目外部リンク
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