ブラッド・ジーグラー
ブラッド・グレゴリー・ジーグラー(Brad Gregory Ziegler , 1979年10月10日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州プラット郡プラット出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称はユニコーン(Unicorn)[2]。 経歴プロ入り前2002年のMLBドラフト31巡目(全体938位)でオークランド・アスレチックスから指名を受けたが、拒否してミズーリ州立大学に進学。 フィリーズ傘下・独立リーグ時代2003年のMLBドラフト20巡目(全体595位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、プロ入り。しかし、球威不足を理由に[3]、2004年3月28日にフィリーズを解雇され[4]、独立リーグであるノーザンリーグのシャンバーグ・フライヤーズに入団。 アスレチックス時代2006年シーズン終了後、ロン・ロマニック投手コーチのアドバイスでオーバースローからアンダースローへ転向[3]。 2007年からはリリーフ投手として登板し、2008年は開幕をAAA級サクラメント・リバーキャッツで迎え、5月31日にメジャーデビュー。デビュー戦以後、無失点を記録し続け、7月27日にジョージ・マッキランのメジャーデビューからの25イニング連続無失点記録を101年ぶりに更新[5]。8月8日にメジャー初セーブを記録。以後、クローザーとして起用されることに[6]。8月12日にマイク・トーレスの38イニング連続無失点の球団記録(1900年以降)を32年ぶりに更新[7]。このメジャーデビューからの連続無失点記録は8月14日に39.0イニングで途切れた[8]。 2009年開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された。 シーズンでは、開幕直後はクローザーを務めたが、途中から中継ぎにまわり、自己最多の69試合に登板。 2010年は64試合に登板し、防御率3.26、WHIP1.35と前年に続いて比較的安定した投球を見せる。与四球率は4.15と急増し、被本塁打も倍増したが、6月30日を最後に被本塁打はなく、それまでの39登板での防御率は2.66だった。 ダイヤモンドバックス時代2011年7月31日にブランドン・アレン、ジョーダン・ノルベルトとのトレードで、アリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。 2013年12月20日、ダイヤモンドバックスと2年契約を結び、契約を延長した[9]。 2015年はクローザーを務め、66試合に登板し、防御率1.85・WHIP0.956・30セーブ・セーブ失敗はわずかに2回と安定した活躍を見せた。 2016年6月23日のコロラド・ロッキーズ戦、前年の5月29日から続いていた連続セーブ成功記録が43で途切れた[10]。 レッドソックス時代2016年7月9日にホセ・アルモンテ、ルイス・アレハンドロ・バサベとのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[11]。レッドソックス加入後は33試合に登板し、防御率1.52と素晴らしいピッチングを見せた。通年では、8年連続60試合以上に登板する馬車馬ぶりを発揮しつつ、防御率2.25・4勝7敗22セーブという好成績を残し、メジャー屈指のリリーバーとしての実力を証明した。オフの11月3日にFAとなった[12]。 マーリンズ時代2016年12月23日、マイアミ・マーリンズと2年総額1600万ドルで契約を結んだ[13]。迎えた2017年は一時期クローザーも務めたが、53試合登板と9年連続60試合以上登板を逃し、1勝4敗10セーブ・防御率4.79と成績自体も振るわなかった。 ダイヤモンドバックス復帰2018年7月31日にトミー・イベルドとのトレードで、ダイヤモンドバックスへ移籍した[14]。この年は両リーグをまたいで最多となる82試合に登板した。レギュラーシーズン終了後の10月10日に現役引退を表明した[15]。 投球スタイル独特のアンダースローの投球フォームから、比較的サイドハンドに近い高めのリリースで投じられるトップスピンのかかった85mph前後のシンカーが全体の投球のうち7割程度を占めている。このシンカーでゴロを量産する投球を主体としており、ゴロの割合は通算66%と、典型的なグラウンドボーラーである。一方で、最速93mphのフォーシーム、77mph前後のチェンジアップ、73mph前後のカーブによる空振り率も比較的高く、2014年、2016年は奪三振率7.00以上をマークしている。 詳細情報年度別投手成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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