マット・ソーントン
マシュー・J・ソーントン(Matthew J. "Matt" Thornton, 1976年9月15日 - )は、アメリカ合衆国・ミシガン州セントジョセフ郡スリーリバース出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 経歴プロ入り前1995年のMLBドラフト27巡目(全体742位)でデトロイト・タイガースから指名を受けたが、契約せずにグランドバレー州立大学へ進学。 プロ入りとマリナーズ時代1998年のMLBドラフト1巡目(全体22位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。 2001年、カリフォルニアリーグの最優秀投手に選出された[2]。 2002年に肘を故障したため[3]、トミー・ジョン手術を受け[4]、2003年は8試合にしか登板出来なかった。 2004年は、AAA級タコマ・レイニアーズで開幕を迎え、4月26日にメジャー昇格を果たしたが、プレーすることがないまま、3日後の29日にAAA級タコマへ降格した[4]。その後、6月25日に再びメジャー昇格を果たし[4]、27日にメジャーデビュー。マイナー時代は先発投手として起用されていたが、メジャーではリリーフとして起用された。 2005年はメジャー定着を果たし、55試合に登板。 ホワイトソックス時代2006年開幕直前の3月20日にジョー・ボーチャードとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍。ホワイトソックスでは、ドン・クーパー投手コーチと共に制球難克服に取り組み克服[5]。与四球率を6.6から3.5まで改善させた。 2007年2月に球団と1年契約に合意していたが、4月1日に3年総額325万ドルに合意。また、球団側は4年目の2009年は225万ドル、5年目の2010年は300万ドルのオプションを持っている[6]。 2007年は不安定な成績で防御率は4.79だった。 2008年は安定した投球を見せ、防御率は2.67と2点以上改善させた。 2009年開催の第2回ワールド・ベースボール・クラシックでは、アメリカ合衆国代表の一員として出場。 2009年は、速球の威力が更に増し、153 - 156km/hまで出るようになり[7]、奪三振率が向上(10.30から10.83に向上)した。シーズン全体では、2年連続で70試合以上に登板し、6勝3敗4セーブ・防御率2.74という成績を残した。4セーブを記録しているのは、クローザーのボビー・ジェンクスが3度故障者リスト入りした際、ジェンクスの代役を務めた事による[7]。 2010年は、60.2イニングで81奪三振を記録し、奪三振率が12.01まで向上した。また、引き継いだランナー31人中27人の生還を阻止するなど、ピンチで役割を果たした[8]。登板試合数は3年ぶりに70以下の数字に終わったが、防御率は2008年に記録した自己ベストと並ぶ2.67という数字をマーク。セーブ数も前年より倍増させ、8セーブを記録した。 2011年3月6日に総額1100万ドルの2年契約(2014年・600万ドルのオプション付き)に合意。クローザーとして起用される可能性が見込まる[8]も、2012年途中からは新人のアディソン・リードがクローザーになった。 レッドソックス時代2013年7月12日にブランドン・ジェイコブスとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[9]。オフの11月2日に球団がオプションを破棄したため、FAとなった。 ヤンキース時代2013年12月17日にニューヨーク・ヤンキースと2年700万ドルで契約に合意したことを報道された[10][11]。 2014年1月10日に球団が正式に発表した[12]。開幕後は46試合に登板し、0勝3敗、防御率2.55だった。 ナショナルズ時代2014年8月5日にウェーバーを経てワシントン・ナショナルズへ移籍した[13]。ナショナルズ加入後は18試合に登板し、1点も与えないという見事なピッチングを見せた。これが効き、ヤンキースとの合算では64試合の登板で防御率1.75・WHIP1.14という好成績となった。 2015年は60試合に登板し、10年連続60試合登板以上・通算700試合登板などの記録を達成。防御率(2.18)とWHIP(1.07)でも好成績をマークし、ベテランながらブルペンを支える活躍を見せた。オフの11月2日にFAとなった[14]。 パドレス時代2016年3月3日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、招待選手としてスプリングトレーニングに合流した[15]。4月3日にメジャー契約を結んで25人枠したが、8日に故障者リスト入りした。5月28日に復帰した。8月6日にDFAとなり、11日に自由契約となった[16]。11月7日に現役引退を表明[17]。通算748試合登板は歴代70位(引退当時)。 投球スタイル最速155km/hを超える剛速球とスライダーが武器のパワーピッチャー。以前は制球を苦手としていたが、現在は克服[18]。 詳細情報年度別投球成績
獲得タイトル・表彰・記録背番号
脚注
関連項目外部リンク
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