サンデーフォーク
サンデーフォークは、愛知県名古屋市東区に本社を置く日本の企業グループの名称。 正式名称は1973年6月2日の設立以来「有限会社サンデーフォークプロモーション」であったが、2008年4月1日に「株式会社サンデーフォークフロント」へと変更、グループ会社を統合し事業持株会社へ移行した。同日付で、コンサート企画・運営・制作部門などを分割し「株式会社サンデーフォークプロモーション」が設立された。2009年7月1日には、テレビ制作事業部とデジタルタンク事業部(デジタルタンク!)が分社化し、「株式会社サンデーフォークメディア」が発足。持株会社への移行に伴い、株式会社サンデーフォークフロントから株式会社サンデーフォークマネージメントへ名称変更。2022年に全株式をサンデーフォークプロモーションがサンデーフォークマネージメントより取得し、自社で保持。現在はサンデーフォークマネージメントとは一切の関連は無い。 事業内容(株)サンデーフォークプロモーションは、コンサート運営以外にはアーティストのブッキング・プロモーションにかかる部門、イベントの企画・運営、ソフトウェアコンテンツの制作管理・ライブハウス「ハートランドスタジオ」の運営(ハートランド ソフトコンテンツ事業部)、音楽著作権管理(旧 サンデーミュージックパブリシャーズ社)、CDショップ(ビッグオレンジ事業部、旧 ビッグオレンジ社)、ラジオ番組制作部門(旧 ビバ!ラジオ社)を事業の柱とする。 東海地方を中心にコンサートや各種イベントなどを企画、主催、チケット取扱、運営するコンサートプロモーターであり、テレビやラジオでは中京広域圏キー局のローカル番組(ウドちゃんの旅してゴメン、げりらっぱなど)の制作(ポストプロダクション)も多い。 コンサートやイベントでは主催となる事もあるが、基本的には運営を行う。例えば、名古屋のジャニーズのコンサートでは運営のみを行い、主催やチケット取扱はヤングコミュニケーションコンサート事務局が行っている。東海地方で行われるコンサートなどのプロモーション業務の大半を占めているため、名古屋の放送、音楽業界ではサンデーフォーク無しでは語れない。 「サンデーフォークプロモーション」と言わずに「サンデーフォーク」(業界では「サンデー」)と略される事が多い。 名古屋で地域密着形の企業でもあるため、マスメディアとの関係も名古屋の企業が多い。静岡にも事務所がある。舞台が名古屋である映画『アイコ十六歳』では、製作協賛していた。 (株)サンデーフォークメディアについては、イベントの企画・運営(プランニング エージェント事業部、旧 サンデーEフロント社)、ソフトウェアコンテンツの制作、テレビ番組の制作(テレビ制作事業部)、映像音声のデジタル編集(デジタルタンク部門)が2009年7月に(株)サンデーフォークプロモーションより分社化し、(株)サンデーフォークメディアを設立した。2011年7月、オーナーと経営陣との対立で役員が総辞職。その後の事業再編で2011年11月、映像音声のデジタル編集部門(デジタルタンク)を事業譲渡。なお、サンデーフォークメディアは2013年に事業譲渡した。 人物同社には唯一の契約タレントとして宮地佑紀生が「預かり」という形で所属する。宮地佑紀生と同じく東海地方のラジオやテレビで活躍し、「アクエリアス」というバンドのメンバーでもあった河原龍夫は、サンデーフォークの創設当時からのメンバーでもあり、初期のサンデーフォークを支えてきた一人である。タレントとしての所属ではなく社員ということになっていたが、ここ数年はサンデーフォークを通しての仕事が減り、唯一岐阜放送のハーさんのMusicTimeマシ〜ンのみだったが、2006年3月をもって終了することが決定したため、社員から外れることを同番組内で明かした。 また、松山千春との結びつきは強く、松山自身のラジオ番組でもサンデーフォークという言葉をよく耳にすることができる。「サンデーフォークの桑原、桑原がさ~」など。 その桑原とは、有限会社時代の元社長であり、相談役である桑原宏司である。桑原は夫婦デュオチェリッシュの初期メンバー(いわゆるチェリッシュ5人時代のドラムス担当)であった。現在は、チケットぴあ名古屋株式会社代表取締役社長、そして広島市に本社を置く、株式会社ベット・タリスの取締役でもある(同社へはサンデーフォークも出資している)。 事業所
過去
関連企業※ 上に掲げた3局は中日新聞が株主となっている会社。
役員
脚注関連項目外部リンク
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