ドネツィク市電
ドネツィク市電(ウクライナ語: Донецький трамвай、ロシア語: Донецкий трамвай)は、ウクライナ(2014年以降はドネツク人民共和国による実効支配下)の都市・ドネツィク市内に存在する路面電車。2020年現在、トロリーバスや路線バスと共に市営企業であるドンエレクトロアヴトトランス(КП администрации города Донецка «Донэлектроавтотранс»)によって運営されている[1][2]。 歴史ドネツィク市内に路面電車を建設するプロジェクトが始動したのは、都市の名前が「スターリン」と呼ばれていた時代、1927年3月2日であった。建設は早期に始まり、一時都市名が「スタリノ」に改められていた1928年6月15日に市内中心部とソ連国鉄の駅を結ぶ最初の路線が開通し、同年には延伸も実施された。当初から路面電車は市が運営する公営路線で、開通当時は他の市営事業と共に「トランスヴェト(«Трамсвет»)」と言う組織によって運営されていたが、1931年以降は「スターリン都市鉄道(«Сталинская городская железная дорога»)」と言う独立した事業体への移管が実施された。車両基地が完成した1932年[注釈 1]時点で5系統が運用されていた[1][2]。 その後も路面電車の規模は拡大を続け、1939年に開通したトロリーバスと共に「1940年代以降は路面電車・トロリーバス信託(трамвайно-троллейбусного треста)」によって運営されていた。1941年には計12系統を有する路線網が存在したが、第二次世界大戦(大祖国戦争)時にナチス・ドイツの占領下に置かれた中で路面電車を含む公共交通機関網は徹底的な破壊を受けた。復興が始まったのは都市が占領から解放された1943年以降で、1945年には4系統が運行していた[1][5]。 1950年代は路線の復興に加えて新規路線の開通や新型車両の導入が積極的に実施され、1955年時点で8系統だった路線網は1971年には15系統に拡大した。その間の1961年に都市名がドネツィクに改められた事で運営組織名もドネツィク路面電車・トロリーバス事業(Донецкое трамвайно-троллейбусное управление)に変更された他、1967年からはチェコスロバキア(現:チェコ)製のタトラT3SUの大量導入が行われた。ソビエト連邦の崩壊後、ウクライナの都市になって以降は長期に渡り車両の更新が途絶えたものの、2000年代以降はウクライナやロシア連邦製の電車が多数導入された[1]。 2014年にドネツィクがドネツク人民共和国の実効支配下に置かれて以降もドネツィク市電の運行は続いており、2018年には開通90周年を祝う式典が実施されたが、低賃金や賃金そのものの未払いなど労働環境の悪化が要因となった運転手不足などから各系統の本数は大幅に減少している。ただし2020年2月1日以降はドネツィク市電を始めとした公共交通機関の運賃を値上げする事による賃金の増加が図られている[6][7][8][9]。 運用2020年現在、ドネツィク市電では以下の9系統が運用されている。運賃はドネツィク市が運営するトロリーバスや路線バスと統一されており、2020年2月1日に実施された値上げ以降は6ロシア・ルーブルとなっている[8]。
車両ドネツィク市電で使用されている車両は、1932年に開設された第3車庫(Депо № 3)と1961年に増設された第4車庫(Депо № 4)に配置されている[1][2]。 営業用車両
動態保存・観光用車両
過去の車両
脚注注釈出典
外部リンク
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