ウクライナの路面電車この項目では、ウクライナの路面電車について解説する。ウクライナは旧・ソビエト連邦の構成国家の中で最も早く路面電車(電化路線)が開通した国家であり、2021年の時点でウクライナの統治が及んでいない地域を含め18都市で路面電車の営業運転が行われている[1][2][3][4]。 歴史現在のウクライナの各都市における軌道交通は1880年にリヴィウやオデッサに開通した馬車鉄道から始まった。これは産業の発展や都市の成長を背景にしたものであり、以降は各主要都市に馬車鉄道の開通が相次いだ他、スチームトラムを用いた路線も各地で登場した。一方、1892年には東ヨーロッパおよび旧・ソビエト連邦(ソ連)における最初の路面電車がキエフ(キエフ市電)に開通し、以降は各都市に新規の路面電車路線の開通が相次いだ他、既存の馬車鉄道やスチームトラム路線の電化も積極的に行われた。開通当初、これらの路線はベルギーを始めとした海外企業や地元の起業家による建設や営業が行われたほか、車両についても海外からの輸入品で賄われた。また、軌間はキエフなど一部を除き1,000 mm(メーターゲージ)であった[1][3][4]。
その後、第一次世界大戦やロシア革命、ソビエト連邦の成立までの過程の混乱の中で各都市の路面電車は破壊され、クレメンチュークでは路面電車(クレメンチューク市電)そのものが廃止に追い込まれた。一方、それ以外の都市は混乱が収まった1920年代以降復旧が進められ、その後の都市計画に合わせて路線網の拡大が行われた。また、同時期には大規模な工業化に合わせて都市と工場を結ぶ公共交通機関が求められ、多数の都市で新たな路面電車が開通した。これらの路線の軌間はソ連における標準軌であった1,524 mmであり、従来の都市についても海外の車両の輸入や1,000 mm軌間に対応した国産車両の生産停止に伴い、多くの都市で改軌が実施された[1][3]。 第二次世界大戦(大祖国戦争)中は多くの都市が戦闘に巻き込まれ、その後再建されることなく廃止となった路線も存在したが、それ以外の都市では終戦後1940年代までに路面電車網の復旧が行われた。戦後も各都市で市内の交通機関や鉱山・工場への輸送機関として路面電車の開通が行われ、キエフやクルィヴィーイ・リーフでは高規格の路面電車路線であるメトロトラムの導入も行われた。だが、一方でトロリーバスや路線バスへの置き換えも相次ぎ、一部都市では路面電車自体が廃止されている。車両については、戦後キエフやハルキウで国産車両の製造が実施されたものの、1960年代以降はウスチ=カタフ(ソ連、現:ロシア連邦)のウスチ=カタフスキー車両製造工場製[3]やチェコスロバキア(現:チェコ)のČKDタトラ製車両の導入へと切り替えられた[1][2][3][5]。
ソビエト連邦の崩壊後、多くの都市では経済の混乱やモータリーゼーションの影響、更に運営事業者の財政難により路面電車網の廃止や縮小が相次いでおり、首都・キエフの路面電車も2004年以降ドニエプル川を挟んで路線網が分断された状態が続いている。更に2014年のウクライナ騒乱をきっかけとした紛争の影響により一部の都市の路面電車はウクライナの統治下から外れた他、路線そのものが廃止に追い込まれた事例も複数存在する[1][6][7][3]。 その一方でキエフ(キエフ市電)、ドニプロ(ドニプロ市電)、リヴィウ(リヴィウ市電)など、新たな路線の建設が実施されている都市も幾つか存在しており、特にリヴィウではソビエト連邦崩壊直前の1991年(76 km)と比べて2018年時点の営業キロが増大している(82 km)。また、車両についてもタトラ=ユークやエレクトロントランスといったウクライナ国内の企業によって超低床電車を始めとした生産が行われており、既存の車両についても機器や車体の更新といった近代化が積極的に進められている[2][8][9]。 路面電車一覧現役路線以下の図表のうち、都市名および軌間は2021年時点のものである。また開通年は電化路線が営業運転を開始した年を記す[3]。 一覧
地図ギャラリー
休止・廃止路線ソビエト連邦崩壊後に休止・廃止
ソビエト連邦時代・ソビエト連邦成立前に廃止
脚注注釈出典
参考資料
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