ジョン・テータム
"ハリウッド" ジョン・テータム("Hollywood" John Tatum、本名:John Frenkel III、1959年7月18日[3] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アラバマ州モービル出身。ギミック上の出身地はカリフォルニア州ロサンゼルス。 リック・フレアーの影響下にある金髪の伊達男系ヒールとして、テキサスのダラス地区などアメリカ南部を主戦場に活動した[4]。 来歴ファビュラス・フリーバーズのマイケル・ヘイズやロックンロール・エクスプレスのロバート・ギブソンとは少年時代からの友人[4]。1983年のデビュー当初はヘイズの従兄弟という設定のもと[4]、フランクリン・ヘイズ(Franklin Hayes)のリングネームでテネシーのCWAや地元アラバマのSECWに出場していた[5]。 1985年より、当時のNWAの基幹団体だったジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWにおいて、ロサンゼルスのハリウッド出身を自称する "ハリウッド" ジョン・テータム( "Hollywood" John Tatum)として活動。マグナムTAのNWA USヘビー級王座やロニー・ガービンのNWAナショナル・ヘビー級王座にも挑戦した[6]。 同年下期より、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスのWCCWに定着。女性マネージャーのミッシー・ハイアット[7]を従え、スコット・ケーシー、ブライアン・アディアス、キング・パーソンズらと抗争を展開する[8]。8月5日には空位となっていたTV王座を獲得、10月21日にパーソンズに敗れるまで戴冠した[9]。 1986年下期からはハイアットと共にビル・ワット主宰のUWFに参戦して、同タイプのジャック・ビクトリーとのタッグチームで活躍[10]。 "ホット・スタッフ" エディ・ギルバートがマネージメントしていた若手ヒール時代のスティングやリック・スタイナーとも共闘して、H&Hインターナショナル(Hot Stuff & Hyatt International)なるユニットのメンバーとしても活動した[11]。10月26日にはビクトリーとのコンビでトミー・ロジャース&ボビー・フルトンのザ・ファンタスティックスからUWF世界タッグ王座を奪取するが、11月9日にビル・アーウィン&レロイ・ブラウンに敗れ、短命王者となっている[12]。 その後はケン・マンテルが旗揚げしたワイルド・ウエスト・レスリングを経て、1988年よりWCCW(WCWA)に復帰。ここでもビクトリーとコンビを組み、UWF時代から因縁のあるファンタスティックスとWCWAテキサス・タッグ王座を争った[13]。ビクトリーとのタッグチームを解散後、1990年からはWCCWとCWAが合併して設立されたUSWAに参戦。ダラスとメンフィスの両エリアにおいて、ビル・ダンディーを相手にUSWA南西部ヘビー級王座を巡る抗争を展開した[14][15]。 しかし、戴冠中の1990年9月に旧WCCW派がUSWAから脱退したことより、テータムも王座を返上してUSWAを離脱。以降はWCCWの後継団体ともいえるグローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)に参戦して、ロッド・プライスを新パートナーにコースト・トゥ・コースト・コネクション(Coast to Coast Connection)なるタッグチームを結成[4]。ワイルド・ビル・アーウィン&ブラック・バートなどのチームを破り、1991年11月から1992年にかけてGWFタッグ王座を2回獲得した[16]。 1995年の引退後は、フロリダ州ペンサコーラにおいてステート・フェア事業に携わっている[4]。 得意技獲得タイトル
脚注
外部リンク |