ロベルト・ライニック
ロベルト・ライニック(Robert Reinick、1805年2月22日 - 1852年2月7日)はドイツの画家、詩人である。 略歴グダニスクで生まれた。1825年からベルリンの美術アカデミーに入学し、肖像画、風俗画を得意とするカール・ヨーゼフ・ベガスに学んだ。ベルリンでは文学者のアーデルベルト・フォン・シャミッソー(1781-1838)やヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788-1857)といった人々の知己を得た。1831年からデュッセルドルフ美術アカデミーに移り、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シャドーのもとで修行を続け、イタリアにも旅した。 1844年に結婚し、その後、ドレスデンに住み、詩人や翻訳者、画家として働いた。ライニックの付き合った知識人には、歴史家のクグラー(Franz Kugler)、画家のフォン・オーア(Theobald von Oer)やアルフレート・レーテル(Alfred Rethel)、版画家のビュルクナー(Hugo Bürkner)、音楽家のシューマンや、ワーグナー、フェルディナント・ヒラーらがいた。 詩人、文学者としては、ヒラーの歌劇『コンラーディン』(Conradin、1847年初演)の脚本を書き、シューマンの作曲した『ゲノフェーファ』 の脚本を書いたが、『ゲノフェーファ』の台本はシューマンに気に入られず、シューマンによって書き改められた。 ヨハン・ペーター・ヘーベルのアレマン方言による詩を標準ドイツ語に翻訳した。 参考文献
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