プログナトドン
プログナトドン(学名:Prognathodon)は、モササウルス科に属する絶滅した海産のトカゲの属。モササウルスやクリダステスなどとともにモササウルス亜科に分類される。プログナトドンはカンパニアンからマーストリヒチアンにあたる中東・ヨーロッパ・北アメリカなどの地層から発見されている[1]。 属名は「先駆けの顎と歯」を意味し、ラテン語の pro-(「前の」あるいは「先の」)とギリシャ語の gnathos(「顎」)、odon(「歯」)に由来する。名目上は12種がプログナトドン属とされ、北アメリカ・北アフリカ・西アフリカ・中東・西ヨーロッパ・ニュージーランドから産出している。しばしば明瞭な差異が散見されるほか、多くの標本の保存状態が良くないため、各種のプログナトドン属への分類の妥当性とプログナトドンの系統分類学には議論の余地がある[2]。 プログナトドンはその巨大な顎と歯で知られている。胃の内容物などの直接的な摂食の証拠は稀であるが、プログナトドンの発見以降、その明瞭な食性の適応には生態学における大きな関心が寄せられている[2]。 記載プログナトドンは最大の体躯を誇るモササウルス科の属の1つを形成し、既知の最大の頭骨(P. currii のもの)は長さ140センチメートルを超える。その巨体にも拘わらず、本属の化石は断片的かつ不完全である。現在まで、関節した頭骨の化石はほぼ発見されておらず、全身骨格に至っては皆無である[2]。P. currii や P. saturator および P. overtoni といった多くの種が全長10メートルに近い、あるいは超えていた可能性のある巨体であるが、小型種も少なからず存在する。タイプ種 P. solvayi は最小の種であり、全長5メートルをかろうじて超える程度である[3]。 体格と堅強な性質のほかにプログナトドンを定義する特徴は強膜輪の形状であり、これはプログナトドンの全ての種に共通する。強膜輪は、トカゲ類の目において遠近調節を支配するブリュッケ筋の領域での角膜の形状維持と強膜の支持に寄与する。タイプ種 P. solvayi では強膜輪は部分的にしか保存されておらず、それぞれの強膜輪は5つの強膜小骨からなる[4]。同様の強膜輪はモササウルスのような他のモササウルス科の属にも見られている[5]。 Lingham-Soliar and Nolf (1989) [2]でのプログナトドンの解剖学的診断では以下の特徴が挙げられている。
頭骨プログナトドンの頭骨は非常に頑強であり、これはまた非常に強力な顎の筋肉への適応を示す。上側頭窓の長さと頭骨全体の長さの比率は以前からモササウルス科の咬合力の簡易的な推定に用いられており、プログナトドンでのこの比率は他の属、例えばモササウルスと比較して大きな値を示す。例を挙げると、P. overtoni と P. saturator では0.22である一方、モササウルス・ホフマニイでは0.19である[6]。 プログナトドンの方形骨はグロビデンスのものに類似し、アブミ骨上下の突起に癒合しており、これはおそらく噛む際に骨にかかる莫大な力を打ち消すための適応である。強靭な顎の筋繊維は相対的に短く高い歯骨と結合し、強い咬合力を生み出したと推測されている[7]。 P.saturator のタイプ標本の頭骨はほぼ完全であり、前上顎骨と歯骨の前方部位だけを失っている。前縁部の歯の大半は失われており、残された歯根の傾斜から P. saturator は伏せた歯を持っていたことが示唆され、P. solvayi にも同様の傾向が確認されている。歯骨の背側の縁は窪んでおり、上顎骨の腹側の縁はわずかに凸状をなす。辺縁歯は巨大で滑らかであり、水平方向に潰れて面を刻んだ他の多くのモササウルス科の歯とは違って丸みを帯びている。P. saturator の下顎骨は同属の中でも最も上下に高く巨大である。これは巨大な翼状骨や、側頭窓領域や頭蓋といった頭骨の他の部位の骨と合致し、いずれも同属の他種と比較して頑強である[7]。 P. lutugini のタイプ標本は不完全であるものの、頭骨の極めて大部分が保存されている。この標本は前上顎骨の小部分を保存しているとして元々記載されていたが、D.V. Grigoriev (2013) では2013年時点で骨は存在せず、おそらくは紛失している[8]。翼状骨自体は両方とも保存されているが、右の翼状骨の歯は2本だけ本来の歯を残しつつ大部分は石膏により復元されている。左の翼状骨はさらに完全性が高いが、基蝶形骨突起以外の全ての突起が欠けている。歯槽の後方の縁は非常に小さく、薄いが卓越した垂直の隆起から歯が生えていた。基蝶形骨突起の腹側表面は極めて滑らかであり、翼状骨の側方表面上の6番目の歯の真上と内側表面上の6番目と7番目の歯の間の位置の真上に孔が見られる。鱗状骨は少数の断片に代表されるが、同属の他種と同様に水平方向に圧縮されていてかつ垂直方向に高い可能性がある。後腹側は方形骨と接触するため窪みをなしている。歯骨は板状骨の後端および関節前部の平たい部位と癒合し、歯の本数は13本で、少なくとも8本が歯茎の下に根元を残し、交換歯も複数発見されている。冠顎骨は鞍状であり、卓越した後背突起を持ち、突起は骨の背側の縁で水平前端と110°に近い角をなす。P. lutugini をドロサウルス属(Dollosaurus)として独立させる研究者もいたため、本種を真にプログナトドン属として同定するためにこれらの特徴の組み合わせが役立った。 歯列プログナトドン属に分類される爬虫類は、歯列において多様性を見せる。鋸歯状の隆起線と滑らかなエナメル層を備えた強健な円錐形の歯は典型的なプログナトドンの歯であり、通常プログナトドン属に割り当てられる。しかしタイプ種 P. solvayi の歯はこの形状ではなく、唇側 - 舌側で顕著に圧縮され、穏やかに面を刻んだ辺縁歯を持つ。歯の本数にも種間で差異があり、P. solvayi は上顎骨で12本・歯骨で13本の歯を持ち、P. overtoni は歯骨に14本の歯を持つ[5]。 全ての種のうちで P. solvayi の持つ歯は最も異質である。歯冠は一般に大きく、非常に顕著な横紋を持ち、前方の歯は他のどのモササウルス科爬虫類よりも角度がついている。前上顎骨の歯はほぼ水平であり、歯骨の前方の歯もそれに近い特徴を見せる。深い傾斜のほかに、P. solvayi の断片標本から、歯冠は外面に7 - 8個の角柱が備わり、ある程度角柱状であったことが明らかになった[5]。 P. solvayi の歯は顎の前端で細く、下顎枝に向かって太い三角形をなし、後端に向かって小型化し最後の2本は極めて小型である。歯はわずかに膨らみを帯びており、後方への湾曲の小さい歯が前方から後方へ向かうにつれて単調に大型化する P. overtoni と対照的である。P. overtoni および P. giganteus といった他の種では、最後から2番目の巨大な歯以外は全て均一な大きさである[5]。 ほかに注目すべき歯の多様性を持った種は P. lutugini であり、バラバラになった標本から歯の知識が得られている。既に発見されている歯は、両方の隆起線上に弱い鋸歯状構造があり、歯全体は大きく2つに分岐する。隆起線は歯を舌側と唇側に二分し、舌側の表面は唇側と比較して巨大で凸状をなす。歯はわずかに後側と内側に転向し、歯冠の先端で弱い皺を持つ以外は滑らかな表面(プログナトドン属の他種とは異なる)を持つ。歯根は歯冠の約1.5倍と極めて巨大であり、樽状の形状をしている。既知の最大の歯冠は最大5.5センチメートルであり、基部の幅は2.5センチメートルである[8]。P. lutugini の歯もまた、口の中の位置に応じて大きさが変化する。翼状骨の前方の歯は辺縁歯と比較して相対的に大きく、高さ4.6センチメートルに達する[8]。 P.saturator は歯骨に14本、上顎骨に12本、翼状骨に6本の歯を持つ。他のモササウルス科と比較して歯が相対的に少ないことは、プログナトドン属全種に共通する特徴である[7]。 四肢プログナトドンの頭骨以降の化石はバラバラになった歯や頭骨要素よりも非常に希少である[2]。 P. lutugini のタイプ標本には複数の椎骨が保存されている。残された4つの頚椎は卓越した前後の関節突起を持ち、2つの頚椎には 機能的な椎弓突起(zygosphene) と椎弓窩(zygantra)[注 1]が確認されている。非常に短い脊椎下垂体部が4つの頸椎全てで確認でき、水平方向に圧縮された楕円形の小面として終端を迎えている。これらの小面は後方に傾斜しており、椎体の腹側表面の後方に位置する。単一隆起は巨大で、椎体の前方に位置し、椎体の腹側縁の下までは伸びない。関節丘と関節窩は背腹方向に弱く圧縮されている。頸椎は最も長い椎骨である脊椎とほぼ同等の大きさであり、長さ7.2センチメートル、高さ4センチメートルに達する。大半の保存状態は良好といえないが、標本には26個の脊椎が保存されている。脊椎は頸椎よりもわずかに長く、そして頸椎と同様に関節丘と関節窩は背腹方向に弱く圧縮されている。脊椎は最大で長さ8センチメートル、高さ5センチメートルに達する。さらに、タイプ標本にはすべて不完全ではあるものの肋骨の断片が豊富に保存されている。関節の頭から肋骨の遠位部に沿って2本の溝が走っているが、肋骨の中央裏に残された溝は1本だけである[8]。 軟組織中央ヨルダンのHarrana の堆積層から産出した極めて保存状態の良い標本 ERMNH HFV 197 により、プログナトドンの軟部組織形態学の特異的な詳細が調査可能となった。この化石はプログナトドンの標本としては珍しく大部分が完全で繋がっているだけでなく、外皮と最後の数個の尾椎の緩やかな屈曲という重要な部位が保存されている。最も重要なことは、化石に軟部組織の輪郭と尾ビレが保存されていることである。これは、モササウルス科が遊泳において三日月形の尾を助けに用いる進化をしたという点で、魚竜・タラットスクス亜目メトリオリンクス科・クジラと収斂した、という証拠の提供に役立った[9]。 尾ビレは明らかに非対称である。下側のヒレは尾椎に続き、四肢の骨格および他の軟部組織に基づいて、生存時は断面が流線型をなしていたと推測されている。上側のヒレは骨格に支えられておらず、ほぼ翼状の小さい構造として最後の尾椎数個の上に保存されている。尾ビレの形状は、上側が大きく下側が小さいメジロザメ科のサメの尾ビレを上下反転させたものに類似する[9]。 標本にはまた、特に尾ビレの輪郭の周囲にうっすらとではあるがウロコの印象化石も保存されており、明らかに菱形のウロコが明らかになっている[9]。同様の形状のウロコは保存状態の良いプラテカルプスの標本 LACM 128319 の尾ビレにも存在する[10]。 軟部組織構造の割合と標本の骨格要素との関係を利用して、プログナトドンの他の種のヒレの大きさと形状を推定可能であり、モササウルス科の他の属でも同様に行える可能性がある。この標本が記載された Lindgren et al. (2013)[9]によると、プログナトドン属のより大きな標本と比較して、この標本は標準的なプログナトドンからすると奇妙なまでに小さい。従って ERNMH HFV 197 は幼体の標本であると考えられた。大型個体の増大した体重を説明するためには尾ビレの成長は非常に論理的であり、現生のサメや絶滅した魚竜といったヒレを持つ他のグループでも確認できる。このため特に大型種のプログナトドンの成体では尾ビレが体サイズに対して相対的に巨大であった可能性が高い[9]。Lindgren et al. (2013) では、大型個体において尾ビレの上側が比率として大きく成長する可能性が高いことが特に言及されている[9]。 発見の歴史プログナトドンはベルギーで収集された標本に基づいて1889年にルイ・ドロが最初に記載した。この分類群の正しい属名には混乱がある。ドロは複数の予備原稿と暫定的な診断においてこの分類群をプログナトドンとして言及したが、プログナトドンという属名をプログナトサウルス(Prognathosaurus)に置き換え、本属に言及する後の全ての論文でプログナトサウルスという属名を使用した[5]。 後にプログナトドンという属名を用いたのはデイル・ラッセルであった。彼は1967年に北アメリカのモササウルス科について包括的なモノグラフを作成し、プログナトサウルスではなくプログナトドンに優先性があると示した。ラッセルは北アメリカから産出したプログナトサウルスに割り当てられた種をプログナトドンへ修正したが、ベルギーの標本に関しては簡単に触れただけであった[4]。 本属のオリジナルの化石は非常に包括的であり、さらにその記載は簡素であったが、タイプ標本の更なる研究は100年間なされなかった。本属の包括的なオリジナル標本とそれに言及したベルギー由来の種の記載の欠如は、ベルギーの Craie de Ciply 累層で発見されたモササウルス科標本にはよくあることである。標本の収集と組み立てには通常莫大な労力が費やされるが、これらの標本の科学的研究は、Plioplatecarpus houzeaui の方形骨や鼓膜といった、解剖学的構造の特異な点に着目した診断と記載に限定されたままであった。1904年にドロが命名した Prognathodon giganteus は最も記載が簡潔な種の1つであり、博物館ホールでの展示用モササウルス科骨格に名前を与えることのみを目的としていたようである[2]。 1998年にはマーストリヒトの石灰岩産地で無傷の頭骨化石が発見された。その直後に標本は Bèr というニックネームを名付けられ、マーストリヒト自然史博物館に展示された。この標本はプログナトドンとして同定され、P.saturator と命名された。この標本は1957年以来マーストリヒト地域から発見された初めてのある程度完全なモササウルス科標本であった。骨格はマーストリヒト自然史博物館に展示されており、全長は12メートルと推定されている.[7]。 イスラエルで発見された非常に大型の標本はオロノサウルス(Oronosaurus)と非公式に命名されたが、最終的にはプログナトドン属の新種 P.currii として記載された[11]。 約7450万年前にあたるカンパニアン後期初頭のカナダアルバータ州の Bearpaw 累層から2011年に記載された P. overtoni の2つの標本から、本属の初めて完全に繋がった骨格が得られた。これらおよび以前に発見された標本の詳細な研究により、プログナトドンをリオドンや吻部の長いモササウルス亜科のような近縁な属から識別する複数の特徴が確立された。保存されていた歯と腸の内容物から、本属の古生態学研究も可能となった[2]。 2008年に発見され2013年に記載された新たな化石は、ヨルダンの Harrana サイトで発見された1.8メートルの幼体のプログナトドンのものである。化石はモササウルス科の尾ビレの輪郭を保存するという点で特筆すべきものであり、プラテカルプスや後のモササウルス科もまた上下が反転したサメの尾ビレに似た二股の尾ビレを持っていた。この形状はプログナトドンが浮上する際や獲物を攻撃する際に役立った可能性がある。また、この発見により、後のモササウルス科が魚竜に占められた生活様式にさらに適応したという仮説の証拠がもたらされている[9]。 2012年9月19日には、その9日前にモササウルス科らしき骨格がマーストリヒトのすぐ外側の石灰岩産地(モササウルス・ホフマニイのタイプ標本が存在した場所と同じ産地)で再び発見されたと報じられた。ENCI採石場の採掘機の操縦士Carlo Brauer は9月10日の朝に採掘用ショベルで化石化した歯を発見した。発見から数日後には、博物館のスタッフが全長約13メートルに及ぶ骨格の頭蓋骨の複数の大型の部位と胴体および尾の一部を取り出した。層序に基づいて標本の時代は6783万年前と見積もられ、Bèr よりも約150万年前のものということになる。発掘された化石はマーストリヒチアンから産出したモササウルス科として最古のものであるらしく、そしてプログナトドン属に属する[12]。化石を発見した ENCI の労働者の名前にちなみ、この標本には Carlo という愛称がつけられた[13]。 古生物学古生態学P. overtoni の保存状態の良い標本がカンパニアンにあたるカナダのアルバータ州 Bearpaw 累層で発見されたため、腸の内容物や歯列の詳細な研究が実現され、プログナトドンの生態学に踏み込んだ推測が可能となった。大半のモササウルス科では歯に隆起線があり、顎に対しておおまかに平行に一直線に刻まれている。発見された歯では頂点が鈍く、歯冠の高さ25%に相当する範囲を吻合する波状の鈍い隆起線が走っている。鈍い先端部と粗い表面は歯が硬い獲物を捕獲するために使用されたことを示唆しており、ウミガメの骨が腸の内容物に含まれていることは、プログナトドンが硬い甲殻を持つ獲物を破砕するのに適応したという仮説を支持している[2]。 しかしながら歯は頭骨の大きさに極めて強い相関を持ち、獲物を破砕・確保するよりも突き刺すために用いられていたと示唆されている。完全に生え出た歯の多くは隆起線上に小円鋸歯を持ち、顕著な鋸歯状構造を生み出している。鋸歯状の隆起線の存在により、プログナトドンは獲物の破砕に特に特化したわけではなく、現在のシャチと同程度の日和見捕食者だったことが示唆されている。そのような捕食動物は大型の脊椎動物のみを捕食するわけではなく、他の多様な獲物を摂食していた。しかしながら、P. overtoni の歯は切断のための歯を持つ日和見捕食者に特徴的な尖った頂点を持たない。このように、プログナトドンの歯は通常同時には見られない適応を示しているらしい[2]。 P. overtoni がグロビデンスやカリノデンスといったモササウルス亜科の他の属に似た異形歯性を示すことは注目に値する。例を挙げると、歯列に沿って歯の形状が徐々に変化し、前方の歯は後方のものより内側に湾曲して細長い。前方の歯の歯冠の基盤の幅に対する歯冠の長さの比率は2. - 2.5であり、歯列の中央の歯では比率は1.7 – 2.0である。これらの比率はモササウルス科の切断用および破砕用の歯の両方に共通する。なお、プログナトドンの歯は強健であるが、グロビデンスといった典型的なモササウルス科の破砕用の歯ほどの幅はない[2]。 後端の歯は鋭く湾曲しており短く、獲物の捕獲や食糧の処理に用いられていた可能性は低い。検証された上顎骨と歯骨の歯はいずれも顕著な摩耗を示している。歯冠の頂点は異様に滑らかで磨かれており、この破損と後の研磨は食糧と長く触れていたことに起因する可能性が高い。数多くの歯が均等に摩耗していることから、第三の可能性が浮上している。それは食糧を扱った結果として歯が徐々に削られているということである。イノセラムス科の二枚貝を摂食していたことが知られている Globidens schurmanni にも、同様の摩耗が確認されている[2]。 多くの歯が同様の摩耗を示していることから、歯の摩耗が単純な破損でないことは明白である。辺縁歯と対照的に、大半のモササウルス科では巨大である翼状骨の歯は全く摩耗していない。これは辺縁歯と翼状骨の歯が異なる機能を持っていたことを示唆し、翼状骨の歯は獲物を飲み込む前に抑えておくために使用された可能性がある。プログナトドンを特徴づける翼状骨前方の巨大な歯は、大型の獲物を効率的に抑え込んだ可能性が高く、プログナトドンが獲物を巨大な塊として飲み込めたことを示唆している[2]。 アルバータの標本の1つ TMP 2007.034.0001 は最初の腸の内容物が保存されたプログナトドンの標本である。これには全長1.6メートルに及ぶ非常に大型の魚類、小型の魚類、ウミガメ、頭足類の可能性がある化石が含まれている。これらの獲物は互いに極めて異なり、通常は異なる生態的地位の捕食者に捕食されるが、全てプログナトドンの捕食対象とされている。巨大な魚類など切断用の歯を持つモササウルス科に典型的な獲物を捕食することも可能と見られるが、ウミガメといった更に硬い獲物を貪っていたことが屈強な歯から示唆されている[2]。P.overtoni は同属の他の種と同様の生態をしていたとみられ、西部内陸海路におけるほぼ全ての獲物を捕食できる日和見の捕食者であった可能性が高い[2]。 古病理学プログナトドンは同種間による可能性のある噛み跡の痕跡が報告されている[14]。この報告によると、オランダから発見された個体の鼻先には、自身より大型のモササウルス科の歯型が残されていた。吻部の前半を部分的に切断するほどの重症ではあったが、負傷直後に死亡せず、その後に時間を置いて死亡したことが感染症の痕跡から分かっている。顎の怪我のために本個体は餌を上手く取れなくなり、結果的に餓死した可能性が指摘されている。 化石生成論P. saturator のタイプ標本には化石生成論的に興味深い点がいくつかある。プログナトドンは十分に巨体であるゆえマーストリヒチアンの生物をほぼ殺害できたため、この個体の死の原因は老衰または病気である可能性が高い。標本の繋がりの度合いから、この個体は死亡直後に海底に達し、そこでサメに死骸を漁られた末に堆積物に埋没した。サメに漁られた証拠として、スクアリコラックスや Plicatoscyllium に関連するサメの歯が骨の間から発見されている。胃酸により溶解した証拠がないため、プログナトドンが死ぬ前にサメを捕食してサメの歯が胃の内容物となった可能性は除外される。大きさや色が一貫した多数のサメの歯は、プログナトドンの前後に死亡して堆積したにしては過剰である。骨格自体には多様な噛み跡が残され、サメに漁られた直接的な証拠を呈している[7]。 分類と種現代系統解析ではプログナトドンは頻繁にモササウルス亜科に置かれるが、歴史的にはプラテカルプスやプリオプラテカルプス亜科に近縁であるとされていた。ルイ・ドロはモササウルス科の体系学に貢献した黎明期の研究者であり、当初は彼らを別個のトカゲ亜目に置いてモササウルス科とプリオプラテカルプス科の2つの科に分けた。この初期の分類学においてモササウルス科にはクリダステスとモササウルス、プラテカルプス、ハリサウルスおよびティロサウルスが含まれ、プリオプラテカルプス科にはタイプ属のプリオプラテカルプスのみが含まれた。これらの分類は前上顎骨の吻部の発達具合、方形骨のアブミ骨上突起の大きさ、血道弓が尾椎の椎体に癒合しているかに基づいていた。プログナトドンは microrhynchous というグループの中でプラテカルプスのすぐそばに配置された。megarhynchous(ティロサウルスとハイノサウルス)と mesorhynchous(モササウルスとクリダステス)という別の2つのグループも用意されていた[4]。 プリオプラテカルプスが microrhynchous グループと共有する特徴を持つことをドロは1894年に示し、モササウルス科とプリオプラテカルプス科による2科の体系を放棄した上で、モササウルスの科であるモササウルス科だけを使用しはじめ、プログナトドンをプラテカルプスおよびプリオプラテカルプスと近縁な位置に配置した[4]。 Russell (1967) ではプログナトドンはプリオプラテカルプス亜科に置かれたが、本属および近縁なプレシオティロサウルスからなる族であるプログナトドン族が確立された。彼はプログナトドン族に属するモササウルス科爬虫類を「プリオプラテカルプス亜科の明確な派生」と考え、他のプリオプラテカルプス亜科から巨大な顎と頑強な歯により区別できるとして、この族を正当化した[4]。 ゴーデン・L・ベル・ジュニアは1997年に初めてモササウルス科の大規模系統解析を行い、新たな方法論を利用して Russell (1967) 以降に記載されたアイギアロサウルスなどの特に基盤的なモササウルス上科の分類群を編入し、初めてプログナトドンをグロビデンスやプレシオティロサウルスに近縁なモササウルス亜科とした。プログナトドン族は Russell (1967) で確立されたグロビデンスが属するもう1つの族であるグロビデンス族のシノニムとされた。ベルはまた、以前は単系統群と考えられていたプログナトドンが自身の解析では側系統群となることを強調した[15]。 本属の他のモササウルス科の属との関係の見解は1997年からほぼ変化しておらず、常にモササウルス亜科の側系統群とされている。Cau and Madzia (2017) ではプログナトドンとプレシオティロサウルスが実際にはグロビデンス族から外れることが強調された。プログナトドンとプレシオティロサウルスは姉妹群として扱われているものの、Cau and Madzia (2017) ではモササウルス科のリストにおけるプログナトドン族とその定義は復活せず、その理由は言及されなかった[16]。Cau と Madzia の解析および Simões et al. (2017) [17]といった先行研究では、プログナトドンはモササウルス族の姉妹群であり、モササウルス族にプログナトドンを加えた分類群自体はグロビデンス族と姉妹群をなすと判明した[16]。 Simões et al. (2017) [17]のモササウルス科の包括的系統解析の結果のうち、モササウルス亜科のみを示す。このクラドグラムでプログナトドンは最も最新の研究で結論付けられたように側系統群として提示され、モササウルス族の派生的モササウルス亜科の姉妹群として位置付けられている。
種プログナトドン属は側系統群であると広く考えられているが、数多くの種が本属に分類されている[18]。プログナトドンの標本は不完全であるため、種レベルの多様性や属の特徴を含めて属全体の体系が十分に解明されていない。さらに、カンパニアン前期から中期にかけてのプログナトドンの標本が極端に希少であるため、その進化史は不明瞭となっている[2]。 プログナトドン属を何が構成するかという疑問は未だに完全には解明されていない。Lindgren (2005)[18]では、滑らかなエナメル質と鋸歯状構造の備わった頑強で円錐形の鈍い歯冠は通例本属に割り当てられるが、タイプ種 P. solvayi が穏やかに面を刻んだ著しく舌唇方向に圧縮された歯を持っていて、先の記載から逸脱していると指摘された。 プログナトドン属のうち Simões et al. (2017) [17]で有効とされる種を以下に列挙する。論争が続く6種を除外した場合、プログナトドン属の生息期間と生息地域が大幅に短縮され、ヨーロッパおよび中東に限定された上にカンパニアン後期以前のものは除外される。
議論中の種Prognathodon kianda や P. overtoni、P. rapax、P. stadtmani および P. waiparaensis は明確にモササウルス科の種であるとされたが、プログナトドンの種としての指定は論争が続いており、Madzia and Cau (2017)[16] や Simões et al. (2017)[17]といった系統解析では上記の種はプログナトドン属の外側に置かれ、大半は独立した属を代表する可能性がある。
疑問名扱いであるリオドン属の3種(Liodon sectoriusとL. compressidensおよびL. mosasauroides。うち2種は細長い吻部を持つ)は、顎の縁に沿った辺縁歯列の比率が P. kianda に類似していたため、一時的にプログナトドンに割り当てられていた[23]。P. kianda は何度もプログナトドンよりも基盤的なモササウルス亜科に属するとされ[8]、新たな属として独立し、3種の系統学的位置はかなり不確かであろうものの、プログナトドンの種を代表しない可能性が高い。 脚注注釈
出典
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