コカ・コーラウエスト
コカ・コーラウエスト株式会社は、かつて近畿地方(三重県を除く)・中国地方・九州地方(沖縄県を除く)を販売エリアをしていた、日本コカ・コーラのボトラー事業を行っていた企業である。親会社であるコカ・コーラボトラーズジャパン(初代)からボトラー事業を委任されていた。大輪会の会員企業である[1]。 2017年4月から12月の解散までの法人は、2017年4月1日に実施された経営統合に伴い、それまでの旧コカ・コーラウエストの事業を継承した企業である。旧コカ・コーラウエストはこの統合により持株会社化し、コカ・コーラボトラーズジャパン(初代)へ商号変更している。なお、福証での上場を廃止し、本店も東京へ移転したため、長年にわたった福岡でのコカ・コーラウエストは事実上の終焉を迎えた。 概要
歴史2017年3月までの旧コカ・コーラウエスト(現・コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス)は、元々5つあったボトリング会社が約10年間、数度に亘って合併を繰り返した会社であった。
このうち北九州は、地元博多の商業人佐渡島匡男が、日米飲料を立ち上げ日本コカ・コーラに福岡・佐賀・長崎県下での製造・販売のボトリング会社設立を企画した。しかしコカ・コーラ側は、一地方都市の商業人にすぎない佐渡島個人との契約に難色を示し、佐渡島に、バックアップを受ける形での全国的な財界人を名義人に立てるように要請した。 そこで、佐渡島がリコーの創業者市村清に直談判し、佐渡島自らは副社長、市村清を社長とし福岡相互銀行(現:西日本シティ銀行)をメインバンクとして日本コカ・コーラの認可を受け日米コカ・コーラボトリング株式会社を設立[2]。前述の経緯から、同社はリコー三愛グループの一員となり、現在のコカ・コーラウエストに引き継がれている。 まず、1999年7月1日に北九州を存続会社として山陽と合併、「コカ・コーラウエストジャパン株式会社」が発足。その際、米国コカ・コーラ本社も直接出資し、日本で初めての広域ボトリング会社、いわゆる“アンカー・ボトラー”となった。 それからちょうど7年後、近畿エリアの効率的事業運営を行うため、三笠を子会社化していた近畿とウエストジャパンが経営統合し、持株会社制を導入。旧ウエストジャパン社は持株会社「コカ・コーラウエストホールディングス株式会社」と改称し、ウエストジャパン社新社が新たな事業会社として持株会社の下に設立され、近畿は持株会社傘下となった。経営統合により、従来コカ・コーラウエストジャパンに出資していた米国コカ・コーラ本社も、株式交換の形でこの会社に出資することとなった。 この合併は、日本の人口のおよそ3分の1を占めるこれらの地域のシェア拡大と、組織体制・事業の効率化・収益の向上化の実現、またその他各地にあるコカ・コーラ地域ボトラーとの連携を強化し、全国的な事業構造を構築するためのリーダーシップを育成させること、また経営力・営業力の面でも一層の拡充を図ることを目指した。 合併の実現により、両社と三笠を含めて近畿・中国・北部九州の山陽沿いを中心とした14府県を広域的にカバーする日本のコカ・コーラグループ最大のボトラーグループが誕生し、また日本の清涼飲料の販売シェアにおいてもサントリーに次ぐ巨大企業と成った。 2007年には、南九州コカ・コーラボトリングと業務・資本提携を締結し、南九州コカ・コーラボトリングの発行済み株式の約20%を取得。これにより事業領域が九州全域までの18府県にまで拡大した。その後、2013年4月1日に同社は完全子会社となり、2014年1月1日に吸収合併された。 2009年1月1日、ボトラー子会社3社を吸収合併し、「コカ・コーラウエスト株式会社」に商号変更して一般事業会社となった。 2015年4月に四国コカ・コーラボトリング(香川県、徳島県、愛媛県、高知県を管轄)を完全子会社し、日本のコカ・コーラのボトラーでは過去最多の22府県を統括することとなった。 しかし、この再編の過程において、日本国内におけるコカ・コーラシステム自体が大幅に見直された。商品販売の一部カテゴリーについては全国を束ねる法人で展開され、実際の商品製造においてもボトラー自社製造から広域製造子会社に移行しつつある。いずれも、ウエストジャパン発足とその後のリストラによる再編成の産物である。 米本社の直接出資により、商品開発や世界戦略の一翼も担わされており、「Hi-C」を駆逐した「Qoo」(現・ミニッツメイド Qoo)も、ウエストジャパンエリアから広まったとしている。また、缶コーヒーのトップブランド「ジョージア」も、ウエストジャパンエリアから全国に広まった。 2016年4月26日に旧コカ・コーラウエストと関東地方・東海地方・南東北を統括するコカ・コーライーストジャパンの両社が経営統合に向けた協議を開始することに合意[3][4][5]。その後、詳細の協議を経て、同年9月30日に、翌2017年4月をめどに統合する事と持株会社の名称を『コカ・コーラボトラーズジャパン』とすることが正式に発表された。 2017年4月1日に、旧コカ・コーラウエストがコカ・コーライーストジャパンを株式交換により完全子会社とした上で、事業を会社分割により子会社の新CCW設立準備株式会社に承継して持株会社となった。同時に旧コカ・コーラウエストが「コカ・コーラボトラーズジャパン」(初代)へ、新CCW設立準備株式会社が「コカ・コーラウエスト」へ商号変更した。 この統合により、グループの売上高は1兆円を超え、サントリー食品インターナショナルの国内事業売上高を抜いて首位となる。1都2府35県をカバーし国内のコカ・コーラ商品の9割を網羅する巨大ボトラーが誕生した。 事業再編に伴い、2018年1月1日付でコカ・コーラウエストと子会社のコカ・コーラウエスト販売機器サービス、コカ・コーラウエストプロダクツの3社は、コカ・コーライーストジャパンから商号変更されたコカ・コーラボトラーズジャパン(2代)へ吸収合併され、3社は解散した。同時に、子会社であるコカ・コーラウエストベンディング株式会社をコカ・コーラボトラーズジャパンベンディング株式会社へ、コカ・コーラウエストセールスサポート株式会社をコカ・コーラボトラーズジャパンセールスサポート株式会社へ、 コカ・コーラウエストサービス株式会社をコカ・コーラジャパンベネフィット株式会社へそれぞれ商号変更された他、コカ・コーラボトラーズジャパンベンディング、コカ・コーラボトラーズジャパンセールスサポート、コカ・コーラジャパンベネフィット、株式会社カディアックの4社はコカ・コーラボトラーズジャパン(2代)の子会社となった他、西日本ビバレッジ株式会社、株式会社ウエックスの2社はFVイーストジャパンから商号変更されたFVジャパンへ吸収合併され、2社は解散した[6][7]。 沿革コカ・コーラウエスト(初代、後のコカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス)
コカ・コーラウエスト(2代)
関係会社
販売会社
販売機器サービス会社
製造会社()内は当時の製造所固有記号。ボトラー投合時に再度変更されている。
非コカ・コーラビジネス会社
文化活動支援型自動販売機自販機の売上の一部を、地方自治体[15]や地方観光協会、スポーツ団体、特定非営利活動法人[16]など、特定団体の活動支援に当てる事業を展開している。 ネーミングライツ以下の3施設の施設命名権(ネーミングライツ)を取得している。いずれも、旧CCWHが取得したものである。
また、福岡ドームのフィールドシートの一部を「コカ・コーラシート」(詳細は福岡ドーム#コカ・コーラシート参照)、マツダスタジアムのテラス席にも「コカコーラテラスシート」をそれぞれネーミングライツしている。 レッドスパークスこのチーム名のラグビー部及びホッケー部があり、両部ともにCCWJから移管をうけたものである。
スポンサーシップ前身のボトリング会社のスポンサーシップを引き継ぐ形で以下のサッカーJリーグクラブのスポンサーとなっている。
また、2016年からはプロ野球・福岡ソフトバンクホークスのユニフォーム左袖スポンサーとなっている。 脚注・出典
関連項目
外部リンク |
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