1917年にプフィッツナーは、ブゾーニの『新音楽美学論(Entwurf einer neuen Ästhetik der Tonkunst)』に当てつけて、『未来主義者の危険(Futuristengefahr)』を公表する。音楽における進歩(ある作品が進歩的な手法であればそれだけますます高く評価されうるという意味での進歩)という抽象概念をプフィッツナーは撥ね付けた上で、ブゾーニへの傍注としてシェーンベルクやヒンデミットにも目配りしつつ、未来の音楽というものがどのように構成されるのかをめぐる思索と対峙する。
1920年には、『音楽的不能の新美学~腐敗の徴候?(Die neue Ästhetik der musikalischen Impotenz: Ein Verwesungssymptom?)』を上梓した。プフィッツナーは同書において、「新音楽(de:Neue Musik)」という概念を創り出したパウル・ベッカーを攻撃し、逆にショーペンハウアー以来想定されてきた「着想(ある作品の出発点や特性となる独創的な着想)の美学」という持論を開陳してみせた。本書でもそうだが、プフィッツナーの理論的な著作においては、自身の芸術活動に裏付けられた根本となる動機が、ほとんど例外なく、非合理的、排外主義的で反ユダヤ主義的な論争に塗り込められるのがわかる(「非ドイツ的(undeutsch)」とか「国際ユダヤ主義(internationales Judentum)」といった言い回しが向けられるのは相変わらずである)。
最後にして最大の著作となった『創作と演奏(Werk und Wiedergabe)』(1929年)においては、テクストと音楽から厳密に生ずるオペラの舞台演出について、実践的な提言をした。
戦間期
1918年に他の芸術家と共同で「ハンス・プフィッツナー・ドイツ音楽協会( Hans-Pfitzner-Verein für deutsche Tonkunst)」を創設する。
ヴァイマル共和国を糾弾し、さらにユダヤ人が同国において各界の指導層に進出することを「国際主義」のレッテルのもとに非難したことが、ゆくゆくはヒトラーやナチスに利用される遠因となった。プフィッツナーがアドルフ・ヒトラーに解決させようと試みたのは、なかんずく「猛烈な図々しさ」だった。反対者はプフィッツナーのうちに国粋主義や反モダニズムを認め、ナチスの権力掌握へのプフィッツナーの加担を批判する。早くも1933年4月にプフィッツナーは、トーマス・マンが講演会や論文『リヒャルト・ワーグナーの苦悩と偉大さ(Leiden und Größe Richard Wagners)』の中で、ワーグナーのさまざまないかがわしいイメージには、国家主義者の大ブルジョワジーが刻印されていると論ずると、それに反対する「リヒャルト・ワーグナーの都ミュンヘンの抗議(„Protest der Richard-Wagner-Stadt München“)」の提唱者に名を連ねている。翌1934年には、ドイツ国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクの死後に、大統領職と首相職の一元化をめぐる「国民投票」に対して、「文化人の声明」に署名した[1]。1944年5月には、第二次世界大戦中にもかかわらず、ヒトラーより5万ライヒスマルク以上の贈与金を受けていた[1]。同年8月には、「天才名簿(„Gottbegnadeten-Liste“)」に掲載されただけでなく、ヒトラーによって作成された特別リストにも最も重要な他の音楽家3人とともに「天賦の才あり」として掲載され、戦時債務を完全に免除されている[1]。
バルドゥール・フォン・シーラッハ(Baldur von Schirach)のヒトラー青年団出身の新進作曲家の作品を指してプフィッツナーは、„Eine Pimpfonie in Bal-dur“と呼んだ[4](「長調(ドゥア)の交響曲(シンフォニー)」ではなくて「バルドゥアのところの洟垂れ小僧の音楽(ピンプフォニー)」だ、という意味の駄洒落。また、Pimpfという単語には、ヒトラー少年団という意味もある)。
前奏曲と終曲つきの2幕のロマンティック・オペラ《愛の園のばら(Die Rose vom Liebesgarten. Romantische Oper in einem Vorspiel, 2 Akten und einem Nachspiel)》WoO 16 (作曲:1897年 - 1900年、台本、ジェームス・グルン、初演:1901年11月9日エルバーフェルト国立劇場、献呈:エルンスト・クラウス)
ヘンリク・イプセンの『ソールハウグの宴』の付随音楽(Musik zu Das Fest auf Solhaug von Henrik Ibsen) WoO 18(作曲:1889年 - 1890年、初演:1895年11月28日マインツ、献呈:両親に)
ハインリヒ・フォン・クライストの『ハイルブロンの娘ケート』の付随音楽(Musik zu Das Käthchen von Heilbronn von Heinrich von Kleist) 作品17(作曲;1905年、初演:序曲のみ1905年10月19日ベルリン・ドイツ劇場 ; weitere Nummern wurden sukzessive in die Inszenierung aufgenommen、献辞:(Dem unvergänglichen Dichter als geringe Huldigung))
バッソ・プロフォンドと管弦楽のための《座敷童子(Die Heinzelmännchen für tiefen Bass und Orchester)》作品14(原詩:アウグスト・コピーシュ、作曲:1902年~1903年、初演:1904年6月1日フランクフルト・アム・マイン、献呈:パウル・クニュープファー)
高声とピアノのための《若き日の6つの歌曲(Sechs Jugendlieder für hohe Singstimme und Klavier)》(作品番号なし、作曲:1884年~1887年、原詩:ユリウス・シュトルム、メアリー・グラーフ=バーソロミュー、ルートヴィヒ・ウーラント、オスカル・フォン・レートヴィッツ、エドゥアルト・メーリケ、ロベルト・ライニック、献呈:ギーゼラ・デールプシュ)
声とピアノのための《7つの歌曲(Sieben Lieder für Singstimme und Klavier)》作品2(1888年~89年、原詩:リヒャルト・フォン・フォルクマン、ヘルマン・リング、詠み人知らず、アドルフ・ベットガー、アレクサンダー・カウフマン、初演:第2曲は1889年5月31日フランクフルト、第4曲は1890年3月7日フランクフルト、献呈:ヘレーネ:リーバン=グロービヒ)
中声とピアノのための《3つの歌曲(Drei Lieder für mittlere Singstimme und Klavier)》作品3(作曲:1888年~89年、原詩:フリードリヒ・リュッケルト、フリードリヒ・フォン・ザレット、エマヌエル・ガイベル、献呈:マティルデ・フォン・エルランガー)
中声とピアノのための《4つの歌曲(Vier Lieder für mittlere Singstimme und Klavier)》作品4(1888年~89年、原詩:ハインリヒ・ハイネ、献呈:マティルデ・フォン・エルランガー)
ソプラノとピアノのための《3つの歌曲(Drei Lieder für Sopran und Klavier)》作品5(1888年~89年、原詩:ジェームズ・グルン、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ、献呈:ラーフェンシュタイン夫妻)
バリトンとピアノのための《5つの歌曲(Sechs Lieder für hohen Bariton und Klavier)》作品6(1888年~89年、原詩:詠み人知らず、ハイネ、グルン、パウル・ニコラウス・コスマン、初演:第1曲は1890年3月7日フランクフルト、献呈:ゲオルク・ハイネの追憶に)
声とピアノのための《5つの歌曲(Fünf Lieder für Singstimme und Klavier)》作品7(作曲:1888年~1900年、原詩:ヴォルフガング・ミュラー・フォン・ケーニヒスヴィンター、アイヒェンドルフ、パウル・ハイゼ、グルン、献呈:マックス・シュタイニッツァー
声とピアノのための《5つの歌曲(Fünf Lieder für Singstimme und Klavier)》作品9(1894年~95年、原詩:アイヒェンドルフ、初演:1896年5月15日フランクフルト、献呈:アントン・ジスターマンス)
中声とピアノのための《3つの歌曲(Drei Lieder für mittlere Singstimme und Klavier )》作品10(1889年~1901年、原詩:デトレフ・フォン・リリエンクローン、アイヒェンドルフ、献呈:エゴン・フォン・ニーダーヘファー)
声とピアノのための《5つの歌曲(Fünf Lieder für Singstimme und Klavier)》作品11(1901年、原詩:フリードリヒ・ヘッベル、ルートヴィヒ・ヤコボースキ、アイヒェンドルフ, リヒャルト・デーメル、カール・ブッセ、初演:第5曲のみ1901年12月18日ベルリン、それ以外は1901年ミュンヘン、献呈:順に、ミミ・プフィッツナー、イルゼ・フォン・シュターハ、エルンスト・クラウス、グレーテ・クラウス、エミリー・ヘルツォーク)
不実さと慰め(Untreu und Trost für mittlere Singstimme und Klavier)(作品番号なし、作曲:1903年、原詩:詠み人知らず)
声とピアノのための《四つの歌曲(Vier Lieder für Singstimme und Klavier)》作品15(作曲:1904年、原詩:ブッセ、アイヒェンドルフ、イルゼ・フォン・シュターハ、献呈:第1曲はヴィリー・レヴィーンに、第2曲はヘルマン・ガウシェに、第3曲と第4曲はヨハンナ・クニュプファー=エグリに)
声とピアノのための《月に寄す(An den Mond für Singstimme und Klavier)》 作品18(作曲:1906年、原詩:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
中声とピアノのための《二つの歌曲(Zwei Lieder für mittlere Singstimme und Klavier)》作品19(作曲:1905年、原詩:カール・ブッセ、献呈:オッティーリエ・メッツガー=フロイツハイム(またはオッティーリエ・メッツガー=ラターマン))
声とピアノのための《2つの歌曲(Zwei Lieder für hohe Singstimme und Klavier)》作品21(作曲:1907年、原詩:ヘッベル、アイヒェンドルフ、献呈:順に、グレーテ・エレッサー、ナタリー・レヴィーン)
声とピアノのための《5つの歌曲(Fünf Lieder für Singstimme und Klavier)》作品22(作曲:1907年、原詩:アイヒェンドルフ、アーデルベルト・フォン・シャミッソー、ビュルガー献呈:第1曲と第2曲はヨハネス・メスヒェルトに、第3曲はルドルフ・メストに、第4曲はフリッツ・ファインハルスに、第5曲はヘレーネ・シュテーゲマンに)
声とピアノのための《5つの歌曲(Fünf Lieder für Singstimme und Klavier)》作品26(作曲:1916年、原詩:ヘッベル、アイヒェンドルフ、ビュルガー、ゲーテ、初演:1916年11月10日シュトラースブルク、献呈:ミーンチェ・ランプベヒト・ファン・ラメン)
声とピアノのための《4つの歌曲(Vier Lieder 作品29(作曲:1921) für Singstimme und Klavier (Widmungsträger: Mimi Pfitzner [1879–1926], Paul Pfitzner [1903–1936], Peter Pfitzner [1906–1944], Agnes Pfitzner [1908–1939]). 原詩:フリードリヒ・ヘルダーリン、リュッケルト、ゲーテ、デーメル
声とピアノのための《4つの歌曲(Vier Lieder für Singstimme und Klavier)》作品30(作曲:1922) 原詩:ニコラウス・レーナウ、エドゥアルト・メーリケ、デーメル、献呈:フリッツ・マイヤー)
バリトンまたはバスとピアノのための《4つの歌曲(Vier Lieder für Singstimme (Bariton oder Bass) und Klavier)》作品32(作曲:1923年、原詩:コンラート・フェルディナント・マイヤー、初演:1923年9月7日ミュンヘン、献呈:第1曲と第2曲はパウル・ベンダーに、第3曲と第4曲はハインリヒ・レーケンパーに)
声とピアノのための《古い歌(Alte Weisen für Singstimme und Klavier)》作品33(作曲:1923年、原詩:ゴットフリート・ケラー、初演:1923年10月3日ミュンヘン、献呈:カール・エルプとマリア・イーヴォギューン)
女声とピアノのための《6つの愛の歌(Sechs Liebeslieder für Frauenstimme und Klavier)》作品35(作曲:1924年、原詩:リカルダ・フーフ。初演:1924年12月14日ベルリン)
中声とピアノのための《6つの歌曲(Sechs Lieder für mittlere Singstimme und Klavier)》作品40(作曲:1931年、原詩:ヤコボースキ、アドルフ・バルテルス、フーフ、マルティン・グライフ、ゲーテ、アイヒェンドルフ、初演:1932年2月15日ミュンヘン)
男声とピアノのための《三つのソネット(Drei Sonette für Männerstimme und Klavier)》作品41(作曲:1931年、原詩:フランチェスコ・ペトラルカ(ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー独訳)、初演:1932年2月15日ミュンヘン)
ピアノ伴奏歌曲の管弦楽伴奏版
だから春の空はこんなに青いの?(Ist der Himmel darum im Lenz so blau)作品2-2 (原詩:リヒャルト・レアンダー)
鳥の呼び声が聞こえる(Ich hör ein Vöglein locken)作品2-5 (原詩:アドルフ・ベットガー
わがまどろみはいよいよ深く(Immer leiser wird mein Schlummer)作品2-6 (原詩:ヘルマン・リング)
裏切り(Verrat)作品2-7 (原詩:アレクサンダー・カウフマン)
秋の歌(Herbstlied)作品3-2 (原詩:フリードリヒ・フォン・サレ ザレット)
私の心は宵闇のように(Mein Herz ist wie die dunkle Nacht)作品3-3 (原詩:エマヌエル・ガイベル)
アルト独唱と女声合唱、管弦楽のための《花々の復讐》(Der Blumen Rache für Alt-Solo, Frauenchor und Orchester) (原詩:フェルディナント・フライリグラート、作曲:1888年、初演:1911年12月6日シュトラースブルク)
ハインリヒ・フォン・クライストの『ヘルマンの戦い』から男声合唱と6つのホルン、4つのヴァイオリンと4つのチェロのための《吟遊詩人の歌》(Gesang der Barden aus Die Hermannsschlacht von Heinrich von Kleist, für Männerchor, 6 Hörner, 4 Violen und 4 Violoncelli) WoO 19 (作曲:1906年)
バリトン、任意の男声合唱および管弦楽のための《2つのドイツの歌》(Zwei deutsche Gesänge für Bariton, Männerchor (ad libitum) und Orchester)作品25(作曲:1915年~16年、献呈:アルフレート・フォン・ティルピッツ)
独唱と合唱、管弦楽、オルガンのためのロマン主義的カンタータ《ドイツ精神について》(Von deutscher Seele. Eine romantische Kantate für Solostimmen, Chor, Orchester und Orgel) 作品28(作曲:1921年、原詩:アイヒェンドルフ、初演:1922年1月27日ベルリン、献呈:「親愛なるエヴァ・クヴァスト嬢の追憶に」
管弦楽、オルガン、ソプラノ独唱およびバリトン独唱を伴う合唱幻想曲《冥土》(Das dunkle Reich. Chorphantasie mit Orchester, Orgel, Sopran- und Baritonsolo)作品38(作曲:1929年~1930年). 原詩:ミケランジェロ, ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ, コンラート・フェルディナント・マイヤー, リヒャルト・デーメル。初演:1930年10月21日ケルン)
混声合唱と管弦楽とオルガンのための《健康の泉》(Fons salutifer für Chor, Orchester und Orgel) 作品48(作曲:1941年、原詩:エルヴィーン・グィード・コルベンホイヤーの「カールスバート(Fons Carolinus)」(出典は『闘いの泉(Kämpfender Quell)』[1929年])、初演:1942年4月30日もしくは5月1日カールスバート
フルート、ホルンとソプラノ独唱を伴う《2つの男声合唱曲(Zwei Männerchöre mit Flöte, Horn und Sopran-Solo)》作品49(作曲:1941年、初演:1942年4月26日ケルン、献呈:ケルン男声合唱協会)
男声合唱と小オーケストラのための《3つの歌》(Drei Gesänge für Männerchor und kleines Orchester)作品53(作曲:1944年、原詩:ヴェルナー・フンダートマルクの1943年の詩集『そして穀物畑と芥子畑に草刈り鎌が入るとき(Und als durch Korn und Mohn die Sense strich. Gedichte)』より、初演:1944年ウィーン
バリトン独唱と混声合唱、ピアノのための《1901年、新年の祝賀の輪唱》(Rundgesang zum Neujahrsfest 1901 für Bariton, gemischten Chor und Klavier)(作曲:1900年、原詩:エルンスト・フォン・ヴォールツォーゲン
8声の無伴奏混声合唱のための《コロンブス》(Columbus für 8-stimmigen gemischten Chor a cappella)作品16(作曲:1905年、原詩:フリードリヒ・シラー、初演:1911年12月6日シュトラースブルク、献呈:「シラーの没後100周年を記念して(zum 100. Todestag von Friedrich Schiller)」)
ハインリヒ・フォン・クライストの『ヘルマンの戦い』から《吟遊詩人の歌》(Gesang der Barden aus Die Hermannsschlacht von Heinrich von Kleist) (作曲:1906年)
^ abcErnst Klee: Das Kulturlexikon zum Dritten Reich. Wer war was vor und nach 1945, S. Fischer, Frankfurt am Main 2007. ISBN 978-3-10-039326-5, S. 456.
^veröffentlicht in Bernhard Adamy (Hrsg.) Hans Pfitzner Briefe, Tutzing, 1991