タトラKT8D5
タトラKT8D5は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したČKDタトラが製造した路面電車車両(タトラカー)の1つ。大量輸送が可能な3車体連接車で、チェコスロバキアや北朝鮮など社会主義諸国に導入された[12][4][5][6][7][8]。 導入までの経緯チェコスロバキア(現:チェコ)の首都・プラハを走るプラハ市電には、1951年のタトラT1以降、地元のČKDタトラで製造されたタトラカーと呼ばれる路面電車車両の導入が続いていた。1960年代以降は1両でも運転可能なタトラT3の大量導入が実施されたが、1970年代以降は車体形状や制御装置を一新した新型車両が他都市に導入されるようになり、プラハ市電を運営していたプラハ公共交通公社(Dopravní podnik hl. m. Prahy)は電機子チョッパ制御などの新技術を導入した新機軸の車両を開発するようタトラ国営会社へと依頼した。これを受け、1967年の時点で検討されていた3車体連接車の開発計画を応用する形で設計が行われたのがKT8D5である[13][5][14][15]。 概要編成は3つの連接車体で構成され、先頭車体(A車・B車)には運転台が設置されているため、ループ線が存在しない路線・系統でも折り返し運転が可能となっている。また自動連結器が搭載されているため、KT8D5同士を始めとする連結運転が可能である。折戸式の乗降扉は車体両側面に設置され、先頭車体には2箇所、中間車体(C車)には1箇所に存在する。車内には革張りのクロスシートが配置され、屋根上の暖房ユニットや発電ブレーキからの排熱を利用した温風を車内に送り込むスロットが設置されている一方、冷房は設置されておらず外部からの換気による温度調節がなされる[5][6][7][8][16]。 2基の主電動機(出力45 kw)が搭載された動力台車は歴代のタトラカーと同様にアメリカのPCCカーを由来とした構造が引き続き採用され、車輪は防振ゴムを挟み騒音や振動を防ぐ弾性車輪となっている。運転台からの速度制御についてもPCCカーと同様に足踏みペダル式となっている。制御装置は電機子チョッパ制御(TV3)が用いられる。先頭車体の屋根上には集電装置(パンタグラフ)に加えて抵抗器や換気装置、暖房ユニットが搭載されている[8]。
運用1984年に2両の試作車が完成し、プラハ市電で試運転が実施された後、1986年から量産が開始された。導入地域や製造年代によって以下の形式が製造されたが、車体幅が2,480 mmと広く取られた事からプラハ市電など導入にあたって電停や線形の改良が必要となった地域も存在した[5][6]。
導入都市タトラ国営会社(→ČKDタトラ)で製造されたタトラKT8D5が導入された都市は以下の通りである。国名や都市名の一部には略称を含む。これらの車両の中で、コシツェ市電に導入された40両のうち10両はミシュコルツ市電(ハンガリー)、4両は平壌市電(北朝鮮)、3両はシュトラウスベルク鉄道(ドイツ)に譲渡された他、ミシュコルツ市電へはモスト・リトヴィーノフ市電からも3両が譲渡されている。また、モスクワ市電に導入された1両については早期にヴォルゴグラード・メトロトラムへの譲渡が実施されている[4][18][21]。
改造2000年代以降、チェコやスロバキア向けの車両を中心にチェコのアライアンスTW(Aliance TW Team)によって更新工事が行われており、中間車体を床上高さ350 mmの新造車体(ML8LF)に交換する事で車内の20%をバリアフリーに対応した低床構造にする他、外板の薄さが課題となっていた車体の強化、台車や制御装置、暖房装置など主要機器の修繕、車内の改装などが実施されている。更に運転台についても機器の更新やスイッチ類の配置見直しに加え、冷房装置の搭載やバックミラーの設置など快適性や安全性の向上がなされている。これらの更新車両は、改造内容によって以下の形式に分かれる[22][8]。
関連形式
脚注注釈出典
参考資料
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