チアゴ・マルチンス・ブエーノ
チアゴ・マルチンス・ブエーノ(葡: Thiago Martins Bueno、1995年3月17日 - )は、ブラジル・ミナスジェライス州サン・ジョアン・エヴァンジェリスタ出身のプロサッカー選手。メジャーリーグサッカー・ニューヨーク・シティFC所属。ポジションはディフェンダー。 来歴パルメイラス-パイサンドゥ-パルメイラス-バイーア(2013年-2017年)2013年10月1日、将来のSEパルメイラスを背負う選手として大きな期待を背負いモジミリンECのU-20から加入[1] した。2013年11月30日、ブラジル全国選手権2部のシャペコエンセ戦でプロデビューを果たすもチームは0-1で敗戦した。これを受け、チームの判断でU-20所属となった[2]。 2014年のコパ・サンパウロ・ジ・フチボウ・ジュニオールではキャプテンとしてU-20のチームを率いたが、膝の怪我でチームを離れることを余儀なくされた[3]。 2015年にパイサンドゥSCへの期限付き移籍を経て2016年にSEパルメイラスに復帰すると公式戦31試合に出場し、ブラジル全国選手権1部の優勝メンバーの一人となった。 2017年シーズンはレギュラーとしてシーズンインする[3] も2017年3月に練習試合で左膝の前十字靭帯を負傷し、手術とリハビリで6ヶ月の離脱を強いられた[4]。2017年9月に回復すると、同年末までの期限付き移籍でECバイーアに加入した。 パルメイラス復帰(2018年)2018年1月、SEパルメイラスに復帰した。守備の大黒柱であったエドゥ・ドラセナが怪我でシーズン開始に間に合わない中、監督のホージェル・マシャドの信頼を勝ち取り[5]、サンパウロ州選手権では全18試合中17試合に出場し、決勝でコリンチャンス相手にPKで敗れたもののチームの準優勝に貢献した。またコパ・リベルタドーレスでもグループリーグ6試合の内4試合に出場し、首位通過に貢献した。 しかし4月後半に復帰したエドゥ・ドラセナにポジションを奪われると出場機会を減らし[6]、ブラジル全国選手権1部では8月6日の17節終了時点で7試合の出場に留まっていた。7月26日にホージェル・マシャドは解任された[7] が、後任のルイス・フェリペ・スコラーリからは「試合で起用する予定がない」旨を伝えられていた[8]。 横浜F・マリノス(2018年-2021年)2018年8月14日、1年半の期限付き移籍での横浜F・マリノス加入が発表された[9][10]。移籍発表時のコメントでは「ビルドアップや1対1のデュエルの部分が自分の特長」と自身のプレースタイルを紹介すると共に、「F・マリノスに加入することが出来てとても幸せです。チームの目標達成のために全力を尽くしたいと思います」と述べた[10]。 2018年8月20日、J1第23節の鹿島アントラーズ戦で初出場を果たし、後半35分までプレーするも試合には敗れた。試合後のコメントでは「F・マリノスに来て初めての試合なので、もっとコミュニケーションに苦労するかなと思いましたけど、周りがよく声をかけてくれました。この場を借りて、仲間に感謝の気持ちを伝えたいです。日本でプレーしながら日本のサッカーを学ぶことで、自分自身、選手として成長したいと思います」と述べた[11]。 2019年シーズン、畠中槙之輔と共にセンターバックのコンビとしてスターティングメンバーに定着、J1優勝に貢献し、ベストイレブンに選出された[12][13]。これらの活躍が評価され、マリノスに完全移籍することとなった[14][15]。 2020年シーズン、第32節のサンフレッチェ広島戦では相手FKをクリアしようとしてオウンゴールになったが、試合終了間際にPKを蹴って、J1初ゴール(移籍後初ゴール)を決めた[16]。 ニューヨーク・シティFC(2022年-)2021年12月28日に、横浜FMとの2022年度の契約を更新したが、2022年2月7日、アメリカのニューヨーク・シティFCへ完全移籍することが発表された[17]。4年契約を結んだ。 個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
個人成績は2023年12月31日時点の情報[18]。 タイトルクラブ
個人脚注
外部リンク
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