キング・パーソンズ
"アイスマン" キング・パーソンズ("Iceman" King Parsons、本名:King Bailey Parsons Jr. 、1950年6月11日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ミズーリ州セントルイス出身のアフリカ系アメリカ人。 全盛時の1980年代はテキサス州ダラスを主戦場に、主にベビーフェイスのポジションで活動した[3]。卓越したマイクパフォーマンスのスキルを有し、「弱虫」を意味する "Rooty Poot" など、WWEのザ・ロックに先駆けるオリジナルのキャッチフレーズを様々に生み出した[3][4]。 来歴日本プロレスと全日本プロレスに来日経験のあるニック・コザックのトレーニングを受け、1979年にテキサスのヒューストンにてデビュー。その後、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリングにて黒人レスラーの先輩ロッキー・ジョンソンとタッグチームを結成、1981年11月28日にバディ・ローズ&スタン・スタージャックを破り、NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を奪取している[5]。1982年はジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWに参戦、ポークチョップ・キャッシュと組んでドン・カヌードル&ジム・ネルソンのPVT'sとNWAミッドアトランティック・タッグ王座を争った[6]。 1983年より古巣のテキサスに戻り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのWCCW(WCWA)に定着。ショーマン派のベビーフェイスとして活躍し、1983年3月28日にトラ・ヤツこと谷津嘉章からTV王座を奪取、以降もキラー・ブルックスやジョン・テータムを破り、同王座を通算4回獲得している[7]。1983年10月7日には、ハーリー・レイスが保持していたNWA世界ヘビー級王座に挑戦[8]。スポット参戦したアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグパートナーにも起用され、カマラ&ミッシング・リンクなどのチームと対戦した[9]。 1984年にはロックンローラー・ギミックのバック・ズモフとロックン・ソウル(Rock 'n' Soul)なる白人と黒人の混成タッグチームを組み[10]、スーパー・デストロイヤー1号&2号とNWAアメリカン・タッグ王座を争っている[11]。1985年7月5日にはクリス・アダムスを下し、ダラス地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカン・ヘビー級王座(後のWCWA世界ヘビー級王座)を獲得、11月4日にリック・ルードに敗れるまで戴冠した[12]。 1986年に一時ダラスを離れ、サンアントニオのテキサス・オールスター・レスリングやビル・ワット主宰のUWFを転戦した後、1987年の末よりWCWAに復帰。ブラックバード(Blackbird)と名乗ってヒールのポジションに回り、マイケル・ヘイズと仲間割れしたファビュラス・フリーバーズのテリー・ゴディ&バディ・ロバーツと合体[3]。ザ・ブラックバーズなる新ユニットを結成してヘイズおよびケビン&ケリー・フォン・エリックと抗争を繰り広げ[13]、1988年3月25日にはケリーからWCWA世界ヘビー級王座を奪取した[14]。 WCWAの活動停止後はUSWAやハーブ・エイブラハム派UWFを経て、1992年よりダラスの新団体GWFに参戦。アクション・ジャクソンをパートナーにブラックバーズを再編し、スティービー・レイ&ブッカー・Tのエボニー・エクスペリエンスとGWFタッグ王座を争った[15]。 引退後もテキサスのインディー団体にゲスト出場しており、2005年にはデントンのXCW(Xtreme Championship Wrestling)に登場、かつての相棒アクション・ジャクソンと対戦した[3]。 得意技
獲得タイトル
脚注
外部リンク
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