タトラK2

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タトラK2
K2(ブルノ
基本情報
製造所 タトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)
製造年 1966年 - 1983年
製造数 合計 569両
K2 214両
K2SU 245両
K2YU 110両
主要諸元
編成 2車体連接車
軌間 1,000 mm1,435 mm1,524 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
設計最高速度 65 km/h
起動加速度 1.3 m/s2
減速度(非常) 2.3 m/s2
車両定員 着席49人
立席108人
最大220人
(乗客密度5人/m2
車両重量 21.5 t
全長 21,600 mm
車体長 20,400 mm
全幅 2,500 mm
全高 3,050 mm
車輪径 700 mm
固定軸距 1,900 mm
台車中心間距離 6,400 mm
主電動機 TE 022
主電動機出力 40 kw
出力 160 kw
制御方式 抵抗制御(間接自動制御)
制動装置 発電ブレーキディスクブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3]に基づく。
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タトラK2は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したタトラ国営会社スミーホフ工場(→ČKDタトラ)が製造した路面電車車両タトラカー)。チェコスロバキアを始めとする東側諸国各地の路面電車に導入された2車体連接車である[1][2]

概要

導入までの経緯

1951年から製造が始まった、アメリカ合衆国の高性能路面電車・PCCカーの技術をライセンス契約の元で用いたタトラ国営会社スミーホフ工場(ČKDタトラ)の路面電車車両・タトラカーは、1960年代中盤まで1両での運用が可能な単車(ボギー車)のみが生産されていた。だが、都市によっては単車では輸送力不足、2両編成では逆に輸送力過剰となる場合が存在した他、車掌業務が存在した時代には連結運転を行う際に各車両に車掌を配置しなければならず人員の面でも問題があった。そこで求められたのが、各車体が貫通幌で繋がっており、単車よりも定員数が多い、アメリカのPCCカーには存在しなかった連接車であった[1][2]

1964年1965年に最初の連接車であるタトラK1が1両づつ製造され、チェコスロバキア(現:チェコ)のプラハ市電オストラヴァ市電で試運転が実施されたが、電気機器の故障が相次いだ事で1968年までにタトラ国営会社スミーホフ工場へと返却される事態となった。それを受け、機器の見直しを行った連接車がタトラK2である[1][4]

構造

ループ線が存在する路線での運用を前提とした片運転台の2車体連接車で、乗降扉(2枚折り戸)も前後車体共に右側に2箇所存在する。両車体間には蛇腹式の幌で繋がっており、車内の連接面付近には手すりが設置されている。製造当初、車体の側面窓下にはリベットで留められたコルゲート加工を施した外板が存在したが、多くの都市では修繕・更新工事の過程で撤去されている[2][5][3]

車内には進行方向右側(乗降扉側)に1列、左側に2列のクロスシートが配置されており、ラミネート加工もしくは合成皮革で覆った布張りの座席が用いられている。先頭車体の連接面側にある扉付近には車掌用の空間や座席が存在する。車内の暖房には電気ヒーターが用いられるが、顧客からの要望に応じて制動装置から生じた発熱を暖房に利用する事も可能である[2][5][3]

故障が多発したK1の事例を受け、電気機器はボギー車のタトラT3を基にしているが、より大きな電流負荷に対応可能なよう抵抗器(加速器)の設計が変更されている。制動装置についてもタトラT3と同様、発電ブレーキディスクブレーキ電磁吸着ブレーキが搭載されている。製造時の集電装置は菱形パンタグラフが用いられ、最大6,153 mmの高さにある架線まで対応可能である。台車は連接部分に付随台車、それ以外に動力台車が配置されており、付随台車のディスクブレーキは機械式である[1][2]

運用

1966年に試作車が完成し、チェコプラハプラハ市電[注釈 1]で試運転が行われた後、翌1967年から量産が始まった。導入地域や時期によって以下の形式が存在する[1][6]

これら車両のうち、ソビエト連邦向けのK2SUはK2を超える生産両数を記録したが、連接部分の付随台車の損傷を始めとした故障が相次いだ事でモスクワモスクワ市電)を含む大半の都市で1980年代までに運用を離脱し、ソビエト連邦の崩壊後も残ったハルキウエカテリンブルク(旧:スヴェルドロフスク)からも1990年代までに引退した。それ以外の国でも超低床電車導入による置き換えが進んでおり、オストラヴァオストラヴァ市電)からは機器流用車のヴァリオLF2R.Sを除き2018年に営業運転を終了した。その一方で後述の近代化工事が各都市の路面電車で進められている他、動態保存されている車両も多数存在しており、K2の最多導入先であるブルノブルノ市電)では1983年に導入されたK2YUの1両(1123)が車体のコルゲート加工を含めた製造当時の状態に復元されている[1][4][10][6][11]

導入都市

K2(ブルノ
K2YU(サラエボ

タトラ国営会社スミーホフ工場で製造されたK2の配給が実施された都市は以下の通り。一部国名・都市名には略称を含む他、都市名は導入時のものを記す[1]

K2 導入都市一覧[1][7][8][9][3][10]
形式 導入国 都市 導入車両数
K2 チェコスロバキア
(現:チェコ)
ブルノ
(ブルノ市電)
120両
オストラヴァ
(オストラヴァ市電)
タトラK2 (オストラヴァ市電)」も参照
8両
チェコスロバキア
(現:スロバキア)
ブラチスラヴァ
(ブラチスラヴァ市電)
86両
K2SU ソビエト連邦
(現:ロシア連邦)
モスクワ
(モスクワ市電)
60両
ノヴォシビルスク
(ノヴォシビルスク市電)
36両
ウファ
(ウファ市電)
35両
クイビシェフ
(クイビシェフ市電)
30両
トゥーラ
(トゥーラ市電)
19両
スヴェルドロフスク
(スヴェルドロフスク市電)
20両
ロストフ・ナ・ドヌ
(ロストフ・ナ・ドヌ市電)
5両
ソビエト連邦
(現:ウクライナ)
ハルキウ
(ハルキウ市電)
40両
K2YU ユーゴスラビア
(現:ボスニア・ヘルツェゴビナ)
サラエヴォ
(サラエヴォ市電)
90両
チェコスロバキア
(現:チェコ)
ブルノ
(ブルノ市電)
15両
オストラヴァ
(オストラヴァ市電)
タトラK2 (オストラヴァ市電)」も参照
2両
チェコスロバキア
(現:スロバキア)
ブラチスラヴァ
(ブラチスラヴァ市電)
3両

改造

1990年代以降、チェコやスロバキア、ボスニア・ヘルツェゴビナの路面電車事業者は、新型車両導入費用を削減するため既存のタトラK2に対し、車体・車内設備の修繕、制御装置や集電装置の更新、老朽化した車体の新造など各種の改造工事を施している。これらのうち、車体の新造を伴う改造工事についてはシュコダ・トランスポーテーションの傘下企業であるパルス・ノヴァ(Pars Nova a.s.)や複数の企業によるコンソーシアムであるアライアンスTWが手掛けている[12][10][13]

チェコ、スロバキア向け

K2G(オストラヴァ)
K2Rブルノ
K2R-RTブルノ
  • K2R-RT - ブルノ市電のK2Rのうち1両を改造したレストランカー。"シャリナ・パブ"(Šalina Pub)という愛称を持ち、ビールワイン、ソフトドリンクなどの飲料やソーセージ、ハンバーグ、クッキーなどの料理が振舞われる。車内にはバーカウンターの他にテーブルを備えた座席、トイレがあり、立席を含めた定員数は40 - 50人を想定している。2013年から団体列車を中心にブルノ市電各地の路線で運行している[20][21]
K2Tブルノ
  • K2T - 車体・車内更新に加えて制御装置をIGBT素子を用い回生ブレーキを搭載したČKD製のTV14に交換した形式。ブルノ市電向けに1999年から4両が改造されたが、翌2000年にČKDが倒産したためそれ以上の改造は行われなかった[12][22][23]
K2Sブラチスラヴァ
  • K2S - スロバキアブラチスラヴァ市電に在籍していたK2の一部に対し、ブルノ市電向けのK2Rと同型の新造車体に交換し、制御装置もTVプログレスに変更した形式。運転台には空調が完備されている。1998年から2009年まで計35両が導入されたが、うち2007年 - 2009年に改造を受けた9両は老朽化した車体を新造した機器流用車である[3][24]
K2Pブルノ
  • K2P - K2Gと同様の車体・車内の更新工事に加えて、制御装置をTVプログレス(TV Progress)に交換した形式。K2R.Pとも呼ばれるが、K2Rで実施された前面形状の更新は行われていない。2000年以降ブルノ市電に24両、オストラヴァ市電に2両が導入された[4][12][10]
K3R-Nブルノ
  • K3R-N - 中間に低床車体を増結し3車体連接車とした形式。前後車体についても新造車体に交換された。制御装置はセゲレツ製のTVプログレスが用いられる。ブルノ市電へ向けて4両が改造されている[25][26]
ヴァリオLF2Rブルノ
  • ヴァリオLF2R - ブルノ市電オストラヴァ市電に在籍していたK2の一部は、アライアンスTWによって製造された超低床車体や新造品の電気機器への交換が実施され、形式名を「ヴァリオLF2R」(VarioLF2R)に改めている[10][27]

ボスニア・ヘルツェゴビナ向け

SATRA IIサラエボ
SATRA IIIサラエボ
  • Satra IIIチェコ語版 - サラエボ市電向けに12両が改造された3車体連接車。中間に増設された低床車体を含めて車体形状はK3R-Nと類似するが、電気機器は"SATRA II"と同じくシーメンス製のものが用いられている[29]

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ ただしプラハ市電にK2の量産車は導入されなかった。
  2. ^ 事故復旧車。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Ryszard Piech (2008年3月4日). “Tramwaje Tatry na przestrzeni dziejów (1)” (ポーランド語). InfoTram. 2016年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f ČKD Tatra 1970, p. 18.
  3. ^ a b c d e f ČKD K2” (スロバキア語). imhd.sk.. 2013年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  4. ^ a b c d Источник фото (2008年11月6日). “Острава попрощалась с трамваями «Tatra K2»” (ロシア語). Пассажирский транспорт. 2020年2月17日閲覧。
  5. ^ a b ČKD Tatra 1970, p. 19.
  6. ^ a b c BRNO MÁ DALŠÍ RETRO TRAMVAJ - VŮZ K2 EV. Č. 1123” (チェコ語). Československý Dopravák (2016年6月4日). 2020年2月17日閲覧。
  7. ^ a b K2”. Straßenbahnen der Bauart Tatra. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  8. ^ a b K2SU”. Straßenbahnen der Bauart Tatra. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  9. ^ a b K2YU”. Straßenbahnen der Bauart Tatra. 2010年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  10. ^ a b c d e K2”. mhd-ostrava.cz. 2020年2月17日閲覧。
  11. ^ М.Д. Иванов (1999) (ロシア語). Московский трамвай: страницы истории. KMK Scientific Press. pp. 194,199. ISBN 5-00-002936-4. https://books.google.ru/books?id=YgaSBQAAQBAJ 2020年2月17日閲覧。 
  12. ^ a b c d e f Martin Hemzal (2008年8月30日). “Rekonstrukce tramvají K2”. BKHD.cz. 2020年2月17日閲覧。
  13. ^ Company Profile” (英語). Krnovské opravny a strojírny. 2020年2月17日閲覧。
  14. ^ TRAMVAJE K2 V OSTRAVĚ KONČÍ, DO PROVOZU MÍŘÍ „STADLERY“” (チェコ語). Československý Dopravák (2016年10月31日). 2020年2月17日閲覧。
  15. ^ Jaromír Štěpán (2002). “Modernizace tramvají v Ostravě”. Městská doprava (6): 6-9. 
  16. ^ Mário Kováč (2004). “Modernizácie bratislavských električiek typu K2”. Městská doprava (5): 8-10. 
  17. ^ Jiří Vobecký (2001). “Ostrava – tramvaj K2 číslo 806”. Městská doprava (3): 17. 
  18. ^ a b c Zdeněk Nesiba (2000). Ostrava – tramvaj K2 číslo 806. Vojtěch WOLF – vydavatelství Wolf & Tramvajklub Brno. pp. 79 
  19. ^ K2R” (チェコ語). Pars Nova a.s.. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  20. ^ šalina pub restaurační pivní tramvaj starobrno ceník jízd”. DPMB. 2020年2月17日閲覧。
  21. ^ Libor Hinčica (2013). “Pivní tramvaj K2R-RT v Brně”. Československý dopravák (3): 46-52. 
  22. ^ Harry Hondius (2008年9月3日). “Cegelec alive to world-wide expansion”. Railway Gazette. 2020年2月17日閲覧。
  23. ^ Martin Černý (2000). Malý atlas městské dopravy 2002. Gradis Bohemia. pp. 73. ISBN 80-902791-5-5 
  24. ^ Tramvaj K2S REKONSTRUKCE A MODERNIZACE” (チェコ語). Pars Nova a.s.. 2007年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  25. ^ TRAMVAJ TYP K3R-N” (チェコ語). Škoda. 2020年2月17日閲覧。
  26. ^ K3R-N” (チェコ語). Pars Nova a.s.. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  27. ^ Reconstructing trams at our main workshops” (英語). DPMB. 2020年2月17日閲覧。
  28. ^ SATRA II” (チェコ語). Pars Nova a.s.. 2012年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  29. ^ SATRA III” (チェコ語). Pars Nova a.s.. 2012年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  30. ^ KLOUBOVÉ TRAMVAJE PCC V SARAJEVU” (チェコ語). Československý Dopravák (2016年11月19日). 2020年2月17日閲覧。

参考資料