タトラKT4

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タトラKT4
KT4D(エアフルト1989年撮影)
基本情報
製造所 ČKDタトラ
製造年 1972年(試作車)
1975年 - 1997年(量産車)
製造数 KT4D 1,045両
KT4Dt 99両
KT4SU 435両
KT4YU 251両
KT4M-YUB 20両
KT4K 50両
運用開始 1975年
主要諸元
編成 2車体連接車
軌間 1,000 mm1,435 mm1,458 mm1,524 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
最高速度 65.0 km/h
起動加速度 1.31 m/s2
減速度(常用) 1.31 m/s2
減速度(非常) 2.29 m/s2
車両定員 着席26 - 38人
最大121 - 143人
車両重量 19.96 t
全長 19,054 mm
車体長 18,110 mm
全幅 2,180 mm
全高 3,400 mm
車体高 3,100 mm
床面高さ 900 mm
車輪径 700 mm
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 8,900 mm
動力伝達方式 直角カルダン駆動方式
主電動機 回転型インバータ(MG)
主電動機出力 40 kw、45 kw
出力 160 kw、180 kw
制御方式 抵抗制御
電機子チョッパ制御(KT4Dt、KT4M-YUB)
制動装置 発電ブレーキドラムブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。
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タトラKT4は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したČKDタトラが製造した路面電車車両タトラカー)の1つ。急カーブや急勾配など厳しい条件下の路面電車路線向けに開発され、東ドイツソビエト連邦を始めとする社会主義国家東側諸国)に導入された[2][5]

導入までの経緯

タトラカーは、アメリカで開発された高性能路面電車・PCCカーの技術をライセンス契約の元で取得したČKDタトラ(旧:タトラ国営会社スミーホフ工場)によって開発された路面電車車両の総称である。東側諸国による経済協力機構である経済相互援助会議(コメコン)の元で大量生産されたタトラカーはソビエト連邦ユーゴスラビアなど世界各国へ向けて生産され、東ドイツにおいても1960年以降タトラT3Dや改良型のタトラT4Dの大量導入が実施された[8][9]

だが、首都ベルリンベルリン市電を始めとした東ドイツ各地の路面電車は急カーブや急勾配、狭い車両限界など、従来型のタトラカーを直接導入する事が難しい線路条件であり、1970年代前半までこれらの都市には小型の2軸車が継続して導入される状態となっていた。そこで、タトラ国営会社は東ドイツ政府の指導のもと、それらの車両に代わる厳しい条件下でも走行可能な新型電車の開発に着手した。そして複数の試作車を経て1975年から量産が開始されたのがKT4である。形式名の"KT"は「小型連接式電動車(Kurzgelenk Triebwagen)」と言う意味を持つ[3][9][5][6][10][11]

概要

KT4は2両の車体を繋いだ2車体連接車だが、タトラ国営会社がそれまで製造していた連接車とは異なり、各車体に2基の主電動機を搭載したボギー式動力台車が設置され、床下と屋根に設置されたヒンジで車体同士が結合される構造となっている。これによって通過可能な最小曲線半径は15.8 mとなり、従来のボギー車[注釈 1]や連接車では通過する事が出来なかった急曲線も走行する事が出来る。更に連結器ではなくヒンジで車体を繋ぐ事により、2軸車による連結運転で生じた縦揺れが抑えられている。一方、台車や主電動機、駆動方式(直角カルダン駆動方式)など主要機器についてはT4Dの構造が引き続き用いられている他、制御装置も1980年代以降に製造された一部車両を除いて抵抗制御方式が採用されている。ただし抵抗値の操作についてはT4Dを始めとした従来のタトラカーで用いられていたタップ制御ではなく電磁開閉器が使われており、信頼性の向上が図られている[1][2][6][3][12]

車体はループ線が終端に存在する使用路線の条件に合わせ、車体右側にのみ乗降扉が存在する片運転台構造となっている。乗降扉は各車体に2箇所、1両につき合計4箇所設置されており、乗客の流動性が従来の車両から向上している。また連結器が搭載されているため、KT4形同士の連結運転も可能である。車体デザインはボギー車タトラT5と同様に角ばった外見となっているが、車両限界が狭い東ドイツの路線での走行を考慮し、車体幅は2,180 mmに抑えられている[2][6][5][3][13]

運用・車種

ポツダム市電で動態保存されている試作車(2007年撮影)

KT4の開発にあたり、まず1969年に試作連接車のタトラK1を改造し、連接構造を始めとする新機構の検証が実施された。その結果良好な成績が得られた事で、1972年に2両の試作車が製造され、翌1973年から軌間1,435 mm(標準軌)プラハ市電軌間1,000 mm狭軌)のリベレツ市電でそれぞれ試運転が実施された。そしてこれらの車両が1975年4月東ドイツポツダム市電で営業運転を開始したのを皮切りに、東ドイツ、ソビエト連邦ユーゴスラビア朝鮮民主主義人民共和国向けに以下の車種の大量生産が実施された[2][5][10][11]

導入都市

KT4D(ライプツィヒ
KT4D(ゲルリッツ
KT4SU(リエパーヤ
KT4YU(ザグレブ

タトラ国営会社(→ČKDタトラ)で製造されたタトラKT4が導入された都市は以下の通りである。国名や都市名の一部には略称を含む[5][7][10]

KT4 導入都市一覧[5]
形式 導入国 都市 導入車両数
KT4D 東ドイツ
(現:ドイツ)
ベルリン
(ベルリン市電)
タトラKT4 (ベルリン市電)」も参照
576両
エアフルト
(エアフルト市電)
タトラKT4 (エアフルト市電)」も参照
156両
ゲーラ
(ゲーラ市電)
63両
ポツダム
(ポツダム市電)
タトラKT4 (ポツダム市電)」も参照
45両
プラウエン
(プラウエン市電)
45両
フランクフルト(オーダー)
(フランクフルト(オーダー)市電)
34両
ツヴィッカウ
(ツヴィッカウ市電)
22両
ブランデンブルク
(ブランデンブルク市電)
16両
コトブス
(コトブス市電)
16両
ゲルリッツ
(ゲルリッツ市電)
11両
ライプツィヒ
(ライプツィヒ市電)
8両
ゴータ
(ゴータ市電)
6両
KT4Dt 東ドイツ
(現:ドイツ)
ベルリン
(ベルリン市電)
タトラKT4 (ベルリン市電)」も参照
99両
KT4SU ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
リヴィウ
(リヴィウ市電)
145両
ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
ヴィーンヌィツャ
(ヴィーンヌィツャ市電)
81両
ソビエト連邦
(現:エストニア)
タリン
タリン市電
73両
ソビエト連邦
(現:ロシア連邦)
カリーニングラード
(カリーニングラード市電)
41両
ソビエト連邦
(現:ロシア連邦)
ピャチゴルスク
(ピャチゴルスク市電)
35両
ソビエト連邦
(現:ラトビア)
リエパーヤ
(リエパーヤ市電)
22両
ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
ジトーミル
(ジトーミル市電)
20両
ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
イェウパトーリヤ
(イェウパトーリヤ市電)
18両
KT4YU ユーゴスラビア
(現:セルビア)
ベオグラード 200両
ユーゴスラビア
(現:クロアチア)
ザグレブ
(ザグレブ市電)
51両
KT4M-YUB ユーゴスラビア
(現:セルビア)
ベオグラード 20両
KT4K 北朝鮮 平壌
(平壌市電)
50両

改造

ドイツ再統一ソビエト連邦の崩壊を経た1990年代以降、長年の酷使により老朽化が進んだKT4は、製造年が新しい同形式の譲渡や超低床電車の導入により廃車や他都市への譲渡[注釈 2]が進行しているが、一方で今後の使用も踏まえ延命も兼ねた更新工事が実施されている都市も多数存在する。工事の内容は車体の外板や断熱材、内装、乗降扉、窓など車体各部の部品の交換、先頭部の更新、天窓の追加、制御装置のサイリスタチョッパ制御方式への変更、補助電源装置の静止型インバータ(SIV)への換装、台車の新造など多岐に渡る。更に都市によってその内容は異なり、中には中間に低床車体を挟み込み3車体連接車となった車両や車体そのものが更新された車両も存在する。以下、形式変更を伴う代表的な改造例を取り上げる[3][5][10]

脚注

注釈

  1. ^ KT4と同時期に製造されていたボギー車タトラT5)の通過可能な最小曲線半径は20.1 mである[1]
  2. ^ 譲渡された都市にはポーランドシュチェチン市電)やハンガリーセゲド市電)などKT4の新造車両の配給が実施されなかった地域も含まれる[5]

出典

  1. ^ a b c Light Rail Transit 1976, p. 136.
  2. ^ a b c d e Light Rail Transit 1976, p. 141.
  3. ^ a b c d e f 鹿島雅美 2007a, p. 146.
  4. ^ a b Slaven Tica, Nada Stanojevi & Branko Vasi 2007, p. 4-5.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m Ryszard Piech (2008年3月18日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (2) od KT8 do T6” (ポーランド語). InfoTram. 2016年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月8日閲覧。
  6. ^ a b c d Winfried Reinhardt (2011-10-20) (ドイツ語). Öffentlicher Personennahverkehr: Technik - rechts- und betriebswirtschaftliche Grundlagen. Vieweg+Teubner Verlag. pp. 305-306. ISBN 978-3834812681 
  7. ^ a b Die Fahrzeuge der Leipziger Fahrzeugsammlung” (ドイツ語). Leipziger Fahrzeugsammlung. 2020年1月21日閲覧。
  8. ^ 大賀寿郎 2016, p. 93.
  9. ^ a b 鹿島雅美 2007a, p. 145.
  10. ^ a b c d e Christoph Pohl (2018年12月26日). “Cottbuser Tatra-Bahnen fahren seit 40 Jahren” (ドイツ語). IR Online. 2020年1月21日閲覧。
  11. ^ a b c Historischer Triebwagen 001 (KT4D-Prototyp)” (ドイツ語). tram2000.de. 2009年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月21日閲覧。
  12. ^ Антон Лягушкин, Дмитрий Янкивский (2018年10月12日). “Трамваи «Tatra KT4DM» – знакомимся ближе”. Пассажирский Транспорт. 2018年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月26日閲覧。
  13. ^ 大賀寿郎 2016, p. 98-99.
  14. ^ Ryszard Piech (2008年9月26日). “Tramwaje w Poczdmie” (ポーランド語). InfoTram. 2020年1月21日閲覧。
  15. ^ やまだトシヒデ「第6章 路面電車の世界」『ポケット図解 韓国の電車と地下鉄をとことん楽しむ本』秀和システム、2012年8月31日、235頁。ISBN 978-4798034881 
  16. ^ a b 鹿島雅美 2007b, p. 137.
  17. ^ Ryszard Piech (2018年9月19日). “Трамвай «Tatra KT4DtM» скоро выйдет на линию и в Запорожье” (ロシア語). ПАССАЖИРСКИЙ ТРАНСПОРТ. 2020年1月21日閲覧。
  18. ^ a b c 鹿島雅美 2007b, p. 138.
  19. ^ V OSTRAVĚ BYLA DOKONČENA PRVNÍ TRAMVAJ PRO TALLINN” (チェコ語). Československý Dopravák (2017年6月17日). 2020年1月21日閲覧。
  20. ^ 鹿島雅美 2007b, p. 136.
  21. ^ KT4UA „VINWAY“ – NOVÁ VERZE ČESKÉ TRAMVAJE NA UKRAJINĚ” (チェコ語). Československý Dopravák (2016年9月6日). 2020年1月21日閲覧。
  22. ^ VYBRANÉ TROLEJBUSOVÉ A TRAMVAJOVÉ INVESTIČNÍ AKCE NA UKRAJINĚ (2)” (チェコ語). Československý Dopravák (2018年1月22日). 2020年1月21日閲覧。
  23. ^ Дар'я Гоц (2017年12月8日). “Наступного року Вінниця випустить ще два трамваї VinWay” (ウクライナ語). VeжА - Новини Вінниці. 2020年1月21日閲覧。
  24. ^ Libor Hinčica (2017年11月2日). “ZAJÍMAVÉ RETRO TRAMVAJE KT4 V ESTONSKÉM TALLINNU” (チェコ語). Československý Dopravák. 2018-◎-×閲覧。

参考資料